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どうして政治家は年寄りばかりなのか考えてみた

ニュース記事を見ていると、国内、国外を問わず、政治の表舞台で活躍している(というべきかどうかは疑問だが)政治家は、概ね70歳以上の高齢者と見受けられる。60代は若手、40代50代はヒヨッコというところか。いったいなぜこんなことになってしまったのか。国の将来を支えるのは、今の10代20代だと思うのだが、70過ぎのジィさんたちに、彼らの何がわかるだろう。彼らに世界がどう見えているか、理解できるわけがない(41歳の僕にだってキビしい)。安倍政権なんて、日本人の価値観を昭和初期に引き戻そうとしているように見られるが、まったくもって「冗談じゃない!」。若い世代からすれば一言、「意味不明」ではなかろうか。

今回は、なぜ政治という世界が、他に類を見ないほど「超高齢化社会」なのか、考えてみる。

まず思いついたのは、政治という世界が「コネ(人脈のパイプ)」で成立しているから、という理由。コネの形成には長い時間がかかる。ある程度完成する頃には、年寄になっているのだ。

比較対象として、経済という世界を挙げてみる。経済を成り立たせているのは「カネ」だ。「ヒト、モノ、カネ」とか言われたりするが、この世界では、ヒトやモノはカネに付随するものでしかない。例えば株式投資などに代表されるマネー経済では、カネだけが世界を駆け巡りながら膨張していく。この場合のカネは、貨幣でも金(きん)でも手形でもない、ただの数字。株式投資をするのには、従業員も商品もいらない。ネットとPCがあれば事足りる。こういう即物的な世界では、成功するために必要なのは時間ではない。実際、20代で巨万の富を蓄える投資家もいる。また、現時点でカネを持っていなくても、「カネを集める能力に投資する」という形が成立するので、潜在的能力ですら、この世界では高く評価できる(評価者がいればだが)。よって原理的に、経済では高齢化が起こりにくい。

対して、政治に不可欠な、コネの形成は、時間が不可欠だ。政治的な意味での「コネのある人」の特徴を挙げれば、以下二点だと思う。

1.敵に回したくない、と思われること
2.便宜を図ることで、十分な見返りがあること

1が「思われること」であるのは、実際には敵に回る人がいないか、極めて少ないから。2が「見返りがある」と断定形なのは、関係者たちの多くが実際に見返りを受けるから。ヤクザの親分が怖いのは、彼がタイマン(ケンカ)に強いからでない。彼の一言で組織が動くからだ。ケンカをして強い、弱いはチンピラの世界である。

政治のような比較的クローズドな世界でコネを形成していくには、権力者(既にコネを完成させた者)のおこぼれに預かるのが一番早い。つまるところ、腰巾着、虎の威を借る狐だ。権力者に「目をかけて」もらえば、彼の権力の一部を、自分の権力として使うことができ、権力を行使することが、新しくコネを形成していく。つまり、下剋上はありえない。こうして、「将来有望」な若手政治家たちは、進んで年寄りの腰巾着に収まり、そういう態度を嫌った同世代の政治家たちを蹴落としていくわけだ。既存のシステムでは、政治の世界が、硬直した超高齢化社会であることは、必然となる・・・

僕はわりと書きながら考えるタイプだが、残念な結論に着地してしまった。もう少し希望のある結論(反論)があったらぜひお願いします。

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