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農民芸術の文脈と批評――宮沢賢治「農民芸術概論綱要」の続きを書く

佐々木友輔『映画愛の現在 第Ⅰ部/壁の向こうで』パンフレット(揺動BOOKS01)収録、揺動、2020年、12〜17頁

鳥取銀河鉄道祭

 『映画愛の現在』の制作は、鳥取県総合芸術文化祭・とりアート2019のメイン事業「鳥取銀河鉄道祭」の一環として始まった。公式ウェブサイトによれば、これは「宮沢賢治の名作『銀河鉄道の夜』を題材にした音楽劇」であり、舞台公演のみならず、映像リサーチやワークショップ、フリーマーケットなどを通じて「県内様々な地域での活動や人々の暮らしを星座に見立てた88のトピックスで紹介」していくというもの。「職業芸術家は一度滅びねばならぬ 誰人もみな芸術家たる感受をなせ」(「農民芸術概論綱要」)と訴えた賢治の芸術と思想に共鳴し、そのユートピア的世界を現実化するための活動を続けてきたダンサー、木野彩子さんによる念願の企画である。

 鳥取銀河鉄道祭の本番に向けて、あらためて「農民芸術概論綱要」を読み返してみた。そこで気づいたのは、農民芸術の「産者」についての言及と比べて、農民芸術の「鑑賞者」への言及があまりにも少ないことである。賢治が夢見た「すべての人が芸術家である」世界の到来は、芸術家と作品の飽和という深刻な副作用をもたらした。どれだけ多くの芸術作品が生み出されても、それを受け取る鑑賞者の数が圧倒的に足りていないのだ。賢治は「創作自ら湧き起り止むなきときは行為は自づと集中される/恐らく人々はその生活を保証するだらう」と述べたが、現実に生活が保証されたのは一握り。もちろん「職業芸術家」だってまったく滅びる気配はない。誰もが芸術家になれたとしても、誰もが「デクノボー」――褒められもせず、見られもせず、それでも芸術を生み出し続ける純粋無垢な存在――になれるわけではないのである。

 そこで私は考えた。宮沢賢治の理想をほんとうの意味で実現するためには、農民芸術を受け取ることができる、新たな「鑑賞者」を生み出さなければならないのではないか。「農民芸術概論綱要」の続きを書くこと。新たな項目「農民芸術の鑑賞」を書き加えることが必要ではないか、と。その準備作業として、本稿では映画の「自主上映」活動を論じることから始めたい。

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