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例えば私が永遠に消えたとして、


名前を呼んだら返事があること。

いつから当たり前に思っていたのだろう。言葉を覚えた時から? 自分の名前を呼ばれて返事をする必要性を知ってから? 呼んだら答えてくれる人を手に入れた時から? それが〝当たり前〟になったのはいつからですか?

繋いだ言葉を、紡いだ声を、当たり前に聞いてくれる存在。家族、友人、恋人。あなたには何人いるのだろう。あなたは何人失ったのだろう。指折り数えて、止まった指の先。それ以上に欲するのは、なぜ?

私にはどれも〝当たり前〟にはならなかった。永遠に失うことを知ってからの日々は、置いていかれることの恐怖が常に私の影に潜み続ける。歩いている時も、座っている時も、走っている時も、眠りについた夜も。今、この瞬間にも。


長い長い呪いをかけられた瞬間を、今も鮮明に覚えている。

きっと、貴方にもあるはずだ。恐怖を呼び覚ます呪い。トラウマと呼ぶには弱すぎる、強い力で貴方の心を縛るもの。何度も何度も振り払って、それでも逃れられないひとつの言葉。

なにが怖い? なぜ淋しい? 繰り返す自問自答の夜に、貴方は答えを見つけられない。本当は答えが解っているから。影の中に潜む呪いも、逃れられない呪いの正体も、貴方は良く知っている。それらを打ち消す存在すら、本当は持ち合わせているのだから。


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悪魔の存在を認めるのであれば、天使の存在を認めなければいけない。愛の存在を信じるのであれば、無関心を認めなければならない。

それは紙一重で、決して切り離せない。表と裏。片方だけを否定することは、誰にもできない。

手を伸ばせば触れる距離に、淋しさや不安が生じるのは、物理的な距離より精神的な距離が遠いから。誰かを信じられないのは、信じられない自分を振り払えないから。なにひとつ、切り離せない。今そこにある貴方の影のように。


当たり前を当たり前と受け入れることが、いつから当たり前になったの? 

形のない、触れもしない絆や赤い糸が、そこにあると信じたいのは何故? 快感がなければ 愛がない なら、欲に濡れた眼に貴方の心が揺れるのは何故? 脳を麻痺させるほどの愛を、快感と呼ばないのはどうして?


当たり前を受け入れられない。

失くしたことが多すぎて、返ってこない返事に恐怖を覚えて。触れ合える幸せを、届く言葉を、心を揺らす声を、当たり前にしてしまうのはどうして? 私には未だに答えが出ないまま。

それでも〝なにを愛と呼びたいのか〟だけは、はっきりしている。自分の心を揺らすもの、返ってくる声や言葉を、私の心はいつも求めている。きっと貴方も同じはず。表と裏、どちらを愛するのかは、貴方の心が決めればいい。


暗む空も、天空の月も。

切り離せない存在を持ち合わせながら、姿を隠す夜があるように。死にたい、消えたい、と貴方が願う夜に、泣き叫ぶ夜に終わりは必ず来る。けれど、明日が来るかは解らない。それは誰にも解らないまま、夜は深く静かに昏れる。

永遠に失う前に、当たり前が当たり前でなくなる前に。夜が明ける前に。

その言葉を声にして。







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