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普遍的な理念を持たない日本人にとっての「理念」とはなにか 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.841


特集1 普遍的な理念を持たない日本人にとっての「理念」とはなにか〜〜〜「メンテナンス民主主義」という方向を検討する(4)



新年に放送されたNHKスペシャルの「新ジャポニズム」が、ネット上でも大きな話題になっていました。


★NHKスペシャル 新ジャポニズム 第1集 MANGA わたしを解き放つ物語 −NHKオンデマンド


日本の漫画やアニメが、海外で単にブームになるだけでなく、文化的にも大きな影響を与えているという内容です。上記のNHKオンデマンドから有料(単品は220円)で視聴できるのでぜひ観てほしいと思いますが、この中で私が注目したのは、ジンバブエで日本風の漫画を書いている男性が「ONE PIECE」の大ファンだと語るシーン。彼はこう話すのです。


「アメリカは個人個人個人。でもワンピースの日本は、小さなコミュニティの集まりだと思う」


またアメリカの日本文化研究者として有名なスーザン・ネイピアさんも登場し、こういう趣旨のことを語られています。


「いまはあらゆるところに苛立ち、脅威があり、絶望的な世界。『末永く幸せに暮らしました』的な物語を描くハリウッドモデルを信用できなくなっている。そういう中で、日本のカルチャーへの関心が高まっているのだと思う。日本の漫画やアニメは、より深く心情や内面を描いている。英雄ではなく、親近感がありリアリティがあり、共感できる主人公が登場する」


わかりやすい英雄崇拝ではなく、共同体的な感覚を大事にしているというのは日本の漫画・アニメ文化の特徴のひとつになっています。この背景には、ひとりの英雄の活躍ではなく、たくさんの職人たちで支えていくという運用的な視点を大事にする日本社会の特徴も背景にあるのかもしれません。


2016年の庵野秀明作品「シン・ゴジラ」が多くの日本人に共感を持って観られたのも、英雄がゴジラを倒すのではなく、霞が関のはぐれ者の役人たちが集められた「巨大不明生物統合対策本部(巨災対)」が活躍するという設定にありました。巨災対を省庁の会議室に設置するというので、たくさんのコピー機が集められ、というシーンを覚えている人も多いでしょう。「日本人はコピー機で戦うんだ!」


日本のこのような「仲間意識」的な共同体感覚は、いったい何に依拠しているのでしょう。なにか日本独自の普遍的な理念があり、その理念に基づいた共同体の価値観なのでしょうか?


この問題については、近代に入ってから幾多の思想家や文学者が挑んできたテーマでもあります。しかし百年以上の月日を経て、誰も日本の普遍的な理念など発見できませんでした。そのかわりに指摘されてきたのは「日本人を縛っているものは理念ではなく、世間」「お天道様が見てるぞ、的な価値観が日本人の基調にある」「日本人の行動を決めているのは空気」といった言説です。


結局は「世間」「お天道様」「空気」などという漠然とふんわりとしたものが日本人の行動を律しているのあり、そこには言語化できるような理念は存在しないということなのでしょう。


もう一本の補助線を引いてみましょう。日本の宗教観とは何か、という議論もあります。お葬式は仏教でという家はいまも多くあると思いますが、「葬式仏教」ということばもあるように、仏教は日本の一般社会では葬儀のための儀式としてしか存続していません。色即是空とか衆生を救うとか、仏教のそういう理念を心に留めて生きている日本人など一部の僧侶のかたを除けばほとんど皆無といってもいいのではないでしょうか。


では神道はどうなのか。そもそも神道は宗教なのかという疑問もあります。宗教の三要素は「教義、実践、所属」ですが、神道には教義も所属もありません。あるのは「二礼二拍」のような儀式の実践だけです。神社に対してわれわれは漠然と「パワースポットは心が洗われるねえ」「神社には神様がいるねえ」というような気持ちよさへの期待を持っていますが、それがわたしたちを律し、わたしたちのよりどころとなる宗教なのかといえば、かなり疑問でしょう。


そのように解きほぐしていくと、仏教も神道も日本人にとっては強い宗教たり得ない。そこで最近わたしが考えているのは、日本の生活文化こそが日本人の宗教なのではないか?という問題提起です。


12月に公開されたこのドキュメンタリー作品は、東京・世田谷の公立小学校を長期取材し、日本の小学校でどんな教育や生活指導が行われているのかを描いています。子どもたちの愛らしいシーンや先生たちの熱情が伝わってきて心温まる作品なのですが、この小学校での教育や生活指導そのものは日本人にとっては見慣れた風景であり、さほど感動するものではありません。


ところが驚かされるのは、この映画が欧米で高い評価を得ているということです。なんとフィンランドでは20館の拡大公開となって大ヒットしているのだとか。


その理由は、描かれている小学校の生活指導にあります。教室の掃除や給食の配膳などを子どもたち自身がおこなっているのですが、この日本式の生活指導が欧米では驚異的に映るのだそうです。靴箱に並べられた靴の数々を子どもたちが協力してきれいに整然と揃えていく姿など、たしかに実に日本的な秩序意識です。


かつてはこのような公衆道徳や秩序意識は、当の日本人からも「古くさい」「秩序の押し付け」とあまり好ましく思われていませんでた。昭和のころは、このような生活指導自体が全体主義的な管理教育だとして批判されていたのです。ところがこのような生活文化が、いまや北欧からも評価されている。


こんなニュースもあります。




「エジプトにある『日本式小学校』では、普通の学校にはない、生徒による掃除が行われているほか、日直や学級会など日本の教育モデルが導入されています」

「日本式の小学校、ヤスミン・アミン校長は『子どもたちは部屋の片付けをしたり、母親を手伝ったり、兄弟を尊重するようになりました。すべてここでの教育の成果です』」

「こうした取り組みは、エジプトのシシ大統領が2016年に日本の学校を視察した際に、生徒たちの協調性や社会性に感銘を受け、エジプトにも導入することが5年前に決まりました。この日、現場を視察した日本の教育関係者もその徹底ぶりに驚いていました」


日本の小学校がこのような教育を行っている背景には、現代日本社会の独特の生活文化があるのは間違いありません。それはひとことで言えば「秩序意識」というようなものでしょう。電車のホームではドア前にきちんと並ぶ。混んだ車内では、リュックサックを前に持つ。ゴミ箱がなければ、ゴミは自宅に持ち帰る。このような「実践」があり、それらの実践の集大成は、小学校などの生活指導や教育に体系化して「教義」として採り入れられる。それらを守ってこそ「われら日本人」という「所属」の意識を持つことができる。三要素を備えており、これは宗教そのものではないでしょうか。


(次号に続く)


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