日本にもノマドがいた。「サンカ」について
今更ではあるが近年、コロナ禍の影響もありテレワークが増えている。ある職業、ある層に限られたことかもしれないが、自由な場所で仕事をしてもいいという風潮もある。もっというと、このパンデミックのなか働く場所だけでなく、働きかたへの疑問を持った人も少なくないのではないか。だからこそ働く場所を選ばない(一箇所に縛られない)ノマドワーカーという言葉をよく聞くようになった。地方へ移住する人も増えており、都心のビルで働くよりも自然に囲まれたところで働いたほうが心豊かだと、あらゆる人が気づいた。
60〜70年続いている、会社員として働くことを前提とした、過度な都心中心社会の転換期の到来を感じているのは私だけではないはずだ。より多くの人が「仕事」と「生活」、そして「自然」を見直している。東日本大震災、原発事故、そしてコロナ禍と、今ほど人間と自然との関係が問い直されている時代はない。
サンカと呼ばれた人たちがいた。彼らは(場合によっては)戸籍も持たず、山から山へ漂泊の旅を繰り返した。彼らは家族単位で移動していたといわれており、行く先々で川から獲った魚や、自身で作った竹細工や箕を里で売り、米にかえ生活をたて、川原に天幕をはり、雨つゆをしのぎ、野宿を日常としていた。近代では最も原始的な生活といえる。昭和30年代までは目撃談をはじめ、サンカの存在は確認されている。
サンカの持つ野性味は清濁併せ呑むがごとく様々に人々の想像をかき立てた。ある人は犯罪者組織サンカをモチーフにしたエログロナンセンスな猟奇小説を書き、ある人は素朴な山の生活を淡々と書いた。そうしてサンカという小説、漫画、映画、ノンフィクションの一分野が確立されていった。
その流れのひとつに数えられるだろうか。私もサンカをモチーフにした長編劇映画を作った。名前を「山歌(サンカ)」という。
何故、今サンカなのか?
現代生活に染まりきった私が自戒として、サンカから、自然からただただ学びたいとの思いもあった。何よりコロナ禍で硬直しきった現代の都会と、山中でひたすら自然の環境に合わせて柔軟に生きてきたサンカは、全く対照的な存在にうつっていた。
サンカの起源には諸説ある。日本人の祖先だという説もあれば、日本人に滅ぼされかけた先住民族だという説もある。どれも確認のしようがないが、私は沖浦和光著「幻の漂白民・サンカ」に書かれている江戸時代の大飢饉の際に食べるものを求めて山へ逃げのび、命を繋いだ人々の末裔がサンカであるという説が、最も説得的だと思っている。
沖浦氏によると、理由はふたつある。まず、江戸時代は徴税のため戸籍や人口が厳しく徹底的に管理されていたにも関わらず、サンカのような山を放浪している人々の記述がまったく見当たらないこと。そしてかつての山は、里で生きる人々にとってはシェルターの役割を果たしていた。食うものに困ったら、山に入れば最低限生きていけるという通念があったのだ。つまり、大飢饉の時は、山へ逃げる人が一定数いた。彼らが山で生活を続け、独自の生業を持つようになり、近代に入りサンカといわれるようになった。
言い換えると、サンカは特別な人たちではなかった。だからこそ、現代に生きる私たちに、何かヒントをくれるのではないだろうか。
そんな思いともに、映画を書きはじめた。次回からは映画について、サンカについてもっと詳しく記していきます。