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夜明けを待ちながら:香港と「黎明」

2014年の雨傘以来の香港の社会運動のなかで、さまざまな「革命歌」があらわれては消えていった。ネット民が作成したちょっと汚い歌詞のインディーズソングから、ローカル派の歌手やバンドが新しく制作した応援歌まで、出てすぐはそれなりに迎え入れられてテーマソング的な感じにはなるのだけど、結局のところ合わせて歌われるカントポップ黄金時代の懐メロにかなわず、いつの間にやら忘れ去られていく。

でも今回はちょっと違うかもしれない。

ネット民が作曲し、掲示板で討論を重ねて歌詞を作った歌『願榮光歸香港』(香港にさかえあれ)が香港中に鳴り響いている。8月末にYoutubeに投稿されるやいなやあっという間にミリオン再生を記録して、さまざまなバージョンの動画がネット上に投稿された。それだけでなく、いかにもアンセム感のある荘厳なメロディーもしっかり厳粛な歌詞も、ネット発ソングにしてはクオリティが非常に高いためか、リアル世界にも広がりをみせていて、毎日毎日、香港のあちこちのショッピングモールでたくさんの人があつまってこの歌を歌っている。私も今回の1週間足らずの香港滞在中、いろいろな場面でこの歌が歌われているのを聞いた。

歌詞の内容はタイトルの通りで、香港に栄光をとりもどすための闘争を呼びかける歌になっている。日本語訳などもすでにいろいろな人が作っているようなので検索してみてほしい。

歌詞の中には、7月以来、今回の抗議運動の事実上のスローガンとなっている「光復香港,時代革命」も含まれている。

黎明來到 要光復 這香港
(夜明けの時 光を取り戻そう この香港に)
同行兒女 為正義 時代革命
(少年少女と 正義のために 時代の革命を)
祈求民主 與自由 萬世都不朽
(民主と自由よ とこしえに)
我願榮光歸香港
(香港に さかえあれ)

「光復」とは、読んで字のごとく光を取り戻すという意味で、転じて失われた土地を取り戻すこと、さらには植民地支配からの解放などを指す。日本語にすると「香港を取り戻せ」とかになってしまうから伝わらないけど、もともと「光」のメタファーを含む言葉なので、「黎明」(夜明け)や「榮光」とのシナジーがきいてくる。

このスローガンはもともと、現在暴動罪等で収監中の急進的ローカリスト梁天琦(Edward Leung)が2016年の選挙キャンペーンで用いたものだった。彼の政治活動を記録したドキュメンタリー映画『地厚天高』の中にも、香港の「光復」が夜明けにたとえられているスピーチがおさめられている。

今は非常に暗い時代です。だけど、バットマンって見たことある人たくさんいると思うんですけど、あの中にこんなセリフがありました。「夜明け(黎明)の前の暗闇が、最も暗い。しかし夜明け(黎明)は必ず来るのだ。」ありがとうございました。光復香港!時代革命!

梁天琦は、そして彼のスローガンを引き継ぎ今の運動に身を投じている人は、返還後香港の今を「暗闇」としてとらえ、そこに光が取り戻される「黎明」を待ち望んでいる。

しかし香港文化の中では、かつて、全く違う形で「黎明」が語られてきたことがある。

まず東アジアで「光復」という言葉は、しばしば日本による植民地支配の終わりを示すものとして使われる。韓国や台湾の「光復節」(光復記念日)なんかがそうだ。そこでは日本による支配が「闇」となり、そこからの解放が「黎明」となる。香港でも例外ではなく、日本による3年8ヶ月の支配の終わりを示すのにこの言葉が使われることもある。たとえばチョウ・ユンファ主演で日本による香港侵攻を描いた1984年の香港映画『風の輝く朝に』は、中国語では『等待黎明』(夜明けを待ちのぞむ)というタイトルがつけられていた。香港人監督・俳優の呂小龍が製作した2014年の慰安婦映画『黎明之眼』のような近年の例もある。

しかし香港は、日本軍による支配が終わってからも直接に植民地から解放されることはなく再びイギリスの支配下に戻った。中国のナショナリズムの立場からすると、1997年の返還でもってようやく香港の「光復」がなしとげられたことになる。「光復香港」のスローガンが目立ち始めた今年8月初め、香港を管轄する北京政府の部門・国務院香港マカオ事務弁公室のスポークスマンが記者会見の中でこのスローガンにふれて、香港は中華人民共和国の特別行政区であり「何を"光復"しようというのか。香港をどこに"光復"しようというのか」と述べたが、中国の論理からすれば「光復」は返還とともにすでに成し遂げられているのだから、そんな疑問も当然なのだろう。

返還というきたるべき「光復」を控えた英領香港では、そんな「夜明け」に対する相反する感情を表現する歌もうまれた。

たとえば1987年の映画『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の挿入歌に、葉蒨文(Sally Yeh)が歌った『黎明不要來』(夜明けよ来ないで)という曲がある。明るい夜明けに「どうか来ないでほしい」と歌う意外性のある歌詞だけど、映画の中ではジョイ・ウォン演じる女幽霊とレスリー・チャン演じる生者の若者との逢瀬のシーンで流れることで、夜明けが来たら去らなければならない幽霊の気持ちと見事に呼応していた。

が、作詞者のジェームズ・ウォン(黃霑)によれば、この歌は幽霊の気持ちを歌っただけの歌ではないらしい。実はこの詩は3年前の1984年にはすでに作っていたという(楊熙『香港詞人系列:黃霑』中華書局、2016年、100頁)。

1984年といえば、香港返還を正式に取り決めた中英連合声明が出された年。当時は共産党支配下の香港に不安を覚える人々が海外に移住しはじめていて、その中には自身の友人も多くいたから、その思いを込めたのだそうだ。

不許紅日 教人分開/悠悠良夜不要變改
紅い陽が 人に別れをもたらさぬよう/長き夜よ 良き夜よ 変わらないで

つまりこの歌は、共産党=赤い太陽による光復がもたらされることによって、人々が香港を離れてしまう不安を歌うものだったらしい。中国ナショナリズムの論理からは喜ぶべき返還に対するアンビバレントな感情を、夜に恋人との逢瀬を楽しむ人が夜明けに対して感じる微妙な気持ちを歌う歌詞に落とし込んで、さらにそれを幽霊と人間の恋愛を描く映画の挿入歌として再利用して抜群の名場面をつくりだしてしまったんだからすごい。まさに香港最大の天才作詞家ジェームズ・ウォンの面目躍如だ。

夜明けに対する微妙な感情は、同じ1987年リリースの逹明一派の『馬路天使』(街角の天使)でも歌われていた。この曲は、危険な夜の街の闇とネオンの中に「全てを忘れさせる」癒しを感じる主人公の気持ちを歌っている。

長路裡充滿是圈套 是苦惱
(細長い路地に満ちるのは 罠か 苦悩か)
或許會 是警告 誰料到
(あるいは警告か 誰にもわからない)
望著夜霧 任意拋開 每個勸告
(夜霧を見つめ あらゆる忠告をはね除ける)
黎明漸到 誰願意 誰願意 誰願意看到
(近づく夜明け 誰が 誰が見届けたいと思うだろう)

『香港にさかえあれ』のストーリーは単純で、闇の中にいる今の香港に光を取り戻すことを呼びかけている。そこではかつての光り輝く英領時代の香港が想起されているのかもしれない。けど、こういう歌詞をみていると、返還前の香港の人々は、徐々にやってくる「黎明」の前のつかの間の夜として当時の香港をとらえていたのかもしれないとも思う。

香港文化における「黎明」のメタファーは、そんなわけで、もっとちゃんと調べるとすごくおもしろそうなのだけど、ネットで検索するとレオン・ライ(黎明)ばっかりでてくるからなかなか調べ物が進まないでいる。

★9月14日追記

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やはり、こんなネタ画像も作られていた。映画『ダークナイトライジング』のポスターにレオン・ライの顔を合わせたもの。ちなみに梁天琦が引用している「黎明」についての引用はこの映画の前作『ダークナイト』に出てくるらしい。

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