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ミュージックビデオの身体論④ カメラレス・ダンス
4. カメラレス・ダンス(目次)
4-1. 絶対映画と視覚音楽連載の前回(ミュージックビデオの身体論③ 映像そのものがダンスする)は、ハービー・ハンコック『Rockit』(1983)やコールドカット&ヘスタスティック『Timber』(1997)など、身体としての映像そのものがダンスを踊っているかのような作品群を「映像のダンス」と名づけることで、アーティスト自身がダンスを踊る姿を直接的に撮影・記録し
あなたに映画を愛しているとは言わせないなんて言わせない
2022年2月12日(土)に恵比寿映像祭で『映画愛の現在』三部作が上映される。「映画愛」と銘打ってはいるが、特定の「愛」のかたちを鑑賞者に押し付けることを意図したわけではない。むしろこの映画が訴えかけるのは次の一言だ。
「あなたに映画を愛しているとは言わせない」なんて、絶対に言わせない。
いびつな愛高校時代から個人制作の映画を撮り、作品論や作家論も書いてきたわたしにとって、映画を見ることはいつ
ミュージックビデオの身体論① 多面的で全体的なイメージ
1-1 MVを通じて「身体」を考える人は何を求めてミュージックビデオ(MV)を見るのか。そこから何を受け取り、何を引き出すことができるか。答えはそれぞれ異なるだろうが、私はこれから、「身体」というキーワードを軸としてMVを見ることを始めてみたいと思う。
動機は個人的なものだ。つい最近、ちょっとしたMVを撮る機会を得て、準備を進めながら「そもそもMVとは何だろう」「自分はMVのどこに惹かれていたの
ミュージックビデオの身体論② 顔とクロースアップ
2-1. 演奏する身体のクロースアップ楽曲を演奏・歌唱するアーティストの身体は、多くのMVにおいて作品の中心的な役割を占めている。ボーカルの歌う表情やギタリストの弦を爪弾く手元、リズムを刻む足元や演奏中の些細な仕草がクロースアップで切り取られ、画面上に映し出される。1916年にいち早く本格的な映画論『映画劇——その心理学的研究』を著したことで知られる心理学者ヒューゴ・ミュンスターバーグは、映画が舞
もっとみる地方映画史研究のための方法論(2)ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』
見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト「見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト」は2021年にスタートした。新聞記事や記録写真、当時を知る人へのインタビュー等をもとにして、鳥取市内にかつてあった映画館およびレンタル店を調査し、Claraさんによるイラストを通じた記憶の復元(イラストレーション・ドキュメンタリー)を試みている。2022年に第1弾の展覧会(鳥取市内編)、翌年
もっとみる「方法」としてのドキュメンタリー(巡回上映「現代アートハウス入門 ドキュメンタリーの誘惑」を見る)
2022年12月3日(土)から、jig theaterで「現代アートハウス入門」第三弾の上映が始まりました。今回のテーマは「ドキュメンタリーの誘惑」ということで、私は初日にドキュメンタリー史のガイドを兼ねたレクチャーを行いました。以下は、当日お話しした内容をざっくりまとめつつ、加筆・再構成したものです。
ジャン・ルーシュ『人間ピラミッド』先ほどご覧いただいた『人間ピラミッド』(1961)の監督ジ
かんのさゆり「New Standard Landscape」於 石巻のキワマリ荘
2022年3月、石巻のキワマリ荘でかんのさゆりの写真展を見た。以下、備忘録として残しておく。いつか機会があれば、前回の西澤諭志展と併せてもう少し丁寧に論じてみたい。
まだ目立った汚れもない、清潔で真新しい外壁材が印象的な住宅地。アスファルトとコンクリートで塗り固められた地面。茫漠とした荒地を覆うブルーシート——。かんのさゆりが「New Standard Landscape」と呼ぶ風景は、彼女が東