ストリートの哲学〜日本の場合〜
こんにちは、真吾です。2回にわたって、ストリートの歴史を遡ったので、
今回は”日本”におけるストリートを見てみたいと思います。
もともと全てはストリートから生まれた
1 旅する僧侶
ストリートの源流は、この旅する僧侶・西行、そして良寛にあると思います。
北面武士(天皇を護衛するエリート武士。平清盛と同期。)にも選ばれていた西行ですがは、人間関係に疲れ果てた西行は、出家し、
のちに百人一首に組まれるほどの見事な詩を読みます。
2 のちの「歌舞伎」につながる「かぶく」者たち
その後の系譜はこちらにあると思います。傾くともかきます。
室町時代、服装もめちゃめちゃで河岸で踊り、時々街に出て生計を立てるワイルドな人たちを指しました。
3 1950年
制服はわかった、仕事もスーツスタイルでわかった。
では、普段着は何を着ればいい?!この答えを提供したのが、”VAN”と言う会社です。
”みゆき族”と言う言葉をご存知でしたら、その元凶(笑)がこの会社と創設者・石津健介になります。
みゆき通り(ストリート!)に、若者がたむろして当時のファッションを根こそぎアップデートしたと言われております。
4 1970年
その後、セレクトの前身であるSHIPS、BEAMSが生まれました。
彼らも最初はストリート(古着とセレクトアイテムのmixショップ)でした。
こちらはスケートシーンの2大巨匠の対談。スケートショップに人が集まる様子が描かれております。
彼らの使命は、スケートボードを一人にでも多く広めること。
なんとクールなんでしょう。
5 モダン・ストリート
supreme/ape/undefeatedに代表される現在世界からの評価もある、日本のストリートが2020年頃から始まります。
そして今の”ストリート”を以下の対談で美しく定義してくれています。
ストリートカルチャーは「普遍的な言語/価値」である
荏開津:最後になぜ、いまストリートファッションが重要なのかについてお話しします。現在は1977年とも2000年とも全く違う時代です。とりわけ社会の構造は劇的に変化し、富裕層や貧困層のコンテクストから新たな用語がどんどん日本でも生まれています。そこでよく言われているのが、アダム・スミスの『国富論』にも出てくる「分業」という言葉です。みんなで分業し、それぞれが専門的なことをやった方が、能率が上がり富を増やせる。ただ、いまはものすごい勢いで分業が進んでしまったため、個人でさえまるで商品のように商品化してしまっているともささやかれています。簡単に言えば、個人の価値が買い叩かれてしまったことが大きな問題だということです。
マルクスの言う「疎外」の概念ですね。
生産物から疎外され、素材から疎外され、人格すら疎外されていく。
そこをマルクスは怒ったわけです。
そんななか、ストリートカルチャーは小さく閉塞してそれぞれが小さなセルのなかにいるようになってしまった社会から飛び出し、「自分」という存在の再構築を手助けしてくれ、グローバルに流通できる「普遍的な言語/価値」でありパスポートである、というのが僕の持論です。
全ての人・モノには人種、ルーツ、社会的な地位や政治、歴史的文脈といったバックグラウンドがあり、それぞれ異なったものを組み合わせコラージュすることによって、新たな文脈とアイデンティティを再構築することができる。
「ストリートはパスポートなんだ!」
スーツスタイルが立場を表すアイコンであれば、
ストリートは人格を表すパスポート・共通言語。
そして仲間のような安心感を得られる。
一つ抽象度の高い組織に属していると思える。
ここに、分断された社会でストリートが流行る真意があると思います。
ここからどのようなカルチャーが生まれるか、もしくは生まれないか・・・
楽しみに経過を見たいと思います!
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
佐々木真吾
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