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20年近くも離れていた登山に、わたしが突如として戻った理由 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.837


特集120年近くも離れていた登山に、わたしが突如として戻った理由〜〜〜登山というアウトドア遊びを再定義する試み(2)



年末も押し迫ってきました。あと二週間で正月休みに入り、28日が土曜日なので今年はまるまる9日間休めるという人もけっこういらっしゃるのではないかと思います。


年末の特別シリーズで、前回に引き続いて山登りの話。わたしがどのようにして現在の「フラット登山」というスタイルに行き着いたのかという登山遍歴をお話ししていきます。


前回も書いたように、大学時代はほとんどキャンパスに近づくこともなく、年間100日は山に入り、残りの100日はアルバイトに明け暮れるという日々でした。


山に夢中になっているあいだに、またたくまに学生生活は過ぎていきます。大学の授業にはほとんど出ておらず、そうなると当たり前ですが単位はまったく足りませんでした。気がつけば学生生活は6年目に入り、かつての同期生たちはとっくに社会人になっていました。これはもう卒業する見込みはないなと見切りを付けて、学歴不問で就職させてくれる会社の試験を受けることにしたのです。それが毎日新聞社でした。


26歳の遅咲きで新聞記者になり、体力だけはありそうに見られて、警察担当を延々と務めさせられることになります。最初は岐阜県警、そして愛知県警、最後は警視庁捜査一課。事件記者と言えば当時はカッコよく思われた時代ではありましたが、あまり頭脳は使わなくても良く、ひたすら頭を下げて情に訴えてネタをもらう仕事でした。しゃべりたくない人に気持ち良くしゃべってもらうノウハウだけは身につけることができました。


30代はじめぐらいまではなんとか登山を続けていましたが、東京社会部に異動するころには目が回るほど多忙になり、寝る時間もほとんどとれないほどで、山に登る余裕などまったくなくなります。登山道具の大半は処分し、でも長年愛用していたシャルレのアイスアクス(当時はピッケルと呼んでいた)だけは捨てきれずに、その後もずっと自室の飾りになっていました。


以来、まったく登山とは縁のない暗黒時代が続きます。


もう一度山に戻ってきたのは、40歳台も終わりに近づいていた2010年ごろのことでした。新聞記者を辞め、その後に転職した出版社を通過してフリーランスのジャーナリストになり、7年目に達しようかという時期です。そのころツイッター(現エックス)が流行りはじめていて、ある日「ツイッターのアイコンを描いてあげます!無料で」と募集していた女性イラストレーターを見つけました。彼女のその投稿をシェアしたのが、実は登山を再開するきっかけになったのです。


南暁子さんというその彼女はそれから数百人もの人たちのアイコンを描くようになり、いまもわたしがエックスで使っている黄色いアイコンも南さんの作品です。そしてアイコンを描いてもらった人たちの中から「みんなで集まってみたい」と声が上がり、2010年の秋、今はもうなくなった世田谷の瀬田温泉に集まってささやかなパーティーを開いたのです。


その会には「アイコンミーティング」と命名され、突如として100人以上の仲間ができました。運とは実に不思議なものだなあと思います。そしてこのアイコンミーティングが、登山への道を再び開いてくれたのです。


アイコンミーティングはパーティーだけでなく、同好の者がそれぞれ集まってバスケットボールをしたり、サイクリングをしたりと分会が登場していました。その中に登山をするグループも現れ、それにわたしも誘われたのです。


わたしはそのころは登山に「今さら?」感もあってさほど積極的ではなかったのですが、中央アルプスの木曽駒ヶ岳や八ヶ岳の天狗岳などいくつかの山行に参加し、「お!意外に自分にもまだ体力がある」と思い始めるようになります。その時期、友人に誘われて奥志賀に出かける機会がありました。


スキー場で有名な熊の湯から登り、志賀山の山頂直下にある四十八池の湿原をぶらぶら歩こうというコースです。標準コースタイムは3時間足らずで、気楽に登れそうでした。初夏に近い季節でしたが、熊の湯から上がってみるとなんと山はまだ雪に埋もれています。登山道は雪の中に消えています。


これは無理だ、帰ろうかと一瞬は思いました。しかしすぐに「いや、昔は雪山でも普通に登ってたじゃないか」と思い直します。おまけに天気は快晴。持って来た紙の地図をにらみながら現在地の地形を考え、数十メートルほど上に見えている稜線にラッセルして上がって位置を確認します。そうやってルートファインディング(登ることが可能なルートを見つけ出すこと)しながら進み、無事に四十八池にたどり着いたのです。


わずか一時間ほどの短い行程でしたが、雪の中に湿原と木道を発見した時には、小躍りしたい気持ちになりました。「まだ登れる!まだ登れるぞ!昔の感覚は衰えてなかった!」


三つ子の魂百まで、ということばがあります。若いころにやりこんだものごとは何であれ心身の奥深くに刻みつけられていて、そうかんたんには消えてなくならないのです。ルートファインディング以外にも、たとえばクライミングのロープワークなどもそうです。クライミングから離れてもう30年以上になりますが、いまだにプルージックやブーリンなどのロープワークは身体が覚えています。体力や瞬発力はさすがに衰えますが、しかし習慣づけられた脳の挙動は記憶に刷り込まれているのです。

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