「反知性主義」を知性のない人の代名詞に使いたがる人こそが頭が悪い 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.825
特集1 「反知性主義」を知性のない人の代名詞に使いたがる人こそが頭が悪い〜〜〜アメリカにおける本当の反知性主義について学ぶ
反知性主義という、やたらと誤用されていることばについて今回は考えてみましょう。反知性主義については、最良のテキストがすでに出版されています。神学者森本あんりさんの2015年の著書『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体』です。
この本はアメリカの政治史家リチャード・ホフスタッターの「アメリカの反知性主義」(1963年、邦訳はみすず書房2003年)を下敷きにしているのですが、森本さんが著書でも言及しているように、アメリカでのキリスト教の知識がないと理解しにくい。そこの足りない部分を森本さんの著書ではていねいに解説し、なぜアメリカでキリスト教を軸とした「反知性主義」が盛り上がったのかをわかりやすく解き明かしています。
なぜこの本を今回取りあげようと考えたのかというと、19世紀から20世紀にかけてのアメリカの反知性主義の台頭が、いまの日本社会と似通っている部分が多々あると感じるからです。
そもそも反知性主義とは何か。冒頭にも書いたようにこの言葉はよく誤用されているのですが、決して「頭の悪い人」「知性のない人」という意味ではありません。ホフスタッターのいう反知性主義は、より本来的な意味に則して言い換えるのであれば「反知識人主義」でしょう。森本さんはこう書いています。
「知性主義の原点にあるのは、徹底した平等主義である。反知性主義は、知性そのものに対する反感ではない。知性が世襲的な特権階級だけの独占的な所有物になることへの反感である。つまり、誰もが平等なスタート地点に立つことができればよい。世代を越えて特権が固定されることなく、新しい世代ごとに平等にチャンスが与えられればよいのである」
知性というものが権威になり、しかも大学など一部の閉鎖的な空間に独占されてしまうことに対する反発。それこそが反知性主義ということなのです。
この反発がアメリカで生まれてきた背景には、建国当時のあの国は徹底的な平等を求めた社会だったということがあるようです。長い歴史の中で階級社会が構築され、カトリック教会の権威が固められてきたヨーロッパに対し、階級も何もないゼロからのスタートだったアメリカ社会は、平等という(現実には難しい)理想を追い求めることができる場所でした。
実際、建国の祖であったピューリタンたちも英国のヒエラルキーから逃れ、宗教的迫害を避けるために新大陸にやってきたのです。しかしその彼らが新大陸で新しい共同体を建設すると、やはりそこにはヒエラルキーが生まれてきてしまう。その矛盾を、森本さんは実に面白く巧みな比喩でこう書いています。
「ピューリタンは、イギリス本国の宗教的迫害を逃れて、アメリカ大陸へと渡ってきた。ところが、新大陸では自分たちが主流派となり、社会を建設する側に立つことになる。すると彼らはまるで、学生時代は全共闘で鳴らしていたのに、就職して出世するといつの間にか体制派に変わっているオヤジのようになったのである。批判はたやすく、建設は困難だ、ということである」
キリスト教では、神の前ではだれもが平等とうたいながら、実際のところそれは社会的平等とは見なさないという暗黙の了解がありました。キリスト教が精神世界を支配した中世ヨーロッパでも、豊かな王侯や貴族がいて、いっぽうで貧しい農奴がいる。それは非常な不平等でキリスト教の精神に反するはずですが、それを言い出してしまうと安定的な社会が崩壊してしまう。そういう不安が教会の側にもあって、だからあえて社会的な平等には踏み込まなかった。
この暗黙の了解を否定したのが、アメリカ的な精神だったということなのでしょう。
ちなみにピューリタンの新大陸への入植に100年ほど先立つ宗教改革では、カトリック教会の権威が批判されました。宗教改革でカトリックから分離独立したプロテスタントは、神父の権威を否定し、あらゆる人が祭司であるという「万人祭司」の原則が打ち立てられたのです。プロテスタントにおける牧師は信徒のひとりに過ぎません。普通の信徒と異なるのは、牧師は聖書の解釈など神学的知識の訓練を受けた人たちだったということです。
しかし新大陸アメリカでは、このような牧師の知的訓練でさえも否定的に見られるようになります。なぜならそういう「知的訓練を受けた牧師」「知的訓練を受けてない一般信徒」と分けることでさえも、平等の原則に反すると考えられたのです。
そういう中、アメリカでは既存のキリスト教会とは異なるところから新たな「聖職者」たちが生まれてきます。町から町へと巡業しながら教えを語る、巡回説教師と呼ばれる者たちでした。神学を正式に学んだわけではなく、知的権威もない。しかし彼らはアメリカの市井の人たちのこころをつかむのです。
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