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いま地方の「交通の便」はどういう状況になっているのだろうか  佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.820


特集 いま地方の「交通の便」はどういう状況になっているのだろうか〜〜〜50年後の未来を想像するためのレッスン(3)



2000年代に入ってからのこの四半世紀は、テクノロジーの進化の観点から見ると、19世紀終わりに非常に似ていると言われています。


19世紀末、特に1860〜80年代ごろにテクノロジーの急速な変化が起きました。電気を使った電信機や電話機、電球が発明され、自動車が発明されました。さらに上水道、映画、蓄音機など、現代の生活を彩るさまざまな技術はこの時期に生まれてきたのです。18世紀にイギリスで起きた蒸気機関による産業革命に続くものとして捉えられ、19世紀末の一連のテクノロジーの進化は「第二次産業革命」とも呼ばれています。


20世紀に入るころには、さらにさまざまな発明が爆発的にやってきました。エレベーター、家電、自動車、トラック、飛行機、高速道路、スーパーマーケット、テレビ、エアコン。このように並べてみるとわかりますが、21世紀の現代のわれわれの生活は、近年のコンピュータやインターネットなどの情報テクノロジーを除けば、十九世紀末の第二次産業革命の産物にほとんどを負っていると言えるでしょう。


2010年代は、この第二次産業革命期によく似ています。既存のテクノロジーの改良だけでなく、まったく新しいテクノロジーが次々と生み出されているからです。生成AI、自動運転、ドローン、デジタル通貨・暗号資産、メタバースと並べていけばおわかりいただけるでしょう。


これらの先端テクノロジーは、未来の社会に大きな影響を与え、次世代の社会の基盤になりそうなものばかりです。生成AIは先日の株価暴落で「AIバブルが終わった」などと揶揄されていますが、これはガートナー社がハイプサイクルという概念で説明した「新しいテクノロジーの熱狂期→幻滅期→本格的な普及」というプロセスの一局面にすぎません。いずれは生成AIはスマートフォンだけでなくあらゆる機器に浸透し、わたしたち人類の得がたい伴侶になるのは間違いありません。人類を超えた知能を持つという地平さえも見えてきています。21世紀最大の発明と後世に呼ばれるようになるだろうとわたしは考えています。


また自動運転は移動という行為を民主化し、都市と地方の関係さえも変える可能性を秘めています。ドローンは物流や軍事に大きな影響を与え、デジタル通貨は消費や金融のシステムを一変させます。メタバースは、わたしたちが生きる物理世界とはまた別の新たな世界を生み出します。これらの技術進化が実現すれば、どのような変化を社会やライフスタイルにもたらすのでしょうか。


この想像をたくましくするには、19世紀末の第2次産業革命が、20世紀の社会をどうつくりあげたのかを振り返ることが参考になるはずです。ここでは上記の最新テクノロジーの中から、自動運転を取りあげてみましょう。自動運転が実用化されつつある2020年代の現在から、無人タクシーなどの自動運転車が進化し、完成形になった数十年先の未来を想像するのです。そのためには、さまざまな補助線を引き、さらにはSF文学的な想像の翼も大きく広げていく必要があるでしょう。現在の自動運転車には、おそらく多くの人は「運転しなくていいクルマ」「タクシーが無人になる」というイメージぐらいしか持っていないでしょう。しかし自動運転の可能性はそれだけではありません。


自動運転の未来を考える前に、まず現状の課題を押さえておきましょう。現状認識なしにして、未来への想像力はあり得ないからです。ここでは自動車も含めた現在のモビリティについて押さえておきます。モビリティというのは、交通や移動などについての全般的なものを意味する英単語です。


近年、タクシーの台数が足らない問題が大きな議論になっています。ただし、このタクシー問題は都市と地方、あるいは都市でも中心部と郊外とで温度差が大きいことは認識しておく必要があるでしょう。東京都心の道路にはタクシーは無数に走っており、新宿や渋谷で空車をつかまえるのも難しくありません。いっぽうで東京でも郊外に出ると、夜になればタクシーはほとんど走っていないという実態もあります。


地方のタクシー事情はずっと深刻です。わたしはこの10年、東京と長野県軽井沢町、福井県敦賀市の3か所に家を借り、3拠点移動生活を実践しています。福井では少し前まで、若狭湾沿いの美浜町という人口9000人の小さな町に古民家を借りて住んでいました。


パンデミックを契機に多拠点居住や移住がブームになっていますが、都会に住む人だと気づきにくい田舎住まいの問題は「現地での移動手段」です。都会のように地下鉄や路線バスが縦横無尽に走っているわけではありません。鉄道のローカル線はあっても、本数が非常に少ないことが多いのです。


美浜の古民家について言えば、中核都市である敦賀からはクルマで20分。敦賀からはJR小浜線という風光明媚なローカル線もあり、美浜駅が最寄り駅ですが、1時間に1本しか走っていません。とくにお昼は、午前11時18分の敦賀発に乗り遅れると、午後1時18分まで電車がないのです。


くわえて美浜の自宅まで、美浜駅から歩いて20分以上はかかりました。気候のよい時ならともかく、真夏や雪の降る冬にはこの距離はつらい。北陸は天候がだいたいにおいて不安定で、さっきまで晴れていたのが急に雨が降ったりといった急変が多く、これも歩くことを面倒にしています。駅前にタクシーは数台いますが、出払ってしまっていることも多く、おまけに夜は営業していません。前にわが家で食事をした友人を送るべく午後7時半ごろに「車呼べますか」と営業所に電話してみたところ、「今日はもう終わりました」とそっけなく断られました。


スーパーや飲食店に行くのも、徒歩では難しい。最寄りのスーパーまで徒歩30分、ホームセンターまで徒歩30分、美味しいと評判の食堂までは徒歩40分。コンビニはかろうじて近くにありますが、それでも徒歩15分。


そこであれこれ試行錯誤した結果、こういう方法を採りました。敦賀駅の近くに月極駐車場を借り、そこに自家用車を置いておくことにしたのです。長年乗っている、古びた軽のジムニー。道路が狭く曲がりくねっていることも多い田舎では、軽自動車が最高の乗りものです。


美浜に住んでいたころは北陸新幹線が敦賀まで延伸されていなかったため、東京から東海道新幹線ひかり号で米原で下車し、北陸本線の特急しらさぎに乗り継いで敦賀にたどり着き、そこから歩いて3分ほどの駐車場でジムニーに乗り込み、20分ほどで古民家に到着。もちろん日常の買い物も、この軽自動車が活躍してくれました。


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