
1970年にふたつの理念が衝突し、そしてどちらも終わった 佐々木俊尚の未来地図レポート vol.842
特集1 1970年にふたつの理念が衝突し、そしてどちらも終わった〜〜〜「メンテナンス民主主義」という方向を検討する(5)
日本社会には、キリスト教やそこから派生したリベラリズムのような「普遍的な理念」は存在しない。そのかわりに日本人をひとつの国民としてまとめているのは、独特の生活文化とそれを維持していく秩序意識ではないかということを前回は解説しました。電車のホームで整列する、ゴミは持ち帰るといったささやかな生活文化こそが、わたしたちの社会における「普遍」だと思うのです。
とはいえ、明治維新以降、アジア太平洋戦争の敗戦を経て、日本はずっと「西欧のような普遍的な理念を持たなければならない」「日本には普遍性が足らないから、しょせんは極東のへんぴな島国でしかないのだ」という劣等感を抱きつづけてきたのも事実です。
この劣等感と普遍への憧れを体現したおもしろい議論があります。
それが1969年、東京大学の駒場キャンパスで行われた作家三島由紀夫と東大全共闘(かんたんに言えば、左派学生運動の団体の名前です)の東大生たちの討論会です。この討論の内容については過去に書籍化されており、2020年には映像が発掘されてドキュメンタリ映画にもなりました。詳細な解説をわたしは当時書いています。
この議論の主軸に鳴っているのは、戦後日本社会における普遍性の希求です。三島由紀夫はこの討論の翌年、市ヶ谷の陸上自衛隊で割腹自殺を遂げますが、直前に産経新聞に寄稿してこう書いています。「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」
戦後日本には普遍的な理念が存在せず、だからただの「からっぽな国なのだ」と嘆いているのです。そしてこの「からっぽな国」に普遍性を与え、国として統合するために必要なものは天皇親政なのだと三島は考えました。
東大全共闘との議論で、三島はこう語っています。
「天皇親政と直接民主主義には区別はなく、ひとつの共通要素がある。それは国民の意志が、中間的な媒介物を経ないで国家意志と直結することを夢見ているということだ」
この三島の発言に、東大全共闘の学生たちは嘲笑的です。何を今ごろ天皇制などと言っているのだ、と。ここには世代間対立もかいま見えています。三島は1925年1月生まれで、大正生まれの最後の世代です。この世代は終戦時に20代、つまりアジア太平洋戦争に出兵した中心的な人たちなのです。ちなみに三島も東大生のときに召集令状を受け取り応召しましたが、病気で即日帰郷となって出兵はしていません。
いっぽうの東大生たちは、団塊の世代。つまり1946〜49年ごろに生まれた人たちで、三島由紀夫とはちょうど親子ぐらいの年齢になります。団塊の世代が学生運動に走り、左派に傾斜した背景には、実は世代間対立も隠れた要素として潜んでいることがあります。戦争に出兵した大正生まれの人たちは皇国史観の持ち主が多く、そういう親に抑圧されて育った戦後生まれの子どもたちは、右翼的な皇国史観に対する反感から左派に傾斜したということなのです。
三島と東大生たちの対立は、世代間対立をはらんだ右派と左派の対立そのものだったのです。それは対立軸でしたが、同時に同じ問題意識も持っていました。つまり「戦後の日本社会には普遍的な理念がない」という問題意識です。
さきほどリンクを紹介した記事でも書いていますが、東大の学生運動は非常に特異でした。他の大学が学費値上げやベトナム戦争反対など具体的な目標を掲げていたのに対し、生来は高級官僚や政治家、大企業幹部を目指すエリート予備軍である東大生たちは、まず「自己否定」から始めなければならなかった。エリートである自分たちを否定しなければ、社会問題にはコミットできないと考えたのです。
だから東大闘争では、抽象的な理念が掲げられました。「自分たちの生き方を変えていかなければならない」「自分たちにとって学問とは何なのか」
記事で紹介していますが、後に劇作家となる芥正彦氏と三島との丁々発止のやりとりが非常に見物です。
三島「教室の机は授業のためにあるが、バリケードの材料にもなる。生産関係から切り離されて、戦闘目的に使われているということだ。しかしそれは諸君が生産関係から切り離されているからではないか。それが諸君の暴力の根源ではないのか」
芥「大学の形態の中では机は机だけど、大学が解体されれば定義は変わる。この関係の逆転に革命が生まれるんだ!」
しかし東大闘争は、結局は「自己否定」や「大学解体」の先の普遍的な理念を生み出すまでには至りませんでした。芥氏は「関係の逆転に革命が生まれる」と訴えましたが、その革命がいったい何の理念を持っているのかを示すことはできなかった。つまり「反体制」ではあったけれども、現体制を否定した先の新たな体制のビジョンを打ち出すことはできなかったのです。これが東大闘争の限界でした。
そして同時に、三島も天皇親政を訴えて自衛隊を動かそうとしましたが、最終的に失敗して自決という無惨な結末を迎えます。1970年という転回点の年において、戦後日本社会に新たな普遍をつくりだそうという二つの方向の試みは、いずれも失敗に終わったのです。
とはいえ世界を見わたしてみても、学生運動のひとつの基板となっていたマルクス主義は、この時点から20年後の1990年にソ連の崩壊とともに終焉を迎えます。そして21世紀に入り、欧州ではキリスト教離れが進み、中東や東欧からの移民の大量流入によって多文化主義が失敗に終わり、リベラリズムへの反発が広がり、移民排除を訴える政党が勢力を伸ばしました。米国ではトランプ大統領が復活を果たし、リベラリズムそのものが終わるのではないかという予兆が世界を覆っています。もはや世界全体からも普遍的な理念は消滅しつつあるのかもしれません。
それに比べれば、1970年に普遍的な理念への夢を捨て去った日本は、その後もとくだんの理念を持たず、社会を修繕し改善しメンテナンスしながら、そこそこの生活を維持し続けてきている。もちろん問題は山積していますが、社会が決定的に分断することはなく、中流層が崩壊し尽くすこともなく、深刻な移民の問題も今のところは起きてきていません。「まあなんとかやってきたかな」というところではないでしょうか。
そう考えれば、日本は高邁な理念など必要なく、職人気質的に目先のことをこまごまと手を入れて持続していくという、そういうささやかな理念の集合体の国としてやってきたし、これからもそういう国として続いていくのかもしれません。
本シリーズの最初に紹介したNHKスペシャルの「新ジャポニズム」では、こう語られていました。まさにこれがいまの日本の明るさなのではないでしょうか。「昔は日本は風変わりな国と思われていた。しかし今は、世界が共感できるキャラクターを作っている。それは希望を与えてくれる。多様な物語の中から選ぶことができるのだ」
(了)
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