ひまわりホール30周年記念作品 人形劇「犀」(再演)感想

画像1

 名古屋の劇団、オレンヂスタのニノキノコスターさん演出の人形劇作品「犀(さい)」を観劇させて頂きました。今回は上演設定のある、1/11(土)の18:00、1/12(日)14:00公演の2回とも観劇させて頂きました。

 初回上演は2018年12月でおよそ1年ぶりの再演。その時も観劇させて頂いて感想をアメブロに書いています。

 今回も同じ内容、進行も同じですが、時間が経っている分、若干ブラッシュアップされている箇所があるのかなと思ったり。あるんじゃないのかな?と勝手に思って、勝手に感じているだけで、全然同じだったらめっちゃ恥ずかしいですが。もしかしたら導入部分と、中盤の人形のクォリティが変更されたのでしょうか?変わった場所は結構気になってますが、全体的にパワーアップした感じはしたなと感じてます。

あらすじ

 平和的な街に、ある日動物の「サイ」が現れて、街の人々が騒動に巻き込まれる。そのことが話題になり、もちきりとなる中、次々と知り合い、会社の同僚が「サイ」に変身していく。どんどんサイが増えていって街はサイだらけになっていく。主人公の友人も、同僚も、そして好きな人も、次々と。

 という、ウジェーヌ・イヨネスコさんの戯曲が原作になり、ニノキノコスターさんが人形劇として演出されています。前回観劇の感想でもリンクを貼って詳しいあらすじを誘導してましたので、今回も詳しいあらすじは、下記の文学座さんのHPのものをリンク先からご覧ください。(笑)

 お話の舞台が第二次大戦勃発より前のファシズム政権誕生前の世界。だんだん罠にかかるように人が感化されて別の生き物になっていく様をある意味滑稽に、ある意味シリアスに表現されている内容になってます。

人形劇・・・だよね?

 この作品の凄いところは、序盤は小さな箱庭風セットで繰り広げられる段ボールを使った牧歌的な人形劇になっているんですが、転換された次の場面では、主人公が勤める会社のオフィスが舞台で、人間と同じ背丈の操り人形に変化する。下記のツイート参照になりますが、でっかい人形(画像3枚目)はめちゃくちゃリアリティがあり、人形そのものに更に生を与えているかのよう。

 そして、オフィスの場面が終わって、次の場面以降では人形が全く出てこない、人間のみの普通の「演劇」になってしまうという意外性。

 最初観劇した時は、「え?人形劇でしたよね?」と思うくらいの変化で脳が全然追い付かなくて。人形劇なのか、演劇なのか葛藤。でもそこに対して疑念や偏見はなく、心地よさを感じる違和感。その心地良さが数日経った後でもめちゃくちゃ気になって。その思い起こしも含めて今回は2回とも観劇させて頂きました。

改めて観劇して思ったこと

 前回の観劇では、後半の普通の演劇部分で表現力に圧倒しつくされて。内容の旨味を感じられませんでしたが、今回はしっかり噛みしめて観ることが出来たと思います。序盤、中盤、後半の繋がりもしっかりと掴めました。

 でも、やっぱ後半の部分の圧倒感は、今回も同じレベルで圧倒された。主人公の友達がサイに成り変わる様は恐怖感満載ですし、毛布に包まる感じから、サイの質感の布に覆われている表現は、上の上を行くエグさを感じられた。

 そこから世界が崩壊するかのように、あちらこちらから段ボール箱が次々と投げ込まれる。あっという間に舞台上は瓦礫のように段ボールが埋め尽くされる。

 さらに事態が急変して、同僚もサイになろうとする。そこからまた更に段ボールが「生一丁入りましたー。よろこんでーー!」と言わんばかりに追加投入される。その時の軍隊のラッパの音はヤバかったですね。イケない方向に連れてこられる。戦争という足音も聞こえてきそうなヤバい方向への序章。サイの鳴き声も鳴き声と言うよりか、焼夷弾を落とす戦闘爆撃機のような鉄分を含んでる音のように感じてきたり。

 ホント、あの終盤へのカオス感と言うか、重厚感はお見事でした。恐怖しか感じられない。世論を誘導して取り込んでいくというファシズム社会への入り口を、見事に恐怖で表現されていた。

 こういう恐怖表現がなされているから、この作品に訴えたい意味をダイレクトに伝えてくれる。どんなために作った作品かを知らなくても、少なくても観劇後に当日配布パンフレットに書いている制作者の言葉で理解を深める。

 「誰かの声に感化されて、次々とその声に人々が塗り替えられる」というメッセージは観ていた方にも伝わる表現方法になってるんだろうなと、個人的にはそう感じています。他の観劇された方はどう感じたんだろう。

初演から1年経った今

 約1年前にはアメリカのトランプ大統領就任からの自国孤立主義、極右傾向が強まって、既存を脅かす勢力が国民のハートを鷲掴むようになり、モノ言う政治家がリーダーとなっていった。

 常に世の中って、不安と、救世主が来ないか、そして熱狂が繰り返されて。熱狂の後には疑念が生まれて、またその繰り返し。そんな不協和音を感じられたら、政治家は戦争というカードを切り落とす。そして熱狂。

 今年早々、イランとアメリカで緊張が走って、第三次世界大戦の幕開けかとも囁かれました。事態はやや収束ですが、民間機誤射撃墜の件もあるので今後どうなるか。

 国家同士の件以外でも日本国内に目を移すと、SNSを通じて世論を誘導させての出来事が起こったり。

 私にとっての身近な件で言えば、アイドルグループNGT48の一件。詳細は控えますが、とある事件のおかげで、あのメンバーは事件に関わったと言うことだけで、黒色、白色と色付けされたり。あの時の流れで、ファンの誰がサイになったのか、サイにならずに静観できたのか、とちょっと思い返したり。事象は一応の収束はしましたが、未だにボヤは続いてますし、延焼はグループにも影響が出て、SKE48も他に買収されて事務所が変わった。

 吉本興業の件でもそうでしたね。一時期SNSで見る限りは誰もが彼もサイだらけになったような。事件じゃないけどラグビーもそうかもしれない。試合だけ良かったねで終わればいいのに、みんな流行りに乗じて、一部のサイは金を儲けようと躍起になっていた。

 イヨネスコさんの意志は「ファシスト」を憂うことに対するメッセージだと思いますが、大小合わせて色んな場所でこの作品に対する響きや共鳴がされているのかなと思ったりしています。いじめで疎外されたりとか、ママ友に入れないとか、会社に居場所がないとか、LINEのグループで既読スルーされているとか。

 集団の中に居ると安心するというのは人間のサガかもしれない。集団の中でモノ言うことをすれば村八分にされる。逆に英雄視されて利益を得る者も居る。人間として必然なのか、疚しい部分なのか。

 大衆の熱狂と共に国を動かすという警鐘の作品も、実は人間生活での集団心理の警鐘と言う部分も持ち合わせているなとは感じてます。国家も、個人も孤立主義になりつつある現代。この作品のメッセージの重要性があるなと感じています。

というものの

 「演劇」としてエンターテイメントの視線で見ればホントに楽しい作品でした。感情ジェットコースター。落差を感じる楽しい時間を味わえました。またいつか観たい気はしますが、制作期間とか結構ありそうなので、「またいつか」で期待はしたいと思ってます。

 感想はここまでです。

で、で、で、

 オレンヂスタさん次回作は、今年3月に本公演が上演されます。タイトルは「黒い砂礫」。モチーフは「登山」とのことです。3月14日から22日まで大須の七ツ寺共同スタジオにて。詳細はツイート追ってくださいませ。私も時間見つけて観に行きたいです。

 ということで、長くなりましたが、文章は以上です。さあ、段ボールの箱被ってこようかな。明日から仕事だし。(笑)