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さもないごちそう 「うちのオムレツ」

 おふくろの味、というものについて考えてみた。
 私はいつか、もしかしたら誰かのおふくろになるかもしれない。「自分が作ったものがそう呼ばれるようになる未来」がくるのかもしれない。私の得意料理がそうなるのだろうか、それとも子供が好きなものがそうなるのだろうか。そもそも誰かのおふくろになれるかどうかはちょっと一旦置いといたとして、「おふくろの味」なるものを生みだす存在に、私はいつかなってみたい。

 そもそも「おふくろの味」ってなんだろう。身近に「おふくろ」という単語を使う人が父しかおらず、尋ねてみた。

「うーん、オムレツかなぁ」

 オムレツか。そういえばうちでよく登場するメニューのひとつだな。
 ちなみにここで父が言っているオムレツは一般的な、卵をふんわりと焼いてフライパンをトントンするあれではない。じゃがいも、人参、玉ねぎ、牛肉を甘辛く煮たものに、薄焼き卵をかぶせ、仕上げにウスターソースとケチャップをかけるものをうちではオムレツと呼ぶ。
 昔からオムレツと言えばこれだったもんだから、テレビか何かで「名店のオムレツ」なるものが紹介されていたのを見たときは衝撃だった。ふんわりとした卵の中に、なんにも入っていなかったから。卵焼きとの違いがわからず、とても驚いたのを覚えている。

 うちのオムレツの中身は、言ってしまえば肉じゃがだ。正確には肉じゃがよりも薄味で、具材も細かい。それに薄焼き卵をかぶせてソースやケチャップをかけるから、見た目的にはオムライスに近い。
 祖母はなぜこういうオムレツを作ったのだろう。何を思って肉じゃがに卵をかぶせてウスターソースとケチャップをかけたのか。和なのか洋なのか。もしかしたらそういう料理があるのかもしれないし、ないのかもしれない。真相はよくわからない。

 結婚をした相手の家の味を覚えるというのはよく聞く話で、若かりし私の母も、もちろん父の実家の味を覚えた。料理をほとんどしたことがなかった母ははじめ苦労したみたいだが、祖母が料理する姿を見て、父の育ったその味を学んだのだそう。うちのオムレツは、母が祖母から教わった父の大好物だったのだ。
 父にとってのおふくろの味「オムレツ」は、今や私にとってのそれにもなりつつある。味が混ざるのが苦手だった子供のころは、オムレツの中身のみを器に盛り付け(つまりは肉じゃがとして)食べていた。だが今となっては私もすっかりこのへんてこなオムレツにやみつきで、嬉々としてケチャップとソースを卵をかぶせた肉じゃがにかける。
 祖母の作るオムレツを私は食べることができなかった。だけど母の努力によって、私はその味を知ることができた。父にとってのおふくろの味は、無事私に継承された。好きな人や大切な人が育ってきた味を覚え、その味をいつまでも作り続けてあげることはとても素敵なことだと思う。味の継承。もちろん自分が作った味を好きになってもらうのも、嬉しいことではあるけれど。

 何度も食べたのにどうしても再現できない、味は覚えているのに自分が作ると何かが違う。大好きだったあの味を食べたいのに、もう二度と食べることができない、という経験をしている人もきっとたくさんいるだろう。気付いた時にはもう…とはなりたくないな、と思う。
 だから私はきっと癖のように、母に「これどうやって作ったの?」と聞いてしまうのかもしれない。「美味しい」と思うと同時に「忘れたくない」「ずっと食べていたい」と思ってしまう。思い出の味というものはいつまでも食べられるものじゃない、とても危ういものなのだ。いずれ、ずっとずっと先でいいけれど、母が作る母の味を食べることができなくなる日は必ずくる。オムレツは、私にそんなことを思わせる料理のひとつだ。
 

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〈うちのオムレツ〉
じゃがいも 人参 玉ねぎ 牛肉(細切れ) 卵 
醤油 砂糖 みりん ケチャップ ウスターソース
一、野菜はサイコロ状に切る。牛肉は細ければ切らなくていい。
二、牛肉、玉ねぎ、人参、じゃがいもの順で軽く炒める。
三、ひたひたより少なめの水を入れ、砂糖、みりん、醤油で味付け。肉じゃがよりも薄めに。
四、煮えたらザルにあげ水気を切っておく。
五、薄焼き卵を具にかぶせる。食べる際、ソースとケチャップをかける。



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