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さまざまな情報の断片から、未来予測まで進めていく私だけの方法 佐々木俊尚の未来地図レポート vol.724

特集 さまざまな情報の断片から、未来予測まで進めていく私だけの方法〜〜〜世界観を「四次元化」していくという考え方(9)


今年出したわたしの新著『読む力 最新スキル大全』を補足し、どのようにして世界観を構築していくのかを深掘りしていくシリーズのいよいよ最終回です。9回にわたってお届けしてきました。


あるテーマについて単一の視点だけでなく、さまざまな視点で見ることによって立体的なイメージが描けるようになる「三次元化」。さらに加えて過去の経緯などを学ぶことで、さらに立体はふくらみをもった「四次元」になります。この「四次元化」を未来予測につかう、というアプローチをこれまで解説してきました。


これまでに出したお題は、「電子書籍が普及することは、人間社会に何をもたらすのだろうか?」「情報通信のテクノロジーが進化していく時代に、共同体はどう変化していくのだろうか?」の二つ。そして最終回の今回は、三つのお題を考えてみます。


まず第一に、「地方の過疎化の問題をどうすればいいのか?」


「地方創生」「地方活性化」「過疎化対策」などのキーワードでグーグル検索すると、大量の記事がヒットします。大半は、地方移住をどう促進し、就農などで地方に住んでくれる若者をどう増やすのかという視点で書かれているようです。


しかし現実には、少子高齢化と人口減で若者の数は減り続けており、すべての地方に若者が移住することは現実的に不可能でしょう。


加えて、移住生活の苦労という問題があります。農村などの生活を知らない都会の若者が就農して移住すると、閉鎖的なムラの共同体にからめとられ、息苦しさや同調圧力につらくなってしまうことが多いというのは、わたしもあちこちで見聞きしました。


また中山間地域の限界集落などでは、すでに住民が80歳から90歳ぐらいの高齢者中心で、集落を維持することはほとんどできなくなっています。消滅寸前になっているところも多いようです。ひとりやふたりの若者が移住したとしても、消滅を阻止するのは難しい。


このように地方の過疎化問題には、さまざまな視点があります。これらの視点にもとづいた記事を横断的に読んでいけば、地方過疎化というテーj間を三次元化した立体イメージで捉えることができるでしょう。


これを四次元化したらどうなるでしょうか。まず過去を見てみましょう。


歴史を振り返ると、戦前は働いている日本人の半数が農業に従事していて、地方に住んでいました。しかし戦後に高度経済成長が始まると、集団就職や大学進学などで人びとは都会に出ていきます。これによって人びとは農村という共同体から引き離されて、都会で孤独な生活を強いられるようになりました。


東京を「コンクリートジャングル」「東京砂漠」と流行歌で呼んだりしたのは、昭和30年代から40年代のこのころの都会の孤独が背景にあります。


そこで共同体を取り戻したいという欲求も生まれてきます。たとえば昭和期にたくさん建てられた「団地」と呼ばれる共同住宅がそうです。おおむね低層で、3~5階ぐらい。エレベーターはありません(なので4階や5階まで階段を上り下りしていたのです!)。ひとつの階を横につらぬく廊下もなく、そのかわりに各階2戸の世帯だけがつかえる階段があり、上下のフロアをつないでいました。


つまりこの階段は、たとえば3階建ての団地なら、縦にならんでいる6世帯だけが使うことになり、この6世帯の人たちは朝晩しょっちゅう顔を合わせることになります。こういうタイプの団地を日本住宅公団は当時、「縦長屋」と呼んでいました。江戸時代ぐらいまで一般的だった集合住宅の共同体を、鉄筋コンクリートの団地に再現するこころみだったということなのでしょう。


第十回日本ノンフィクション賞を受賞した『箱族の街』(舟越健之輔、新潮社、1983年)というめっぽう面白い本があります(残念ながら今では絶版)。埼玉・上尾の団地に引っ越してきた著者が体験したさまざまなエピソードが紹介されていますす。


たとえばこんなシーン。入居草々に玄関のブザーが鳴り、出てみると、著者の世帯と同じ階段を共有している2階の住民でした。彼女はこう言います。


「2階の仲井と申します。今日は、この階段のみなさまに集まっていただくことになっております。奥さんでも、ご主人でもよろしいのですが、階段の10世帯の方のお顔を知っておきたいし、お近づきということで、お集まりいただきたく思っております。もう、大部分の方はいらっしゃっていただいております」


共同体の始まりですね。


しかし縦長屋というスタイルは、共同住宅を高層化できません。なのでエレベーターが完備されるようになってからは、姿を消してしまいました。団地の縦長屋は永続的な共同体には慣れなかったのです。


かわって戦後の日本の共同体を担ったのは、終身雇用の会社でした。独身寮に入居し、社内結婚し、社宅に住み、週末は社内の部活動で野球や登山を楽しみ、そして会社の信用組合で融資を受けて家を建て、老後は退職金と厚生年金で生活。ゆりかごから墓場までを会社の共同体に拠る。そういうライフスタイルが昭和の末期には定着しました。


しかし2000年代に入ると、非正規雇用が増え、終身雇用と年功序列も終わりを迎えて、会社に帰属することが難しくなっていきます。これに危機感を抱いている若年層が、共同体への帰属を求めるようになりました。その思いのひとつの表れがシェアハウスであり、地方の田園生活への憧れになっているのではないかとわたしは捉えています。


しかし、ここには一つの矛盾もあります。現代の若年層の親は、団塊の世代やその下の世代で、多くは地方から都会に出てきた人たちでした。この子ども世代である若者たちの多くは、親が地方から出て都会に住んだ人たち……つまり若者たちはおおむね都市の出身なのです。実際、いま東京にいる20〜30代ぐらいに出身地を聞くと「千葉」「東京」「埼玉」「神奈川」と首都圏を答える人が非常に多い印象です。


だから彼らは地方の生活の実態を知りません。それなのに移住を賛美するメディアのポジティブな情報だけで、田舎に憧れをいだいて移住すると、強烈なしっぺ返しを食らってしまうということになります。


地方の過疎化の問題には、こういう時代背景があります。ではこの先、地方はどうなるのでしょうか?同じわくぐみで未来を予測してみましょう。



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