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★道徳専門教師

 区の道徳教育の研究会に参加した。

 私は、以前から道徳の時間の指導が大切だと思い、個人的に研究している。平成20年度には東京都教員研究生という制度を利用して、学校を離れ、東京都教職員研修センターに勤務しながら道徳指導の研究をした。研究テーマは「対話を重視した道徳指導の工夫-互いを尊重する豊かな話合い活動を通して-」

http://www.kyoiku-kensyu.metro.tokyo.jp/09seika/reports/files/kenkyusei/h20/k-5.pdf

 人権感覚と同様に、「道徳的な価値観」を持ち合わせない教師には、道徳的な生徒は育てられないと私は考えている。しかし、自称、「道徳専門教師」とおっしゃる方で、人格も道徳的な方はかなり少ないと言うのが率直な印象である。

 先に述べた研修センターで、私の指導役についたY指導主事は、慇懃無礼な人物で、私はしばしば、彼の"超上から目線”な物言いに強い違和感を覚え、「あなたと話しても無駄です」と、会議の席を立ったことがある。

 道徳の授業は、中学校教師よりも小学校教師の方が熱心に実践している。しかし、熱心さがエスカレートすると、自己愛が強くなり、排他的、他罰的になることがある。

 私は、区の仕事で「人工衛星輝汐が起こした奇跡」という道徳資料の執筆をした。東京都立航空工業高等専門学校(現、都立産業技術高等専門学校)の学生が、超小型人工衛星の製作に取り組み、試行錯誤しながら、H2Aロケットの相乗り候補に合格し、実際に、自分たちが作った人工衛星を宇宙に送り出すまでの実話を資料化したものである。区の冊子に掲載された資料は、その後、出版社の編集者の目にとまり、全国の中学生が使う副読本に掲載されることになった。

 私がその資料を使って授業をした様子が、東京新聞に掲載された。すると、それに嫉妬した、小学校の資料作成委員から、訳の分からない誹謗中傷を受け、困惑した。区の事業が全国的に認められ、喜ばしいはずなのに、「なぜ、小学校でなく中学校が注目されるのだと」腹を立てたのだと想像できる。

 まったく、道徳的でない教師達である。

 だから、私は、人前では「道徳専門教師」とは名乗らないようにしている。「道徳が好きな教師」くらいで十分である。

 次回、学習指導要領から道徳は教科化され、評価を求められるようになる。先日、話を聞いた、前川喜平前文部科学省事務次官は「道徳の教科化は必要なかった」と講演で話されていた。やることがなくて困ると、教育に手を加えようとする、現政権の「ご意向」が働いたのであろう。

 くだらない能書きはどうでも良いから、子ども達が社会で生活していくのに困らない「道徳的な判断力」を身につけさせてあげたいと心から思う。


学校教育には矛盾がいっぱい!