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日本の誇る「カイゼン」が労働生産性の足を引っ張っていた説 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.834

特集1 日本の誇る「カイゼン」が労働生産性の足を引っ張っていた説〜〜〜「AIが仕事を奪う」論をもう一度じっくり考えよう(8)


日本のオフィスには、無意味な仕事が山のように存在しています。役員に見せるためだけの小綺麗な資料作り、会議のための大げさなパワーポイントの作成、冗長な会議、その会議の議事録……。ドラッカーもこう言っています。


「会議は元来、組織の欠陥を補完するためのものである。人は、仕事をするか、会議に出るかである。同時に両方を行うことはできない。変化の時代にあっては至難なことだが、理想的に設計された組織とは、会議のない組織である。誰もが、仕事をするために知るべきことを知っている。仕事をするために必要な資源をみな手にしている。 何よりもまず、会議は原則ではなく、例外にしなければならない」(「プロフェッショナルの条件」より)


オフィスの仕事を効率化しようという動きは、日本では大昔の1980年代から始まっています。当時はOA(オフィスオートメーション)と呼ばれていました。主役はファクスやコピー機、オフコン(オフィスコンピュータ)。そして2000年ごろには「IT」という言葉が広まり(当時の森喜朗首相が「イット」と読んで笑いを誘ったのは懐かしいエピソードです)、ひとり1台のパソコンや電子メールなどが普及しはじめます。


こうした流れは他の先進国とも歩調を合わせたもので、決して日本だけが遅れをとっていたわけではありませんでした。ところが他国がITによって仕事を効率化し、生産性を上げていったのに対し、日本は生産性が向上せずずっと低空飛行のままでここまで来ているのです。


なぜでしょうか。答は明快です。ITによる効率化で余った時間を、冒頭に書いたような無意味な仕事へと割り振ってしまったからです。日本では2000年ごろから「IT化で仕事が効率的になるどころか、余計な仕事がどんどん増えた」という不満がさかんに口にされるようになりました。これがまさにその答えなのです。たとえばIT化の以前だったら、会議で口頭で伝えていた報告内容を、小綺麗で完璧に整えられたプレゼン資料として作成することが求められるようになる。すると報告作成にかかる時間は倍以上に増えてしまいます。IT化によって余った時間を、無意味な仕事で埋めつくすようになったのです。


どうしてこんなことが起きてしまったのでしょう。


この本では、その原因を「カイゼン」であると明快に説明しています。「え、カイゼンが?」と驚いたのですが、読んでみて目からウロコでした。


カイゼンというのはご存じの通りだと思いますが、トップダウンで指示するのではなく現場で実際に働いている人たちが皆で知恵を出し合い、「目の前のこの業務を効率化するにはどうすればいいだろうか」「どうしたら現場の安全性を高めることができるだろうか」「品質を良くして不良品を出さないための工夫を考えよう」と、サークル活動的に検討していくことを意味しています。


日本ではトヨタが基本理念のひとつとしているのは有名で、そこから海外へも広まり「Kaizen」というカタカナがそのまま使われています。トヨタに限らず、日本の製造業にあまねく普及している理念と言えるでしょう。


さて、先ほどの本「ホワイトカラーの生産性はなぜ低いのか」が鋭いのは、カイゼンは製造業などのフィジカルな現場には最適だったが、情報というデジタルなものを扱うホワイトカラーの現場においてはカイゼンは有効に作用しなかったと指摘しているところです。


フィジカルな製品を製造する現場においては、それぞれの現場で効率化や不良品を減らすなどの努力があることが、全体の生産量を上げることにつながります。しかし情報を扱うホワイトカラーの現場では、フィジカルなモノを生み出しているわけではない。生み出しているのは、デジタルな情報です。そしてこの情報は、数が多ければ良いわけではない。数ではなく、質の向上が必要なのです。たとえば役員会に見せるための資料を数百枚も作成しても、そんなものは誰も見てくれません。A4一枚でも、本質的なことがそこに記述してあればその分量で十分なのです。


このようなフィジカルとデジタルの本質的な違いを認識しないまま、デジタルを扱うホワイトカラー労働にカイゼンを実施するとどうなるか。同書はこう指摘しています


「業務プロセスが最適化することそれ自体には問題はない。問題は、それらの総体が全体最適にならなかったことだ。問題は、部門システムと部門システムのつなぎ目にある。結局そのつなぎの作業はヒトがやることになり、そこにボトルネックが集中することで、弊害が発生した」


「ホワイトカラーといえどフィジカルな媒体(紙とエンピツ)を使って行っていたうちは、現場主導のカイゼンに任せても問題はなかった。その後、デジタルによるホワイトカラーの生産性革命が起きたときも、EUC(エンドユーザーコンピューティング)などの初動はむしろ日本企業のほうが早かった。だが、 経営者が全体最適の重要性を理解できず、さらに一度構築した全体最適なプロセスであっても顧客ニーズの変化を先取りして変えていく必要があることを、認識できていなかったのかもしれない。現場主導のカイゼン文化に任せきりにしていた ため、日本企業のIT部門はいつしか『顧客』ではなく社内の『部門』がお客様になってしまい、『部門システムのスパゲティ』の呪縛にどっぷりとはまってしまった。そしてもう 25 年経っているわけだ」


明快ですね。デジタル情報を一元化し、統合して扱わなければならないホワイトカラー業務においては、それぞれの部署が勝手にカイゼンをしてしまうと、部分最適化ばかりが進んで全体最適化ができなくなるということなのです。


これに対して、デジタル化で先行している欧米企業は「業務部門とIT部門の間に入って、あくまで経営目線の中立的な立場で「全体最適なプロセス」を追求していくプロセスオフィスが主導する、というやり方が確立している」といいます。欧米人がデジタルが得意で日本人が苦手ということではなく、欧米企業はそこの仕組み化をうまくやったということなのでしょう。


これは日本人の一般労働者が優秀すぎて、仕組み化が全体に進みにくいというよく言われる指摘とも重なってきます。



このまとめに端的に指摘されていますが、日本では「人に任せることによって生じるデメリットが存在しない」。ひとりひとりの能力と倫理感が高すぎるので、それで成果を出せてしまう。わざわざテクノロジーで仕組み化するインセンティブがなかったということなのでしょう。しかし製造業が中心だった時代にはこれで何とかなったかもしれませんが、あらゆるものがプラットフォームになり構造化されていく21世紀の産業界では、さすがにこれではうまくいかなくなってきた。これが日本の生産性を低空飛行にさせている最大の原因でしょう。


長くなってしまいました。今回で本シリーズ決着にしたかったのですが、次回にもう少しだけ続きます。


(次号に続く)

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