かつての産業革命のラッダイト運動はなぜ終わり、賃金が上昇に転じたのか 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.831
特集1 かつての産業革命のラッダイト運動はなぜ終わり、賃金が上昇に転じたのか〜〜〜「AIが仕事を奪う」論をもう一度じっくり考えよう(5)
1760年代から1830年代にかけてイギリスで起きた産業革命は、それまで手工業で行われていた綿織物の製造を機械化された工場へと移行させました。最初は手動の機械、ついで水力、そして蒸気機関へと動力は進化していきます。これによって仕事を奪われた人々によって、紡績機械を壊して回るラッダイト(機械打ち壊し)運動が巻き起こったのは有名な話です。
ところで産業革命は、1800年前後のイギリスで起きただけではありません。細かく分けるとイギリスでのこの時期の産業革命は第1次産業革命と呼ばれており、その後の1870年ごろから20世紀初頭にかけてアメリカで起きた技術革新が第2次産業革命と呼ばれています。ガソリンエンジンで動く自動車や電力の活用、ラジオや映画や録音機、飛行機など20世紀のわれわれの生活文化の基盤となったさまざまなテクノロジーが生まれた時代です。
しかしこのアメリカの第2次産業革命では、ラッダイト運動は起きませんでした。人々は第2次産業革命には反対しなかったのです。なぜでしょうか? イギリスでの第一次産業革命とは何が異なっていたのでしょうか?
実はこの謎は、現代の「AIは人の仕事を奪うのか?」議論につながっているのです。そこで産業革命が引き起こしたさまざまな社会問題を振り返りつつ、この謎について考えていきましょう。
「エンゲルスの休止」という有名な経済学用語があります。エンゲルスは、カール・マルクスとともに「資本論」を書いたあのフリードリヒ・エンゲルスです。産業革命が起きた当時のイギリスでは、GDPは増加していきましたが、実質賃金は停滞したままという現象が長く続いていました。これをエンゲルスが指摘したことから、エンゲルスの休止と呼ばれているのです。
容易に想像できると思いますが、エンゲルスの休止が起きた原因は、綿織物などの人の仕事が紡績機に奪われ、失業したり賃金が増えなかったりということが起きたからです。経済成長の果実は、産業革命をいち早く導入して工場を運営した資本家の手にわたり、一般労働者には分配されませんでした。
先週も紹介したこの本では、産業革命時の仕事のありようについてこう指摘しています。
「産業革命初期の仕事は、正規の教育をまったく受けていなくてもできるようなものが多かった。工場に雇われるときに字が読めなくても、さほど(あるいはまったく) 問題ではなかったのである。もちろん、工場で働くうちに実地で身につくスキルはあっただろう。だがそれは、職人のスキルに比べたらごく低級なものだった。工場制が導入される前は、どの職人も自分が引き受けた仕事は何から何まで精通していなければならなかった。職人の工房には分業など存在しないから、どれか一つの作業に習熟していればよいというわけにはいかない。対照的に工場制の特徴は分業であり、とくにむずかしい作業は一握りの熟練工が担当し、あとの大多数の作業は未熟練工が引き受けることになる。工場制の出現に伴って子供が大量に雇われるようになったのはこのためだ」
機械の導入によって職人的な仕事が必要なくなり、単純労働になってしまった。この結果、安い賃金(どころかほとんど無給に近いほどの低賃金で)子どもが大量に雇われるようになり、社会全体での実質賃金の著しい低下を招いてしまったのです。
これによってエンゲルスの休止は、18世紀の終わりから19世紀の半ばまで長く続きました。しかし1840年代になると、エンゲルスの休止は終わりを告げます。労働者の賃金が経済成長に合わせて上昇し始めるのです。なぜエンゲルスの休止が終わったのでしょうか。
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