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#153 一つの告白 〜今でも迷っています〜

昨日、言霊に関する記事を書いて、今後は何かができない言い訳として「お金がないから」とは言わないことに決めました。そう決めたら途端に、なんだか「気持ちのデトックス」ができて、これまで動かせないと思っていた自分の心の奥にある「思考の凝り固まり」のようなものが少し動きました。
 今日はそんな、「一つの告白」です。自分語りになりますが、似たような問題を抱えてらっしゃる方の、一つのヒントになればと思い、記すことにします。
(ヘッダ写真:迷いながら入学を決め、修了した立教大学本館)



47歳で文系から理系へ

少し昔の話になりますが、僕は2020年の4月に、「AI の研究をしよう」と思い立ち、5ヶ月後の9月に向けて受験勉強を開始しました。立教大学大学院の人工知能科学研究科を受験したのですが、受験科目は事前に提出する研究計画エッセイに加えて、数学、英語、論理的思考力を見る問題、小論文でした。それが一次試験で、二次試験は研究内容のプレゼンテーションという、本格的な入試でした。
 僕の場合は「数学」が一番の難関で、小学5年生の計算ドリルから始めました。その4年後にはオランダの大学で研究員をしているのですから、人生は分からないものです。受験を思い立った経緯は、下の記事にまとめてありますので、ぜひご覧ください。改めて母校もご紹介します。AI やるなら、ココが一番ですよ^^

2020年9月はコロナ禍真っ只中で、入試は在宅で行われました。PCなどのカメラ付き機器を「二台準備すること」との指示で、一台は入試問題などが表示される画面として、もう一台は斜め後ろに置いて試験監督が監視するためのものでした。画面に表示された問題を事前に印刷した用紙に解答して、試験時間終了後はそれをスキャンして送りました。合格発表は会社の昼休み時間中で、自分の受験番号を見つけた時は机の下でガッツポーズをしたのを覚えています。「これで自分の人生が開ける!」と思いました。

その思いの通り、今は将来研究職につくべくオランダで研究をしています。最終的に探究したいテーマは、「(特にAIを中心とする)先端科学技術としあわせの関係の最適化」ですが、博士号取得までのテーマは、オランダの文科省にあたる国からの資金で雇われているので、もう少し応用寄りの「書くプロセスによる内的進化およびその指導のための人間中心AIの開発」(Human-centered Artificial Intelligence for Writing Instruction and Development)と文言も決まりました。英語の writing は日本語の「書く」や「作文」を超えて、書いている最中の認知機能も含めた広い意味があります。

その後、入学手続き書類が送られてきました。必要事項を記入し、送付する書類を揃え、入学金と前期の学費合わせて約100万円を支払いに職場近くの銀行へ向かいました。AI 専攻は新設だったこともあり学費は高く、年間150万円、2年間で300万円かかりました。実際には新しいパソコンを購入したり、書籍代も相当かかったことから、400万円くらいの投資をしました(しかし後日、返済不要の奨学金80万円をいただくことができました!)

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実は迷った、入学金の支払い

ここからが今日の本題です。実は、最後の最後に、銀行のカウンターで100万円を支払う時、かなり迷ったのです。迷った理由は、その日支払う100万円と、その後2年間で追加で必要になるであろう300万円が「もったいない」と感じたからではありません。迷った理由については、家族にも誰にも話したことはないのですが、今日ここに書きたいと思います。皆さんびっくり仰天の理由だと思いますよ!

僕が昔から何より愛しているもの、それは音楽です。一番好きなのは J-POP ですが、J-POP の演奏はなかなか機会がないので、演奏するのはフュージョンと呼ばれるジャンルの音楽がメインです。フュージョンのジャンルでは、プロ、アマ問わず一人の奏者が複数の楽器を演奏することが多いですが、僕の場合は、ソプラノサックス、アルトサックス、フルートを演奏します(この三種類という人は多いです)。そして、アルトサックスとフルートは、自分で納得のいく楽器を持っているのですが、ソプラノサックスだけは、「自分の音楽はこの楽器で表現したい」と思う楽器ではないものを使っています。

銀行のカウンターで100万円を送金する時に思ったのは、

大学院進学をやめて、この100万円は楽器に使うべきではないのだろうか。自分にとって一番大切なのは、やはり音楽ではないのだろうか

もしタイムマシンがあれば、今からでも選択を変えるかもしれない……

ということでした。AI の研究を志して勉強してきたのはたった5ヶ月、音楽への思いは少なくとも高校生の頃から続いていたので、30年以上です。自分の中で30年以上の歴史のある想いと、5ヶ月前にむくりと生まれてきた想いを比べていいのだろうか、自分自身に対して不謹慎なのではないだろうか……そう思いながら、それでも100万円を送金し、無事社会人大学院生となりました。

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今はどう思っている?

あの日、あの100万円を送金し、その後は毎日が刺激的で楽しい大学院生活を送りました。一年目の研究では優秀賞を、修了時には最優秀修士論文賞もいただけて、思い描いていた通りの未来が開けました。それでも、「一つの告白」として、今の気持ちを正直に書いておきます。あの選択が正しかったのかどうか、今でも自信がありません。

大学院で出会った人たち、これからのキャリア、その後ヨーロッパ行きを決めて note を始め、そこで出会ったかけがえのない友人たち……そういった物事をすべて引き換えにしても、やはりあの時は「自分を表現できる」と信じる楽器を買うべきだったのではないだろうか、そう思う自分が常にいて、その存在にびくびくしながら毎日研究をしているというのが、本当に正直な気持ちです。
 あの日、あの100万円は送金せずに楽器店へ向かって、「大学院に行くのはやめて、欲しかった楽器を買ってきたよ」と自宅に戻ったら、妻は何と言っただろうか?「その方があなたらしいね!」と応援してくれたのだろうか、と今でも思い、同時に早くこの思いから卒業しなければ、と感じています。

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大きな転機

上で書いたように、大学院進学を選んで楽器を選ばなかったことは、僕の中に大きな「しこり」を残しました。いつもお世話になっているカウンセラーの先生とも、「その問題は、いつか向き合わないとね」とは話していたのですが、ドイツへ来た直後に体調を崩したり、その後オランダに転籍したりとバタバタ続きで、結局僕の「ラスボス」とは対峙せずにこれまでを過ごしてきてしまいました。「あの選択は正しかったのか?」という疑問が、心の中で膨らんでいたのです。

そんな時、ちょっとしたニュースが入ってきました。音楽仲間から得た内部情報なので、ここで大体的には書けないのですが、「自分の音楽はこの楽器で表現したい」と思っている楽器が、「製造中止になるのではないか?」という情報でした。僕も以前は楽器製造メーカーにいたので、楽器材料の仕入れ先や加工業者の情報など、表には出てこない裏事情をいろいろと知っています。「あの楽器が製造中止になるかもしれない」理由も、大体分かる気がしました。技術的な問題というよりも、企業の利益構造や企業体質、職人さんの年齢構成などで、あのモデルを製造するのが困難になってきているのだろう、と想像しました。

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これは、大変だ!

実はその、「自分の音楽はこの楽器で表現したい」という楽器は、英語教師になった2000年に初めて楽器店で試奏させてもらって、「これだ!」と思った楽器でした。当時は、60〜70万円だったと思います。原材料の値上がりもあり、現在は約100万円になりました。
 24年の間には、何度も買うことを考えましたが、その都度「今回は別のことにお金を使おう」と、その楽器は買わず、「いつでも買えるから」と思って安心していました。その間に何度か楽器のモデルチェンジはありましたが、その楽器はちゃんと残り続け、今でもとりあえずカタログに載っています。

しかし今回のニュースで、「どんなにお金があっても買えなくなるかもしれない」事態になるかもしれないことが分かりました。これは大変です。大人気のモデルなので、もし製造中止になれば中古市場でおそらくプレミアがついて、新品より高い値段になるのは必須です。国内の楽器店のサイトを見ても、「新規受注中止」の表示がちらほら。今楽器店に残っている在庫をおさえるべきなのは明らかです。

家族や僕の周囲の人はもう「耳タコ」の内容なのですが、「いつか研究者としてもっと稼げるようになったら、あの楽器を手に入れるんだ」が僕の口癖です。でも、どんなにお金を稼いでも手に入らなくなるかもしれない……こんなことを先日、友人と話していました。そして、その友人に背中を押されたわけではないのですが、選択肢は一つしかないのだと思います。

それは、「無理して手に入れる」です。1000万円ならあきらめますが、100万円は大人ならどうにかできなくはない金額です。たとえば60回ローンを組めば、毎月17,000円で買うことができます。金利がもったいないとか言っている場合ではありません。なくなれば、1億円積んでも買えなくなるのです!
 先日書いたビートルズ関連の記事で、「昔5万円で買えたキャバーンクラブのレンガが、今は博物館に入るものになってしまった」と書きました。どうしても欲しいものは、買える時に買っておくのがいい、とやはり思います。レンガの二の前は、もう嫌ですね。

「本当に大切なのはモノではなくコトやヒトなはず。だからこそ、お金で買えるものはさっさと手に入れてしまうのが得策」だと思うのです。そして、あの楽器を手に入れれば、もう「あの日の自分の選択は正しかったのだろうか」と悩まずに済みます。残念ながら向こう数年間、色々と旅行して回るようなことはできなくなるかもしれないとして、今は食事を質素にしてでも、あの楽器を手に入れることを考えようと思っています。

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手に入ったら、みなさんに報告します

さて、間に合うでしょうか? この週末から動き始めます。まずは日本国内の楽器店をあたろうと思います。国内になければ、ヨーロッパ各国を探します。ヨーロッパは多くの国の楽器店に知り合いがいるので、手伝ってもらえるはずです。ただ、ヨーロッパでは日本国内で買うよりも三割ほど高く、130万円くらいになってしまうので、できれば日本で買いたいですね。もし無事に手に入ったら、ここでみなさんにご報告して、写真もお見せしようと思います。

考えてみれば、今回のことがなければ、「あの選択は正しかったのか?」という疑問をずっと持ち続けることになってしまっていたので、ここで「製造中止か?」という状況になって、むしろよかったと思っています。これで一歩踏み出せる、今はそう感じています。そんな、「一つの告白」でした。たかが楽器、されど楽器、「もしあの世に一つだけ何か持っていけるとすれば?」と聞かれた時には、一秒も迷わずに「これです」と言えるのがその楽器なので、やはり今手に入れるべきなのだと思います。さて、どうなるでしょうか?

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最後に、こんなに音楽に大ハマりした原因となった(罪深い)曲を引用しておきます。作曲・演奏者の本多俊之さんにもお会いして、「あの曲のせいで、音楽に引き込まれましたよ……(どうしてくれるんですか)」と話したことがあります。今40代中盤以上の方なら懐かしい曲なのではないでしょうか。久米宏さんの『ニュースステーション』オープニング曲、『Good Evening』1989年の演奏です。35年前!「脳天をハンマーで殴られるような衝撃」を感じた曲です。

いつ聴いても、本多俊之さんのソプラノは「天使の声」のようです。ちなみに、動画に写っている楽器も、1981年で製造中止となり、現在でも世界中で人気のある楽器です(セルマー・マークVI )。製造中止後40年を経て、今では新品の時の倍以上の値段で中古が取引されています。

この曲を取り上げた note の記事も見つけたので、ご紹介します。

今日もお読みくださって、ありがとうございました✨
(2024年8月17日)

サポートってどういうものなのだろう?もしいただけたら、金額の多少に関わらず、うーんと使い道を考えて、そのお金をどう使ったかを note 記事にします☕️