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キャリアの悩み 最終話 就職活動の結末

思えばいつだって結末は当初の想定には全くないものだった。
本当に想定通りに行ったことと言えば大学受験くらいか。

大きなことも、小さなことも、とにかく想定していなかった方向に転がることが多いのは一般的なことなのか、それとも僕の仮説能力が低いだけなのか。

優勝できると思ったらできなかったり、負けたと思ったら勝ったり、つまらないと思いきや面白かったり、為になると思いきや為にならなかったり、まったく予想しなかった人と最終的には一番仲良くなったり、、、

僕はこのジンクスを結構信じている。
だから「第一志望」と設定した瞬間にそこには行けなくなるので、敢えてズラして自分に言い聞かせるという意味不明なこともよくしている。

なんだかんだ就職活動は長かった。4月のロンドンキャリアフォーラムから本格開始して、12/20の今日終わった。

幸いなことに4月時点で僕にはいくつか選択肢があった。


内定をもらってから何をやりたいのかを真剣に考えるようになった。

いや、正確に言えばイギリスで精神的に研ぎ澄まされる環境に身をおいて考えることが多くなった。

自分は何をやりたいのか。
自分はどんな人間になりたいのか。
自分はどんな人生を送りたいのか。

過去の自分を知っている者が周りに一人もおらず、人種も文化も価値観も違う地に一人でいると、自然と考えざるを得ないのだ。

そして中でも一層問いかけをしながらも答えが出なかったのは

「なぜ海外大学院進学を選択したのか」

というものだった。

そこには将来、国際開発に携わりたいからという理由は反射的に浮かぶが、なんだか納得感がない。だから一生懸命、価値観の拡張だとか人生経験だとかの他の理由付けをしようとしている自分がいた。この根本的な「やりたいこと」と表層的な「やりたいと思うべきこと」に致命的な乖離があったのである。

国際開発に人生を捧げるという「意思」がなかったのだ。
国際開発は「やりたい」テーマではなかったのである。
知的好奇心が強すぎて接するうちに「やりたいと思うべきこと」として自分の軸におくようになってしまったのである。

実はこのように認めることができるのは自分にとっては大きな一歩だったりする。

深層心理では存在していたものの、おそらくそれを認めるのが怖くて、必死に自分は国際開発に興味があるのだ、院での学びはちゃんと繋がっているのだと、無駄ではないはずだと自分に言い聞かせていたのだ。

ちなみにこのような「ごまかし」が悪いわけではないということは強調しておきたい。失礼千万で言うが、人生経験の浅い学生のほとんどの「やりたい・なりたい」など、程度の差はあれ「ごまかし」に過ぎないと思っている。そう思い込んでいるか、思い込みたいだけだ。しかしその「ごまかし」から人生の歯車は回るもの。やがてごまかしだったものが本物になることは多々あるものだと思う。

重要なのは自分でどれだけ本気で「ごまかす」つもりがあるのか、ということだ。僕のようにごまかしだと途中で気が付いても、うるせえ!こっちでやるって宣言したんだ、ここまで来たら今更後には引けねえ!、とそれを貫くのも素晴らしい決断だと思う。また、最初はなんとなくの「ごまかし」であってもその仕事に携わることでじわじわとそれが本当になっていく場合もあるだろう。いずれにせよ、それは紛れもない意思の強さだ。

しかし僕はそこまでの思い入れの強さを持ち合わせていなかった。何か乖離がある、本当にそれでいいのかと叫ぶ自分を封殺できなかった。

三菱商事は配属リスクと配属先で基本的に一生頑張るという働き方を堂々と告げられたので選択肢からなくなってしまった。ステータスはピカイチだが、仕事の面白さが最重要だった自分にとって社内で柔軟に立ち位置を変えられないというのは大きかった。(嫌なら辞めればいい、ブランド的にどこでも行ける、とは言われたがブランド的に行けても実務能力よりも人脈担当で仕事をする印象が残った)

自分のキャリア選択において非常に大きな岐路となったのがJICAの内定を受諾するかどうかだった。

その時残っていた内定はpwcとJICAだった。

JICAの内定者懇親会などには出席していたし、なんとなくJICAに行くのかなと考えていた。

なんとなく、というのはこの時はまだ戦略コンサルへの挑戦をまだ考えていたからだ。ほどなくしてBCGのジョブに参加して自分の限界を感じることになるが。加えてこの時からいわゆる「就職ランキング」よりも自分との整合性を真剣に考えるようになり、純粋に自分の自頭勝負では苦労すると考えるようになり戦略コンサルに行きたい欲も萎んでしまった。ただ一つ言えるのは戦略コンサルに行ける人というのは例え性格がどれだけ歪んでいようと手放しで尊敬してしまう。あそこに行けるのは地頭が良い人かビジネス経験の多い学生だけだろう。

戦略コンサルよりも僕を悩ませたのはpwcである。内定をもらってから知ったのだが、pwcにはCPIという都市開発やインフラ輸出を(他にもM&Aや事業再生などもあるが)をやっている部門がある。

ここがめちゃくちゃ魅力的なのだ。将来世銀や国連でUNDP系キャリアを積みたいのであればここは適正がバッチリだ。潰しが効く金融の知識を身に着けながら事業選定や事業モデル分析という専門性が身につく。しかもpwcはちゃんとした外資企業だからネームバリューもある。天才や原体験お化けではなく凡人が地道にインフラ系で国際協力に携わりたいのであればここは素晴らしいポストだ。

一方でJICAはJBICと並んで日本内におにける国際開発キャリアの王道と言えるだろう。
国際開発をやりたいならば誰しもが考える選択肢だと思う。しかしJICAに入る前によくよく考える必要があるだろう。JICAに関してはの詳細は別の記事「国際開発の呪い」にまとめておくのでここでは割愛する。要はJICAは国際機関への足掛かりとして考えるには悪くはないが後戻りが出来なくなる選択肢のように私は感じた。加えて言えば、待遇すなわち給与が低いことも正直かなり気になる点だった。多くの高給職の人たちにも会って思ったのは貰える対価の大きさは社会におけるその仕事の重要性やインパクトとは比例しない。単に親元の資金源と関わる仕事の大きさによって左右されるだけだ。

JICAの承諾期限が刻々と迫ってくる中、僕はひたすら苦悩していた。JICAに行くべきかpwcに行くべきか。将来の国際開発のキャリアを考えたらどちらが良いのか。モデルケースを色々調べたり話を聞いたりした。しかし、ずっと正体の分からない根本的な違和感が心の中にはあった。言うなれば「どちらにせよ残る違和感」だ。

JICA内定式前日、いよいよ回答締め切り日になって私は自分にとっても衝撃的な選択をする。それはJICAを辞退するということだが、衝撃的だったのは辞退という選択そのものよりも、この瞬間に自分が正直に思ったことだった。

「人生をかけて国際開発をやりたいのか分からない。」

この正直な結論を出すまでに時間が掛かった。
いや、これを自分で認めて受け入れることにとても長い時間がかかったと言う方が正しいかもしれない。

自分でもびっくりだった。自分がやりたいこととして今までずっとごまかして来れたのに。いざ、決断という場面になって本音には逆らえなかった。

これはpwcにも言えることだ。別に国際開発が絶対的なゴールではなくなった以上、pwcという選択肢は完全に消去法になってしまう。行ってもいいけど、「行くぞ」という気合がどうしても湧いてこない。

ここで重要なのは「分からない」ということを一度受け入れて認め、自分と正直に国際開発のキャリアとどう向き合いたいかを偽りなく整理するステップを挟むことができた点だった。

世の中が内定式だと話題の10月1日、僕は就活エージェントに個別相談をしに行っていた。内定式に出席してきたのか、就活中の学生なのか、スーツを着た多くの若者を横目に見ていた。本来はJICAの内定式を出ていたはずの自分と重ねて合わせてしまい、改めて自分が何をしているのか呆れに近い感情で途方に暮れていた。

自分が何をやりたいのか。

そこはもっと緩く捉えてもいいのだと考えるようになった。

ここまで引きずられるのだから、おそらく公共性や社会性の高い仕事はしたいのだろう。しかしそれだけに留めてこれ以上の具体化はとりあえず保留することにした。


僕にはうっすら頭に残っていた会社があった。
イギリス在学中、スカイプで親友に就活相談をした時に「合っているかも」と教えてもらった会社、DeNAである。その後採用ページを見てみると、この会社はあなたに合っていないかもとか、万人受けする会社ではないという警告が出てきて、面白いなと思った覚えがある。とりあえずマイページ登録はしておくかということで、それ以来全くアクションを起こしていなかった。

その就職エージェントには洗いざらいぶちまけて、小さな日系コンサルを何社か紹介してもらったがそこ行くならpwcの方が良いなと感じていた。ただ、親身に話を聞いてもらったことは自分にとっての整理にもなった。その会話の中で偶然DeNAの名前が向こうから出て、そういえばそんな会社あったなとふと思い出したのである。しかしDeNAの情報収集をするにしても今更この時期(2019年10月)に20卒対象の会社説明会やイベントはなさそうだった。社員に直接聞くのが手っ取り早いと考えてエージェントにDeNAと繋いでもらえるか、とダメもとで頼んでみた。少しの期間を空けて意外にも調整できるという返事をもらうことができた。ものごとはやっぱり聞いてみるものだ。

日本で普通に就職活動をしていたら想像しにくいのかもしれないが、海外大学への正規留学生の就職では「あなたの会社は何の会社ですか?」というスタンスで企業に臨むことは珍しくない。海外の院生となると、「すみません情報収集がなかなか大変で。。。」と言えば日本から来た企業の方はさぞ大変なのだろうとおそらく実態以上の苦労を推察してくれる。面接官には会社のことを説明してもらって、その上で私はこんな人間なんですけど合いますかね、といった流れで話を進めることは(私は)多かった。

そのようなものだと思い込んでいたので、DeNAにもそのままの姿勢で会った。というかDeNAに関しては本当に何も知らなかったので偽り無く情報収集の目的が大きかった。まあたぶんpwcに行くことになるんだろうけど、社会勉強のためにも、話は聞いてみたいという程度だった。しかし、最終的にはかなり興味が湧き、社員さんに選考に進むかと聞かれて迷わず頷いた。

ここで選考の詳細を書いても特に意味はないと思うので割愛しよう。

ただ1つだけ忘れられないエピソードがあったのでそれだけ書いておきたい。前述の面談の後にもう一人事業部で活躍されている若手の社員さんとランチを設定してもらった。
ご飯を食べ終えた後、オフィスに戻る道中、ふいに「今ここで、内定出したらどうする?」と聞かれた。

今もここの問答が忘れらない。冷静に考えれば意地悪なことを訊くなぁとも思うが笑、それよりもこの時の自分の答えがダサすぎて悶えてしまう。

「…それはどういう意味ですか?」

ダッセーーーーーーーーーー

このあと更に5秒ほど考え、この時点で自分に期待してくれるならこちらを取ろうとpwcと天秤に掛け終えて「もちろん承諾しますよ」と付け加えたが、社員さんはふーん、とつまらなそうに反応した。

10秒程度のやり取りだが、自分という人間が詰まっていると思った。



約2週間ちょっとの間で内定を貰うに至った。
院進から数えれば1年以上就職活動をしてきて最後の一ヶ月で全く考えもしない新しい選択肢が出てくることになろうとは。

とにかくDeNAには多くの「対話」をさせてもらった。僕が何を考えて何を求めて生きてきたのか、社員一人一人が何を価値を感じ、どのように生きてきたのか。この繰り返される対話の中で、自分という人間とようやく正直に向き合うことができるようになった。私がDeNAに現時点で最も感謝しているのは、内定を出してくれたことではなく、自分という人間に向き合うために多くのリソースを割いてくれたことである。このような、内面に向き合おうみたいな面談はいくらでもやったことがある。しかしそれが腹落ちしながら自分の理解に結びつくには対話相手がある程度の経験を積んだ「哲学者」でなければならない。彼らに共鳴したり感化されるという感覚とは全く異なる。むしろ自分には理解できない、真似できないと生きている人が何気なく放つ一言がその対照に立つ自分に閃きを与えることが大きい。DeNAの社員に限らず、商社のあるマネージャー、キャリアフォーラムで偶然知り合った友人もそうだった。

DeNAとpwcの内定を並べて、ここで再び岐路に立つことになる。JICAの時と同じだ。私が就職活動中に最も苦悩したのはこの二つの分岐だが、ここでの選択がより自分を作り上げていくものになっていくだろうと感じる。これはDeNAに行ってできる自分という意味でなく、JICAを「捨てる」外資コンサルを「捨てる」という選択が出来る自分になったということだ。伝わっていないと思うが。

DeNAとの対話の中で自分への理解が深まるにつれてこれは「決断」の問題だということに気がついた。私は情報を客観的に見ることには自信がある。そしてDeNAも正直に僕をさらけ出してくる。なのでその過程で自分とDeNAがマッチしているところ、マッチしていないところ、pwcとマッチしているところ、マッチしていないところが自明になってくる。

簡単に言ってしまえば、マインドや性格はDeNA、能力はコンサル、なりたい姿・在りたい姿はDeNA、キャリアのストーリーはコンサル。よく使った表現だが左脳はコンサルに行くべきと説き、右脳はDeNAに行けと諭す。
DeNAとpwcの双方から言われたことだが、たぶんどちらに行ってもある程度の幸せはある。さぁ、どちらだと。

なぜ僕がDeNAを選んだのか。そしてその選択にどのような不安を抱えているかを未来の自分のためにも記しておこう。

・将来からの逆算ではなく今からの積み立てで生きていく

私は、殊自分に関しての「将来こうなりたい・これをやりたい」というのは信用していない。そして能力に関しては新卒なのだからこれから必死で適応するように伸ばしていけばよいだけだ。だから現能力・キャリアの観点でコンサルに行くべきだという主張はあまり納得感がない。

目標に全く曇りがなく、明確に、絶対的に、そして具体的に定まっているなら逆算の方が確かであろう。しかし個人的には人生二週目とかじゃない限りそんなに正確に見極めることは難しいと思う。必要な軸は揃えて、あとはその時その時のチャンスややりたいことに適応するべきだと思うようになった。というかまだ実態を知らぬ10年目のために9年間何かを信じて頑張るより、1年ずつ実態を把握しながら次の数年を考える方が正確だと思うようになった。

・自分ごととして仕事ができるか

私には昔から変わらない性格がある。それは「自分の生んだもの、関わったものを徹底的に愛する」ということ。自分で自分の事業に責任を持って、悩み抜いて、誰かの・社会の価値を創造する。これをやるには、事業を自分で持っていて、なおかつその事業の運営規模が小さく自分の影響範囲をどんどん広げていける環境が良い。なるべく会社としては大きいけどチームは少数精鋭、自分で事業を持っている会社、所謂メガベンチャーであるDeNAを選択した。

そしてこの裏返しはコンサルへの能力的な適正とも関係がある。私は「自分ごと」ではないことに関しては心から本気にはなれない。クライアントを客観的に分析し情報を整理し、提示することには自信があるから、そこまでで割り切ってしまって済む程度の量産型コンサルであれば適正があると思う。しかし、コンサルとして突き抜けるにはそこに加えて、いかにクライアントの問題を自分ごととして悩めるかだと思う。自分の場合、クライアントが決断の極地に立つ時に寄り添ってあげられる自信がない。クライアント側に最後の一番大事で重い責任は押し付けてしまう気がする。コンサルとして突き抜けるにはそこクラインアントの責任も本気で背負う覚悟で寄り添うことなのではないだろうか。にもかかわらず、私は結局「自分の知らない意思」から生まれ進んでいるプロジェクトに対しては本気に思えない。「何かをしたい」というクライアントに対して選択肢を精査して提案できる自信はある。しかしその意思決定の先に話には心底興味がない。なぜならその「したい」に自分は関わっていないからだ。そこにも関わるコンサルのあり方もあるかもしれないが、そこまでくるとそれはもうコンサルではなく経営者だ。「そつなくこなすコンサルタント」にはなれるかもしれない。ただ、私が尊敬するような「プロフェッショナルとしてのコンサルタント」にはなれないと感じたのだ。


・「価値」とオリジナリティを考え抜く
就職活動をしていく中で思ったのだが、「価値」について考えることができるポストというのは意外にも少ない。その中で「自分が作る価値」について頭を悩ませることのできる職務はさらに少ない。どんな仕事であろうとビジネスとして成立している以上、そこには間違いなく何らかの価値が存在する。しかし与えようとする価値が普遍的であればあるほど、あるいは主体者が大きければ大きいほど、個人が仕事として携わるものは細分化される。やがて提供価値というよりは「自分の役割としての価値」に視野が引っ張られてしまう。

自分の役割としての価値に引っ張られるとどうなるか。職務に個性が侵されるのである。個性を職務に適用するのでなく、職務を個性に適用するようになる。仕事の中でその人が生み出す価値は、「その人だから」生まれるものではなくなり「その役割が生み出す価値」となる。つまり人が変わってもさほど関係がないほど細分化されている。

僕にとって、個性は価値創造の重要な要素だと思っている。この文脈で語る個性をオリジナリティと呼ぶのだと思う。オリジナリティの文脈で優劣はない。あるのはそれを形として昇華させるための能力の差異のみだ。私がDeNA、というかベンチャー気質のある事業会社に惹かれたのはこのような「オリジナリティ」について実際に悩みもがいて追求している社員を見て羨ましいと思ったからである。多くの場合、普段仕事において自分のオリジナリティなど考えすらしないのに。ユーザーにとっての価値は何か、そこに自分が創造できる価値は何かという自問を繰り返すことができる環境は魅力的であった。


・「個人」として確立する

就職活動を通して、一つ自分に失望したことがある。それは自分の在り方を他者からの承認や評価によってしか確認できないことだった。精神的にかなり大変なのではやくそのような状況から脱却したかったのだが、これがなかなか大変だった。いやまだ完全には抜け切れてはいないであろうから大変である、と言いなおしておこう。

時々、我が道を行く信念の強い?人に会うことがある。我が強いのではない。周りに合わせられるとか、合わせられないとかそういう話ではなく、「私は私、あなたはあなた」を地で行く人だ。「あなたはあなた」はまだ割り切れるとして、「私は私」を腹落ちさせるのはすごいことだと思う。彼らには彼ら自身の哲学がある。何か「覚悟を済ました」ような雰囲気がある。

彼らをそのように足らしめているものはなんだろうか。

それは「決断」ではないかと、個人的に思っている。
分析や論理的帰結によって導き出され、客観的な正しさが保証されている絶対解とは異なる。不可逆な選択の問題。それも前例や周りの答えが見えない状態での選択。普通はこうする、
こうする人が多い、今までこうしてきた、そういうものがアテにならない選択。

どの選択肢についても分析は終わった。それぞれのメリット・デメリットはもう分かっている。後で変えることはできない。リスクも大きい。
さぁどうするか。

こうして行われる「決断」こそがその人を個人として確立させていくのだと思う。ロジックではない、その選択をした人間として、そしての選択の上でまた懸命に踏ん張りまた決断を重ねていく。

そうやって客観的な「正しさ」や「正義」から独立して自分の哲学が形成されていくのではないかと。

DeNAで若くしてそのような気配を感じる社員はやはり事業家として「決断」をしてきたようだ。選んだ選択肢を自分の責任で「正しい」とされるように頑張るその姿勢は純粋に格好が良かった。


・不安なこと:DeNAの先は・・・?

分かっていたことではあるが、DeNAを選んだことによって私のキャリアプランは完全に見えなくなってしまった。先が見えない。10年後何をしているのか、検討もつかない。こればかりはどうしようもない。これからの自分頑張れ、としか。ただこれだけは言っておきたい。今までそうしてきたように、後から振り返っても「できることは全てやった」と言えるようにしてほしい。そして常に視座を高く、会社や環境に世界観・価値観を閉じずに過去と現在と未来で面白い絵を描けるように思い悩んでほしい。

さて、どうなることやら。

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