人間の発達は生まれる前から、大人になった今も一生続く
以前担当していた患者さんで、四柱推命や陰陽五行説などを勉強し、そういった生まれ持った性質を基にコーチングの仕事をされている方がいた。かなり稼いでいる様子で、バリバリ働くやり手の女性だった。
その方に「先生も見てあげる」と言われ、生年月日を伝えたことがあった。翌週にその患者さんが来た時に色々なことを言い当てられた。
「かなり人見知りだけど、冷静に人を分析している」「正義感が強く頑固なところがある」「健康オタク」「自分の手は汚したくない」「とりあえず行動というより、じっくり考えるタイプ」
どれも当たっていた。驚くほどに。
そう感じたのも、「あぁー、確かにそうだった!!子どもの頃の自分にめちゃくちゃ当てはまる!」と幼少期を思い出させられるほど、今の自分には当てはまらないけど昔の自分に当てはまったからだ。
その気づきと同時に、自分は昔と性格がかなり変わったのだと感じた。
人間は変わる。
僕の性格は変わった。周りの人からも言われる。親からも言われる。自分自身でもそう感じる。
これは自分で「変わりたい」と強く思い、めちゃくちゃ意識的に行動を選択してきたからであると思う。
自分という存在は、自分の人生において起こる出来事に対する反応の選択権を持っている。多くのことは意識的に反応を選択できるはずなのに、自分が無意識に選択してしまっているだけである。そんなことに社会人になって気付かされた。7つの習慣ありがとう。
それに気づいてからは、それまで無意識的に決定していたようなことを意識的に選択していくようにした。それも「自分が選ばないであろう道」を選択するようにした。
「人前で喋るなんて絶対嫌だ」と思っていたが、あえて人前で喋る行動を選択した。
いつも損得勘定で行動を決定していたが、「とりあえずYES!やってみる」という選択を増やすように意識した。
頑固さを捨てるべく、相手の立場を想像して物事を考えるようになった。
そんなことを意識していたからか、自分でも自覚するほど性格というか、価値観が変わったように思う。今の価値観は昔のそれとは大きく異なる。
そんな風に自分で意識的に行動を選択するようにしたことが変わるきっかけになったのだけれど、それだけでなく他者との出会いというのも相当大きい。
20代で僕に影響を与えてくれたのは、理学療法士では僕と同い年の輪違君であり、尾森君であったように思う。他にもたくさんの人の影響は受けているけれど、この2人の考え方の影響はとてつもなく大きかった。
そして30歳の時に出会った理学療法士との出会いは、ここ3年間で僕の在り方をまた大きく変えてくれたように思う。
発達を学んで変わったこと
2017年のリアル臨床というイベント。そこでとある人のお話を聞き、感銘を受けた。その後その方にコース勉強会を依頼することになった。
発達領域の理学療法士である小島賢司さん。これまた偶然同い年なんです。
知識や技術はもちろんですが、僕が最も影響を受けたのは小島さんのセラピストとしての在り方であった。
セラピストは「問題点」に目が行きやすいし、それを見逃さずに見つけられることが重要なことは間違いない。しかしその問題点の受け取り方、そして相手を配慮した説明や関わりをしているか?ということを、果たしてどれだけの人が取り組めているだろうか?
そんなことを小島さんの在り方からいつも考え直させられる。
問題点として表出された現象は、問題なのではなく適応の結果である。
人間はいつでも発達するし、適応するし、個性がある。
個性を「正常」か「異常」か判断するのは、病気の治療を考えた際には必要なこともある。だけれども、無責任なその判別には果たして意味があるのだろうか?
僕はこの3年間で発達を学んで、運動機能の評価・治療という面でも患者さんを機能改善に導くような関わりができるようになったと思う。
そして何より、小島さんのもとで学ばせていただき、患者さんとの関わり方、声かけ、言葉の選び方というのが大きく変わった。もちろんまだまだではあるのだけど、言葉の配慮が慎重になったように思う。
伝え方が変わるだけで、患者さんの表情は変わる。
患者さんの表情が変わると、患者さんの行動は変わる。
自然治癒力というものがあるならば、それは自律神経とか代謝とか免疫とか、そんなことよりもこういった患者さん自身の態度が大切だ。
そしてその態度を良くも悪くも作り出す一つの因子が、僕らセラピストの在り方だろう。
本当に一人でも多くのセラピストに、小島さんの発達運動学の講義に参加していただきたいなって思っています。来週金曜日に募集を締め切ります。
ちなみにこれが2年前に発達運動学コースの第1期5回目が終了した時に僕が書いた当時のブログ。こちらもぜひ読んで頂きたいです。
PS.冒頭で僕の生年月日から性質をズバズバ言い当てた患者さんですが、この日を境に来なくなりました。僕が納得しながらも「すごい!昔はそうでした!」などと、今はあてはまらないみたいな返答をしてしまったからだろうか。
まだまだ配慮が足りないですね。
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