「奴隷がいればテクノロジーは要らない」という過酷な現実 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.830
特集1 「奴隷がいればテクノロジーは要らない」という過酷な現実〜〜〜「AIが仕事を奪う」論をもう一度じっくり考えよう(4)
AIなどの最新テクノロジーが雇用にどのような影響を与えるのか。この厄介なテーマについてさまざまな示唆を与えてくれる良書があります。「テクノロジーの世界経済史」という本です。
今回はこの本から引用しつつ、AIと雇用の問題についてさらに深掘りしていきましょう。同書が掲げているテーマはいくつもありますが、その中でももっとも重要なのがこれ。「労働者がどうやって食べていくかは、駆逐される雇用と新たに創出される雇用とのせめぎ合いにかかっていると同時に、労働者が新しい仕事にどれほどスムーズに移れるか、ということにもかかっている」
いま生成AIが進化し普及しつつあることによって、古くからの仕事がAIに奪われていくことが懸念されています。しかしこのような事態は、現在のAIに限らず過去に繰り返し起きています。15世紀のヨーロッパにおける印刷の発明、イギリスでの蒸気機関や紡績機械による18世紀産業革命、そして19世紀末から20世紀にかけての第二の産業革命。どの技術革新も等しく人々の仕事を奪ったわけではありません。仕事を奪うのと同時に、新たな仕事を創出したケースも少なくないのです。
たとえば15世紀の印刷の発明。それまで書籍は、修道院の写字生たちによって手書きで筆写されて制作されていました。羊皮紙でつくられた写本と言われるものがそうです。では印刷の発明によって、写字生たちの仕事は奪われたのでしょうか。同書はこう解説しています。
”仕事のなくなった写字生には、ちゃんとほかに仕事があった。「多くの写字生は、書類、目録、手紙、会議録といった印刷が経済的に見合わない文書の写字をするようになった」。おそらくもっと重要だったのは、印刷機の登場で大量の本が印刷されるようになった結果、新しい仕事が生まれ、多くの写字生がそちらに移った。”
”中には自分で印刷を始める者もいた。一部の写字生は、退屈な写本の仕事から解放してくれ、より創造的な装幀や製本の仕事を与えてくれた新しい印刷技術を大いに歓迎したという。”
このように写本の仕事から新たな書籍の仕事に移ることができて、写字生たちは特に困らなかったというのです。新しいテクノロジーがこのような移行を促すことができれば、だれも不幸になりません。加えて、写本の時代にはなかった新しい市場も生まれてきます。
”印刷機は一六世紀の都市部の発展の原動力になったという。印刷機が導入された都市では、商売の指南をする本がどしどし印刷されて普及し、外国為替で取引する方法だとか、利子率をどう決めるかとか、利益率をどう計算するかといったノウハウが浸透したからだ。”
いっぽうで、国を挙げて新しいテクノロジーを拒否したケースも歴史の中にはあったようです。たとえば古代ローマは上水道やコンクリートなど素晴らしいテクノロジーをいくつも生み出していますが、しかしあらゆるテクノロジーを受け入れていたわけではないという歴史的事実があります。
たとえば、同書ではウェスパシアヌス帝(紀元69〜79年)が運輸のテクノロジーを拒んだという事例が紹介されています。丘の上まで円柱を運ぶ機械を発明した男が売り込みに来たときに、皇帝は「それではどうやって民を養えばよいのか」と応じたのだそうです。
”重くて長い柱を石切り場からローマまで運ぶには数千人の人夫が必要だ。これだけの人夫を雇うのは、もちろん統治側にとって重い負担となる。だが民衆から仕事を奪えば社会が不安定化しかねないことを考えれば、技術の進歩を差し止めて雇用を維持するほうが政治的に好ましい選択肢になる。”
さらに古代ローマには奴隷制がありました。奴隷が安価にいくらでも使える状況では、労働を代替するテクノロジーを導入するインセンティブは生まれないのです。
”奴隷は多くの意味で産業革命前の時代のロボットだった。ハンガリーでは、領主の下で無給で働く農奴のことをロボトニク(robotnik) と呼んでおり、「ロボット」という言葉はこれに由来する。この言葉はチェコの作家カレル・チャペックの有名な戯曲『R・U・R』(ロッサム万能ロボット会社の略語) の中で最初に使われた。奴隷はおよそ思いつく限りの単調な肉体労働を何でもやっていた。おそらく彼らは、今日のロボットが実行できる物理的な作業よりはるかに多くの作業をこなせたにちがいない。”
ロボットの語源って、農奴だったのですね。本書を読むまでこれは知りませんでした。そしてこの「奴隷がいれば労働代替テクノロジーが普及するインセンティブは生まれない」という話は、まさに平成時代の日本にそのまま当てはまると思います。1980年代のバブル放漫経済への反省から、90年代末から2000年代にかけてはコストカットの波が吹き荒れました。
「グローバル経済の波に勝つためには、コストをカットするしかない」
そういう大号令だったのです。ふりかえってみれば、コストカットで黒字化してもその先の成長可能性はなく、ひたすら縮小再生産のスパイラルに陥っていくだけだと今なら理解できるのですが、2000年代の産業界はそこまで考えていませんでした。コストカットの大なたを振るう経営者が持てはやされ(日産自動車のゴーン氏とか、マクドナルドで安売りしまくってブランド毀損に陥ったH氏とかを思い出します)、コストカットさえすれば未来が拓けるとなんとなく皆が信じていました。
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