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子供のいない夜が羨ましくなった瞬間の話



寝かしつけながら「子供がいない人は、こんなヘロヘロで寝かしつけすることないんだろうな」と思った。すぐに「そんなこと、子供のいない友達には言えない」と思った。これはなんとなく、反感を買いそうだから。…なんで?

27の今、周りには色んな状態の人がいる。結婚して子供がいる人、いない人、妊娠してる人、してない人、妊活してる人、してない人、結婚してる人、してない人、彼氏がいる人、いない人、遊んでいる人、いない人。これだけで、表せない人。
この、「じゃない」側を言葉にする時、少し時間がかかる。それが、女の人生を表してる気がした。多くの人の人生が動くこの時期、女子たちは「ある」ものを数えて認識しようとする。
「その人って彼氏いるの?」
「旦那さんとうまくいってる〜?」
「もう子供いるんだって」
「結婚できなかったらどうしよう」
「最近妊娠したらしいよ」
こんな話題が増えたことを「会話が大人になった」と感じる人もいれば、「そういうことしか話さない」と感じる人もいるのが、この時期。

なんだか、どこかの誰かがいつか言ってた「女はクリスマスケーキ」だの「子供を産んでこそ」だのが、気づかないうちにシミになっていて、それは私たちの思考に結婚子育てを階段状のステージと捉えさせている気がする。
人生の選択の自由を訴える言葉もよく聞く。
「本当に好きな人とは結婚したいと思うはずってのは、1つの考えでしかない」
「子供のいない人生を選ぶのだっていい」
「人の幸せの形はそれぞれ」
でも私はそこにも、どこか段差を感じてしまう。段差なんかないじゃないか!自由じゃないか!なんでそんな風に言うんだ!と噛みつく人が表立って見えるからだろうか。そうせざるを得ないほど、その人の中に消せない段差があって苦しんでいるように見える。
そして私はこの段差のシミは、社会にあるのかもと思った。すんなり受け入れる人もいるし、立ち向かう人もいる。私は社会にあるのが見えるけど、無いのが望ましいよなと思っている人だ。私みたいな人は多い気もする。
各々の違いを受け入れながらも、なんとなく自分のいる場所も肯定したくなり、どの状態も平等だという認識も持ちながら、段差のシミと対峙している私たちは、安心を求めてなんとなく、同じ状態の人と話すのを好むようになる。子供のいない人生を選ぶ人にとって子供の話より楽しい話題は山ほどある反面、子育てする人にとっては子育てが生活のほぼ全てなのだ。この時期に価値観が合わなくなったり、会うことが減っていくことは、多いんじゃないかと思う。

私は結婚して子供がいて、子供が可愛くて仕方なくて夫が好きで、幸せだ。
そんな私が冒頭の、つまり「子供いない人は寝かしつけがなくて羨ましい」みたいなことを言うと、反感を買いそうなのだ。なぜかって、上から下への羨みの言葉は、受け入れられないことが多いから。
でもそうじゃない。「羨ましい」と思ったときの私は、その瞬間自分の知る限りの人のなかで“底”にいるような気持ちなのだ。
寝かしつけも子供の世話も考えず夫婦二人で仲良く過ごせる人、独身で気兼ねなく好きな時間まで遊びに出れる人、寝ようと思ったら寝られて自分のために起きられる人。どれも経験したことがあるから、想像も容易い。辛さが優って、みんながキラキラして見える。そんな気持ちになるのだ。

だからといって戻りたいわけではない。娘のいないところまで戻してあげると言われても、絶対に今を望む。でもやっぱり、いろんな気持ちになる瞬間があるよね、というお話。

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