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「140字の戦争」に敗け「かわいそうランキング」で地に墜ちるプーチン  佐々木俊尚の未来地図レポート vol.730

佐々木俊尚

特集「140字の戦争」に敗け「かわいそうランキング」で地に墜ちるプーチン

〜〜〜弱者と強者の入れ替え可能性についてあらためて考える



「かわいそうランキング」とか「弱者競争」といったネットのスラングが当たり前のように使われるようになったのは、この10年ぐらいのことです。昭和の時代には一般的だった「家父長制における強い中年男性」という男性像は過去のものとなり、男性の多くはブラック労働に苦しめられていたり、リストラに脅えていたり、非正規雇用で社会から見棄てられていたりと、弱者に転落しています。


そういう現代社会でも、昭和から現れた過去の亡霊のような「強い男性」は残存しています。森喜朗元首相とか、しばらく前に脱税で逮捕された日大の田中英壽理事長とか、日本ボクシング連盟を私物化して不祥事を大量に起こしていた山根明会長とか、そういう人たちです。外見も、昔の時代劇に出てくる悪徳代官みたいな人たちばかりで非常にわかりやすい。


そういう人たちは自分が傘下に収めているJOCや日大、ボクシング連盟といった狭い社会のなかでは圧倒的な強者ですが、SNSがリードする21世紀の世論空間においては圧倒的な非難の対象になる。


3年ほどまえに翻訳が出た『140文字の戦争』というおもしろい本があります。


タイトルからわかるとおり、ツイッターなどのSNSと戦争の関係を論じた本です。軍事力で強いか弱いかだけでなく、現代の戦争においてはいかに多くの人を「共感」させるかということが大事な戦略になっているということが書かれています。


この本では2014年のイスラエル軍によるガザ侵攻が題材にされています。イスラエル軍はガザ地区を空爆、侵攻して圧倒的な軍事力を見せつけました。しかしツイッターではガザの人たちの「イスラエルの空爆で子供が死んでいる」という発信が多くの支持を得て、これに侵攻した側は対抗できず、イスラエルは「国際社会の目に悪魔のように映ってしまった」と著者は指摘しています。軍事的衝突そのものだけでなく、SNSの世界でどちらの物語が「戦場外」で多くの支持を得るかという戦いが重要になってきているということなのです。


ロシアとウクライナの戦争でも、まったく同じことが起きています。2014年のクリミア併合では、「140字の戦争」に勝ったのはロシアでした。ロシアは表立っては軍隊を送り込まず、記章を外した謎の部隊が暗躍し、宣戦布告せず、軍隊の存在も認めず、つまりは戦争状態にあるとはロシアはいっさい認めませんでした。


そのように「平和ではないが、正式な戦争にはなっていない」というグレーゾーンの戦いを慎重に実践し、クリミアの住民に「ウクライナ政府があなたたちを迫害しており、唯一の救いの綱はロシア政府とその代理人だ」という物語を信じさせることに成功したのです。


しかし昨年からのウクライナ侵攻では、まったく逆の勝敗となりました。ロシアはさかんに「ウクライナはナチ」「NATOが悪い」といったプロパガンダを流しましたが、国際社会の世論はまったく反応しませんでした。逆にウクライナ側のさまざまなアピールは大きく効を奏し、軍事も含めた西側諸国の援助を勝ち取ることができたのです。


ロシアはクリミアという親ロ派が多い狭い世界での「140字の戦争」には勝てたものの、国際社会という大きな世界での「140字の戦争」には太刀打ちできなかったということでしょう。


これは誤解を招かないようにしたいところですが、逆にウクライナはSNSにおける「かわいそうランキング」で勝利を果たしている、とも言えます。もう一本の補助線を引きましょう。


これは早稲田大学の国際法専門家、古谷修一教授へのインタビュー記事です。非常に興味深く読みました。戦争というものを考える際に「人権」の持つ意味が非常に大きくなってきているという論点の内容です。


「第2次大戦を例に考えると、『日本が侵略した』という事実が、侵略された側にとっても、米英にとっても、何より重要でした。そこで殺された人々については、侵略行為の結果に過ぎないと受け止められたのです。でも、今回はむしろ、国家間の責任としての侵略行為そのものが問われるより、その侵略によって人々が殺されたことに対する責任が、初期の段階から問われました」


そして「国家間の戦争」から「個人間の戦争」へと変わったのだということが説明されています。そしてプーチンはこのような変化を理解していなかったから、ブチャの虐殺のような事態を引き起こしてしまい、国際社会の世論を敵にまわしてしまった。しかしゼレンスキー大統領はこの変化をよく理解しており、ロシア軍による人権への暴力を訴えてSNSで発信し、多くの味方をつくることができているのです。


ウクライナが「140字の戦争」で勝利しつつあることはとても喜ばしいことです。朝日の記事で古谷さんはこうコメントしています。


「やや理想を込めて考えると、人権への価値観が今以上に共有され、市民同士の連帯感が生まれる世界にならないか。少なくとも、新たな世界に向けた枠組みやルールをつくらなければならないと、多くの人が思い始めているように感じます」


しかしながらこのような「弱者競争」がメディア空間に広がり続けることには、マイナス面もあります。それは本メルマガでも何度となく取りあげてきたように、「弱者である」「かわいそうである」ということがヒエラルキー(階層構造)を構築してしまうことです。「かわいそうランキング」で上位に立った弱者は、現代のメディア空間では最強の存在となり、誰も反論できなくなってしまう。逆に「強者」とレッテル貼りされた人たちは発言の自由さえも許してもらえない。


そういう奇妙なヒエラルキーが広まってしまっていることに、危機感を感じている人は少なくないのではないでしょうか。


たとえば「トーンポリシング」という用語があります。これについては、前に文春オンラインに寄稿したことがあります。


上記でも説明してますが、トーンポリシングは、弱者が強い怒りとともに抗議することに対して、強者の側が「そんな態度じゃ誰も相手にしてくれないよ。もっと冷静に話さないと聞いてもらえないよ」と諌めるような行為を指します。最近はほとんど見なくなりましたが、以前はしょっちゅう「佐々木、おまえはトーンポリシングだ!」と非難されて閉口していました。


どういう場面でこの言葉が飛んでくるかというと、わたしに対してツイッターなどで誹謗中傷や暴言を言ってくる人に対して「そういう誹謗中傷はやめてもらえますか」と反応すると、「それはトーンポリシングだ!」と返ってくるのです。暴言を言ってる人の中では「自分は弱者で、佐々木は強者。だから佐々木が自分に『暴言をやめろ』と言ってくるのは弱者を抑圧している!」というロジックになっていたようです。


時には何十人もの人たちが誰かに煽られて中傷の言葉を浴びせてきて、それらにひと言でも「やめて」と言及したとたんにいっせいに「それはトーンポリシングだ!」とさらに怒ってくる、なんていう場面もありました。いったいどちらが弱者だったんでしょう(唖然)。そもそも木村花さんの事件のようにSNSでの誹謗中傷がさんざん問題になっていることと、このトーンポリシング論をどう整合させるつもりなんでしょうか。自分たちの暴言は許される「きれいな暴言」であるとでも言うのでしょうか。


トーンポリシング論の問題は、弱者と強者を完全に固定して捉えてしまっていることです。つねに弱者は強者に転じ、逆に強者だったはずの人が弱者に転落することもある。弱者と強者を固定してしまい「弱者だから暴言は許される」「強者は暴言は許されない」と傾斜をつけてしまうと、強弱が入れ替わったときに以下のようになってしまいます。


「強者(元弱者)の暴言は許される」

「弱者(元強者)の暴言は許されない」


弱者やマイノリティを論じる際にも、つねに入れ替わりの可能性を考えなければならない理由はここに尽きるとわたしは考えています。強者にも弱者にも、同じロジックを適用させないといけないのです。「弱者だけに成立するロジック」「強者だけに成立するロジック」とロジックを二つに分けてしまうと、強弱が入れ替わったときに議論が成立しなくなってしまうのです。


ではなぜ、強者と弱者を固定してとらえてしまっている人がこんなに多いのでしょうか?わたしは、この考え方が昭和の時代のステレオタイプの残滓だと見なしています。



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