川柳句会ビー面 8月号


歓迎のために鉄塔が踊りだす

一読明快。『月夜のでんしんばしら』とか、エンタシスマン(ドラクエⅦ)を思い出しました。つい先日『タモリ倶楽部』の鉄塔回を見た記憶がまだ残っているからか、ようすがわりと生々しく浮かびます。山間の窪地、等間隔に足を下ろして立つ鉄塔、そのくねくね踊り……。
景はそんな感じなのですが、あとは省略されているものが余地ですね。なにを歓迎しているのでしょう? と考えていると実際なんでも良くなってきて、それは「歓迎」の一語の力に尽きるのですが、そういうなんでも良くなり方は素敵だな、ともうそれだけで満足しちゃいました。そしてくねくね、としたものの、実際鉄塔の踊りとはどんな踊りなのか……。案外静かな踊りなのかも。動いていないようで実は踊っているとか。ここの余地の広さがこの句のキモなような。
──────────西脇祥貴
無機質な鉄塔が踊り出す瞬間のBGMを想像しました。
──────────小野寺里穂

よそ行きの移民の倫理がキャラメリゼ

「移民」。この句の中で抜群に存在感のあるこのことばに、最初はだいぶ踏みこんで見てしまいました。しかも続くのが「倫理」。うーん。でも結語は「キャラメリゼ」なんやよなあ。重くしたいのか、軽く抜けたいのか……。
と思いながら何回も読んでいるうち、ん、ひょっとしたら「移民」を重くしてるのは、読み手=西脇のバイアスかも知れないぞ、という気がしてきました。では、とバイアスを外すムーヴをしてみて、さらに何回も読む……。うん。重くない。見慣れるとなお重くなくなりました。おそらく、「よそ行きの」はじまり「キャラメリゼ」おわりなのが効いているのだと思います。
ここまで見慣れてくると、「移民」の語に対してこの句はちょっと不謹慎やないか、と(すみません)はじめなんとなく思っていたのも薄れてきて、むしろあまりにその現実と遠いがゆえの、自分勝手なバイアスの圧力が俯瞰で見えてきました。なにこの圧力。たたらたらたら(©ジグザグジギーさん)。そうじゃない、この句への対し方はそうじゃないんや、「移民」の語を、そういうバイアスからひっぺがすのが、この句のありようなんだ(と、これもまた結局べつのバイアスかも知れませんが)と思うようになりました。
そうなると、この「移民」のなんと軽やかなこと! マイナス面の一切が季節風に吹き飛ばされてしまって、どこにでも行く、どこにでも暮らすという、裏に決死の覚悟を伴いながら、しかし字面はどこまでもポジティヴな気分が前面に出てきます。キャラメリゼの甘さ、そして固さもまた、現実をはらみながらきらきら光る。そうした「倫理」に、現代日本人としての自意識がぶった切られ、はらはらと崩れ落ちる間にもこの目に映るきらめきばかりが、読後いつまでも残って消えません。
ぱっとここまではたどり着けなかった、という意味で明快な句ではないのでしょうが、読むたび自分を見直させ、これまでの自分では見えなかった光を照らしてくれる句でした。ああ、川柳おもしろい……!!!
──────────西脇祥貴
川柳と倫理って、いっけんかけ離れているようで、じつは(だからこそ?)倫理を論じる場・考える場としてふさわしい詩形なのかもしれません。であれば、そうした場に対するスタンスが多様にあることが、多様であってもいいことが、たぶん川柳の良さなのだと思います。〈よそ行きの〉という形容が、ほんとうにすばらしいです。
あざやかな倫理 のろのろ汽車がゆく / 前田一石
──────────松尾優汰
キャラメリゼ、という言葉は使えそうだなと私も思っていましたが、用法のイメージは全然違いました。
──────────下刃屋子芥子

チョキで負けてもダイヤを盗め

良い句だなと思いました!チョキで負けるってふつうに真っ当にじゃんけんしてもあり得る場面なんですけど、「最初はグー」でずるして勝つつもりの相手に対して、さらに裏を読んでチョキを出す!しかし素直にグーを出した相手の勝ち。みたいな間抜けな場面もありだな〜とか。なにより「負けてもダイヤを盗め」の大胆な唆しが良い。些細な負けはデッカい勝ちで清算!ただしこの後、ルパンみたいなお約束のオチがほしいところです。戯曲的な、お約束的な、そういう大いなるフィクションのなかでだけ寛容に扱われる悪行へのお誘い。そういうおおらかさが感じられました。好きです。──────────城崎ララ
じゃあ、なんで、じゃんけんするんだろう? という問いの不毛さが、もうすでに川柳的だと思いました。〈盗め〉と命令する意思の強固さも、おそらく〈盗まされる〉のであろう客体のかわいそうさも、川柳としての良さにみちていると思います。
──────────松尾優汰
チョキで負けるのは石――ダイヤですね。たとえじゃんけんで石に負けたとしてもダイヤを盗み、勝てという。へんてこなエンパワメントで笑いました。範馬勇次郎も「この世には石をも断ち切る鋏があるということを憶えておけ」って言ってましたね。そういえば勇次郎は黒鉛を握りしめてダイヤに変えてましたね。じゃんけんの勝ち負けも結局は暴力でなんとかなるんですよ。
──────────二三川練
言い切りだ、うわ、言い切り。最近個人的キーワードだった言い切りが、ここに。じゃあもともとは何で負けたらダイヤを盗むんだったんでしょう。まあそりゃグーかパーのどっちかなんでしょうけどさ。なんて考えていってもせんのないことなのに、言い切られたがためにこんなことを書いてしまっている。この時点でもう作者の掌の上でああちくしょう、こんなに何もないのにまだ文字打ってるなにこれ! ってなってくやしいのでぜんぜん関係ないことで締めようVaundyさんが気になります。
──────────西脇祥貴

肛門をみぎにひだりに犬あるく

犬の肛門はかわいくてずっと見てしまいますね。犬を描いているんだけど、見ている主体が際立っています。
──────────スズキ皐月
本人は痛いだろうけど、周りから見るときっと可愛い光景でしかないでしょうね。
──────────小野寺里穂

太陽を飲んだたこ焼きはひとりっこ

「太陽を飲んだたこ」まだ読んだところで、おとぎ話感?と思ったらたこ焼きに展開されて、「ひとりっこ」というかわいい響きの言葉に着地する。全体として幼児向けアニメのテーマソングのような語彙だなあと感じて、その不思議なまとまり方が良いと思った。
──────────雨月茄子春

パン・レタス・ハム・パン・プラスチック・ラブ

これくらいの態度が、この短い詩には必要なんだと思う。
イメージが素敵だ。大変…、大変素敵だ。
プラトニック・ラブ。
──────────ササキリ ユウイチ
コンビニやパン屋のサンドイッチを分解すると、こうなるのかなと思って読みました。最後の「ラブ」という落とし所は、評価が分かれるところかもしれませんが、全体のカタカナ表記と「プラスチック・ラブ」という言葉の流れが、キッチュで楽しいと思います。
──────────佐々木ふく
まりや……。今回プラスチックを入れた句がちょうど三つあり、どなたかがプラスチック縛りにされたか、ビー面仲良すぎ怪奇現象なのかなのですが、それぞれのプラスチックの働きが違ってふうむ……、となりますね。まりや……。
朝食のBGMなのかな。全世界的リバイバル中の竹内まりや"プラスチック・ラブ"。知っててやっているならその解釈ですし、知らなくてやっているならもう少し面白そう。朝食の添え物にプラスチック・ラブが出てきたような。そう取りたいのですがまりやが強すぎる昨今。固有名詞はむずかしい、と思うと同時に、いまから50年経ってプラスチック・ラブリバイバルも完全に下火になった頃見るとまた違う趣があるのかなあ、とも思います。
完全に余談ですが、"プラスチック・ラブ"、単体で聴くよりアルバムの順通り"もう一度"の次に聴くのが好きです。
──────────西脇祥貴

ほぐし水でほぐす前から下戸でした

コンビニでお蕎麦やそうめんを買って食べようとするときに気が付く、あのほぐし水。ほぐす、という言葉はいいもんだ。声に出してみたときの音の感じが、なんともなさけなく力が抜けていく。水ににんげんが何かしらの効用をみいだすときというのは少なからずあるわけで、聖水や清水、はたまた水素水、などが思いつくのだけれど、この「ほぐし水」の現実の効用は麺の固まりを解くことなのに、川柳定型に盛り込まれると、邪気がないとも思わないこの「ほぐし水」は間抜けな怪しい効用を帯び始める(「清水」の「しみず」の音が「ほぐしみず」の中にあるからかもしれない)。ほぐすという言葉の一般的な射程は糸のもつれや魚の身、肩こり、緊張、であるけれど、そこに水がむすびつけば、そのあとに続く「下戸」の影にいるお酒の液体と酔いの似て非なるイメージをも読者に与えうる。ほぐし水もお酒も、飲むものもしくは浴びるものだろうし、緊張や肉体の強ばりを解くのだろう。ただ、この句の〈私〉?というのは、2回も繰り返される(あえて繰り返している?)そのほぐしの呪力に無関係で、かたまりが解消しようがしまいがお酒もダメらしい。酔ってほぐれる必要がないし、そういう性分なのだろうし、それを「下戸でした」という申し訳ないのか、それとも全然他人に遠慮しない妙な自信なのか、どちらにせよノーガード棒立ちで報告してくれる感じが、下戸という間抜けな音ともあいまって大変魅力的でした。
──────────公共プール
「ほぐし水」というとコンビニのそばとかそうめんについてくるものですが、後に下戸と来るとお酒を飲むときのチェイサーのような気がしてきます。
意味はうまく取れてはいないのですが、なんだか大人なもの悲しさが良いです。
──────────スズキ皐月
「ほぐし水」を麺類ではなく人に使っていると読みました。
水をかけてほぐしてみても、飲めるようにはならないし、気持ちもほぐれないし、結局下戸のまま。でも別に下戸でもいいし、ほぐれたいとも思っていないから、そもそもほぐし水が余計なお世話。
「ほぐし水」という言葉のチョイスと、「下戸でした」という宣言?報告?の力の抜け具合が良いなと思いました。
──────────佐々木ふく

国史(Alé Hieda's druggy druggy sweeeeeeeetblood<3 Re-Edit.)

プログラミング言語のような謎言語に思わずなんじゃこりゃ!?と叫びそうになりました。Alé Hiedaをグーグル翻訳に突っ込んだら「アレ ヒエダ」と表示されてようやく稗田阿礼のことだと分かりました。見知った名前でも見慣れない文字で書かれると、理解を拒絶してしまう脳の働きが興味深かったです。druggy以降も頑張って意味を理解しようとしたんですけど、さっぱりでした!ダメ元で「druggy druggy sweet blood」をグーグル翻訳してみたら「ドラッギー・ドラッギー・スウィート・ブラッド」と表示されました。洋楽の邦題にありそう。英語部分をあえて翻訳するとしたら、そのままカタカナにするのが正解なんじゃないでしょうか?変に意味を見出すより、音のまま受け取ってみるのもアリだと思います。
──────────南雲ゆゆ

ウルドゥー語専攻らしく茶をしばく

「専攻」「らしく」「しばく」で一句のリズムができてる。「ウルドゥー」という加速床みたいな長音から始まってるのも楽しい。内容というより音運びで採ってます!
──────────雨月茄子春
やっチャイな!って、こと???
──────────公共プール
大プラスチックスマイル好きな人
プラスチックには色んな文脈があって、これはこれからも色んな読まれ方をすると思う。川柳続けていたら十年後とかにもまた読んでみたいな。大、も、スマイルも、好きな人、もうまくはまっていると思う。
──────────ササキリ ユウイチ
二つ目のプラスチック。これもこじつければハッピー・マンデーズ("Plastic face don't smile Whites Out!")と言えなくもないですが別物でいいはず。とはいえ語感は、ハッピー・マンデーズのニュアンスが使えるかなあと思いました。笑っているけど笑わないかんじ、貼り付けたかんじ、大量生産のかんじ。その巨大なものが「大好きな人」という、言ってしまえばこれもそもそもプラスチックな響きのある愛情表現に割り込んでいる、というように読みました。
割り込んでいる位置が大事ですね。今の位置だと、大と好の間に割り込んでいるので、プラスチックスマイルを気味悪く巨大化させていますが、「好きな人」はそのまま生きているので、割り込み前の「大好きな人」が予想できます。これがたとえば好ときの間だと、「大好きな人」も、「好きな人」さえ千切ってしまえるので、それはそれで破壊的なプラスチックスマイルになったかも知れません。
──────────西脇祥貴

玉子/ジルこの四択でしゃがめるか

どういう意味なのか全く分からず、意味が知りたいと思った。
──────────下刃屋子芥子

でも川柳は微笑んでるだけ

川柳についての自己言及的な句はドヤ感が強いものが多くて苦手なのですが、これは控えめかつ核心をついていていいと思いました。
──────────小野寺里穂
ひと目みてすとんと落ちてきてだから好きだなと思った句。「川柳は」と主体に据えられた川柳の、微笑んでるだけのその微笑みはどんなのでしょう。ちょっとモナリザのイメージがあります。
──────────城崎ララ
川柳をおもしろいと思っているから、この句に惹かれたのかもしれません。
川柳のおもしろさが、端的に表されているように思いました。
と、言えるほどに、私自身が川柳をわかっているわけではありませんが。
──────────佐々木ふく
ストレートなんだけど、川柳のふところの広さを感じてほっこりしました。川柳作る側が川柳のやさしさに甘えてるな~という指摘もここで出来そうなんですが、「でも川柳は微笑んでいるだけ」なんでしょうね。
──────────スズキ皐月
今回の順番の勝利句。わりとばらばらのわけわからん句(ごめんなさい! コメントしようがないからできないんですけどばらばらはのぞむところです!!)までアクセル好調に来たところへ、この落ち着いた観測。逆に言えば、これまでの句があるおかげで、単発より効果を発揮しているとも言えます。ほんといい位置。
にしても、だれのつぶやき!? いいつぶやきですね。かわいい。微笑みにもいろいろありますしね。なにかを思い出してるのかも知れないし、だれかと(前後の句と?)しゃべってるのかも知れないし。
──────────西脇祥貴

『POPEYEポパイ』読んでちょびりんき〜 風の吹く丘

初読「ちょびりんき」で一気になつかしい気分に。これは『ハム太郎』シリーズに出てくるハム語で「イケてる」という意味ですね。『POPEYE』がわからなくて調べたんですがこちらは男性向けのファッション誌と出てきました。
これで、丘でファッション誌を読む人(もしくはハムスター)という景が自分の中で出来上がりました。
個人的にはこれは大人が「ちょびりんき~」と言っていると読みたい。というのも、メタ的な読みになってしまうのだが、この川柳を作った大人がそこにいて、その人が「ちょびりんき」を覚えていて、それを今でも使いたくなるという感覚を共有していたいからです。
ハムスターが言っていても成立するし面白かわいいのだけど、「ちょびりんき」を共有する誰かをここに見ていたいです。
──────────スズキ皐月
ちょびりんき~、ハムごなんですね。……なんだハムごって。これ今後川柳に使われていくのか。もうここだけなんじゃないのか。だとしたらわれわれは今、とんでもない現場に立ち会っていることになるぞ……!!! つって妙なテンションにさせられた挙げ句、取って付けたような異常詩的風景へどぼん。取って付けた感じなので、落ち着いて考えたらクリシェ(今このクリシェ、って三度も打ち間違えました。やられてる……)な詩(笑)的風景のはずなのに、なんかハイなので受け入れられてしまう。あはは風の吹く丘やって!!! と自然に転げ落ちていってしまう、クリシェじゃん、と突っ込む間もなく、風の吹く丘の草の上へ……。
どういう体験なんでしょうこれは。一句の内で。終始なんだこれなのに、なんかくせになっちゃう。かえってクリシェで終わるからこそ、上でアクロバットしてても句として立ててるんじゃないか、なんて思い始めてしまう。そしてつい、並選になんてしてしまう。いいのかこれで。いや、この感覚こそが、ちょびりんき~、なのか……!!? でろろん。。。
──────────西脇祥貴

ありもせん花の名前で置換する

すごく短詩っぽいと思いました。これはこの句が短詩らしい作り方であるという意味ではなく、短詩の営みを俯瞰客観で見ているような句だなという意味です。
つまりは短詩における比喩のテクニックを置換と表現しているような気がして、ちょっと大人なスタンスで冷静になってるように感じました。
──────────スズキ皐月
川柳において名詞や動詞を〈置換する〉という技法が選択されることは多いですが、〈ありもせん〉名前でもって置換しようとしているのは珍しい気がします。とても素敵です。〈ありもせん花の名前〉で太宰治の「フォスフォレッセンス」を思い出しました。
──────────松尾優汰
いいなあ、とぱっと見て思いました。もうアイデアがいい、ありもしない花の名前をいくつも頭の中で考えちゃう、ペナンジアとか、ギルボゾンとか、ポポノフェレミアとか……。という、ストレートにいい句だと、背骨ちゃんとある句だと思ったがためにたった一点気になってしまう、「ありもせん」。この口語、良かったのか悪かったのか……。今回に関しては、効果的なのかどうか今も迷っています。ありえない、じゃ駄目だったのかな。
──────────西脇祥貴

鈴虫のためのリハーサル

短律勝負。それだけでにこにこしてしまうのに、九月らしい句でさらにニコニコさせてもらいました。ことばのつなぎが絶妙ですね……。鈴虫、とリハーサル、の間にほそーいリンクはたしかにあり、でもそれがどういう何なのかはまったく分からない。だから想像する。想像させる。短律がゆえに想像させる腕力が増し増しです。とてもおおきな想像を広げたくなってしまう。野暮ですけどぼくが思ったのは、夏のぜんぶでした。夏のぜんぶが鈴虫に捧げられているんだと思うと、いまこのくそ暑い季節が、実はみんな鈴虫のためのリハーサルなんだ、と思うと、ふしぎにちょっと過ごしやすくなる気がします。気候への受けとめにも揺さぶりをかける、力のこもった句。みなぎっています。
──────────西脇祥貴

重税のごとく現れたる音頭

やだ!重税も音頭もいやだし、「ごとく」「現れたる」っていう登場の仕方も腹立つ!
──────────公共プール
税、来ることは知っているのにいざ来るときって唐突ですよね。レジ袋有料化も唐突に、これまでもそうであったかのように変わるものだから世界に置いていかれたと思いました。お祭りの音頭は来ることを知っていて、それでも唐突に聴こえてきて、それがワクワクして幸せなんですよね。とても嫌な直喩で、でも納得してしまう。乾いた笑いを浮かべてしまうような皮肉がこもっています。もしかしたら「重税のごとく現れたる音頭」というタイトルの音頭なのかもしれません。もしそうだとしたら、それは重税が終わった後の世界のことなのでしょうね。
──────────二三川練

九州は皮肉でできた水餃子

……九州に痛い目に遭わされたの?? 皮肉ということばが強いので、九州出身なのかそうじゃないのかで重みの変わりそうな句です。あるいはそんなのどうでもいいのかな。ただ水餃子なのかな。皮肉って、皮と肉に分けたらすでにほぼ餃子ですし。そうすると、中七以下はある意味ただごとになるのか。。。水餃子は、皮肉なのか。。。ん? ということは、水餃子は、九州なのか!!? というふうに遡ってもなにか匂ってくる九州への言いがたい思い。そういうものを煮詰めて煮詰めてこの句、なのなら、ど川柳ですね。
──────────西脇祥貴
皮肉、皮と肉で餃子、という連想がわかりやすいのは良いとして、なぜ九州で水餃子なのかわかりませんでした。
──────────下刃屋子芥子

蓮のみずひとひらのみもたれ行く末

ひとひらの蓮の水でもたれるとは大抵の人は思わないが、もたれ行く末と言うのはそうかもしれない、と思いました。
──────────下刃屋子芥子

母の名の由来を知ってごみ捨てに

この句好きです!日曜の朝を思わせる句ですね。
──────────南雲ゆゆ
川柳っぽさがつよいです。ただ、川柳っぽい流れがちょっとオートマティックかも、と思いました。母→ごみ捨ての取り合わせのせい? 「に」終わりのせい? よくある型ではあるのかもしれません。
ただそうとばかりも思えないのは、知って、とごみ捨てに、の間に断絶がにおっているところ。そこでの切れようがなんだか、いろいろなことを入れられる余地、というか、時間的余白に感じられます。それを感じられる切れがある句、というだけで価値がある気がします。
──────────西脇祥貴

ナースコールがうまく押せない大統領

ハリウッドコメディにありそうなシーンですね。うまく押せないということは腕を骨折しているのでしょうか。大統領という権力の象徴が包帯ぐるぐる巻きにされているところが笑いを誘います。奇をてらわないところも好ましく感じました。句集の明朝体で読みたいです。
──────────南雲ゆゆ
「大統領」が「押す」ものとなると核ミサイルの発射スイッチを連想します。大統領自身もそれを感じているのでしょう。ナースコールを押すのをためらっている絵が浮かびます。職業病のようなユーモアを感じます。
──────────スズキ皐月

骨抜き(人間・不詳・膝に矢有り)

市場で取引される食材のような記述ですね。人間の肉である点も不気味ですが、不詳という単語が登場するのも恐ろしい。何が不詳なのか?性別なのか、年齢なのか。いずれにしろ人間を食す、文字を解するほどの知的生命体がいること、彼らは食材である人間の「何らかの情報」に価値を置いていることは確かなようです。この「何らかの情報」が「不詳」であることが重要だと思いました。具体的な情報が明示されていたら、驚きはあってもここまでの怖さは感じなかったはずです。そして最後の「膝に矢有り」。弁慶でしょうか?異世界ぽいのに一気に現実と接続してとても興奮しました。
──────────南雲ゆゆ
態度自体は川柳らしいと思う。川柳は骨抜きにするし、骨抜きだから。肉と骨の逆転もたいへん面白いです。不詳というのが、これが川柳であることのエクスキューズになっている。韻律だけが気になります。
──────────ササキリ ユウイチ
骨抜き、と呼ばれる「もの」が当然あるような体で話されてます。この強引さがまず魅力。名詞じゃないですよね本来? わさび抜き、みたいな使い方なのかな。だとしてなにの骨抜きかなー、という詳細は( )の中で明かされています。人間だった。不詳、なにがかな、性別かな。うわあ、いよいよホラー。で残された手がかりが膝に矢。叙景句だった。こわい叙景句だった。こわっっっっっ!!!!!
──────────西脇祥貴

半文錢が笑い飛ばしてくれますから

「○文錢」が持ってくるMOROHAの文脈。と「笑い飛ばしてくれますから」のMOROHAのアフロの声で再生される感にウケちゃいました。
──────────雨月茄子春
いま現代川柳をやろうとしているわれわれの、大きな頼り先である大家の一人・木村半文錢さん(スリガラスの句大好きです)。こんな、頼れるくらい時代が空いたいまだから、成立する句のように思えます。
にしても、そうか、笑い飛ばすイメージだったのか。これはもちろん個人の受けとめによるでしょうが、笑い飛ばす柳人、ってあんまり想像できなかったんですよね。笑ってくれるくらいはありそうですけど、笑い飛ばす、までいくと……。渡辺隆夫さんとかかなあ。
──────────西脇祥貴

しぬことになった くコ:彡 おてを拝借

このくらいフランクな死生観が一番良いと思う。一番真剣だと思う。落語の人情噺みたいな(よくは知らないけれど)、滑稽さの中にある哀しさにタッチできてる、でもおめでたい、なんなんだろうこの死生観。ピュア?
──────────雨月茄子春
軽快さ、イカ
──────────下刃屋子芥子

春夏秋冬360度のカーテン

すてきなカーテン。浦島太郎の竜宮城にあるという四季の部屋の襖を連想しました。ホールかなにかのぐるっと壁面を覆うカーテン、そこに投影される四季のようなものかと思いましたが、単純に眺望のよい大きな窓でもいいなあ。あるいは窓の外と内とを覆い隠すのがカーテンですから、良いものだけ見せてくれているような閉塞感でもあるのかも?
──────────城崎ララ
直感的に好きだなと思いました。
──────────南雲ゆゆ

えびプラスチック爆弾アレルギー

中華定食大盛!みたいな要素つめつめなのに575のリズムなのがグッときました。「えびアレルギー」と「プラスチック爆弾」という、元々2つの単語を組み合わせている言葉をさらに合体させて成り立っている句です。プラスチック爆弾が真ん中にさしこまれているのがユニークですね。
言葉の上では足し算のみで構成されているにも関わらず、意味の上では引き算がなされているような印象を受ける、とても不思議な句です。片方だけだと、その言葉に付随する思い出とか文脈とかが想起されると思うんです。「えびアレルギー」なら甲殻類アレルギーが判明した知人のこととか、「プラスチック爆弾」なら実際に起きた事件やアクション映画とか。しかし両者を合わせることによって、言葉そのものが前景にやって来ます。そもそも複合語って、元の単語の歴史を後景に追いやる力があるのではないでしょうか。
──────────南雲ゆゆ
三つ目のプラスチック。うん、きらいじゃない……。これが三つだといちばん好きかも。勢いまかせで。あほっぽくて。えびで始まるのがいかにもあほっぽい。えびプラスチックもあほっぽい。えびプラスチック爆弾もあほっぽい。そしてえびプラスチック爆弾アレルギーまでいっても、あほっぽい。。。
いやあほあほすみません、でも立ち止まっていくとこの句、なかなか深刻だと思うんです。句の全体をサンドしているのはえびアレルギー、甲殻類のアレルギー反応はなかなかに重いと聞いたことがあります。そして挟まれているのがプラスチック爆弾。いうまでもなく、簡易なくせに強力な爆弾。強い痛みを伴うことば同士が、さらに強引な力によってねじ合わされている。それだけでも、かなり残酷な句であるといえます。一句の内に、この極端な二面性。なにかを喚起するとか訴えるとかそういうこと以前の、もう句の存在そのものが危険物、禍い、というような領域に踏み込もうとしているのではないでしょうか。しかしそういう句の表層がどこまでもあほっぽいのは、川柳をやっている者としてはとても頼もしく思えます。並選にしちゃいます。
──────────西脇祥貴
マック句のなかで、これは微妙だったかなと思いました。
──────────ササキリ ユウイチ

シンセサイザー潮騒だ すみいれよ、ね

半角も読点もいるのかって思った。それがこの句を近寄りがたくしてないだろうか、と。ここには多彩な時間とイメージが含まれている。こんなよそよそしいのってありなのか。特選にするか迷いました。
──────────ササキリ ユウイチ
前半ジョイマン! いよいよビー面にもジョイマンの波が……。しかしあとがちょっと溶けすぎていてむずかしいです。半角スペース、その後にひらがなのみの文字列、しかも読点もある。半角スペースと読点の差は? そして「すみいれよ」? 「墨入れよ」? 「住み入れよ」? 「炭煎れよ」?? ごめんなさい、あまりにつかまえにくかった。。。
──────────西脇祥貴

孕んでも孕んでも三年二組

産んだ子が必ず三年二組に振り分けられるという呪い。小学校も中学校も、もしかしたら高校も。何人産んでもその法則から逃れられないのは怖い。その呪いから逃れるために何人も産むその強迫観念と無責任さも怖い。馬鹿馬鹿しいことなのに本気の切実さや恐怖心が見えてきて、笑えてしまう。山頭火のパロディということも効いています。
──────────二三川練
なかなか穏やかでない句ですね。孕むという言葉は特定の時点を指しているのに、三年二組になるまでの9,10年間が付帯してくるのが、この状況の残酷さとか、取り返しのつかなさを表現しているように思いました。
──────────南雲ゆゆ
「三年二組」が良いです!奇妙な不気味さ。
──────────佐々木ふく
転生もの?タイムリープもの?のよう。繰り返しにそういう効果があると知れました。
──────────雨月茄子春
最近句会を経験したせいか、たとえば、「これが「孕む」が兼題の句会だったら」という考えで読んだりしました。そしたら私はこれを採ると思う。
──────────ササキリ ユウイチ

⚠︎雨は過度のセンチメンタルを含む⚠︎

雨って抒情的でセンチメンタルな感じがしてつい詩で使いがちなんですが、それを指摘してくれているような句です。注意マークで挟んでいることで、詩を管理している何者かからのメッセージらしくなっていてそこも面白いです。
──────────スズキ皐月
それはそうだよなぁ、と思いました。
どこかのあの人も同じ状況で行動を制限されていたり、それでも冷たい電車で仕事に行っていたり、温かい空間で誰かに会っていたり、しとしと雨に打たれてながら見えない敵と戦っていたりする。が、川柳の形態としては疑問が残る
──────────下刃屋子芥子
「雨は過度のセンチメンタルを含む」だけだと、そのまま感がありますが、記号によって非凡ならざる雰囲気を醸し出していると思います。
──────────南雲ゆゆ

回らないお寿司に髭を盗まれる

回転の勢いでごっそり盗まれるのか? という一点だけ無茶苦茶気になりました。
──────────西脇祥貴

スピンだけが覚えている撫でられ

スピンは本の栞の紐の事だと読みました。撫でられ、は動名詞として読みました。ツルツルした質感の紐を頁に挟む際に撫でる意図はない指に撫でられるスピン。それは幾重にも繰り返されてきた一瞬のできごと。
──────────下刃屋子芥子
撫でられが良いです。撫でられの発生。スピンだけが覚えている撫でられって何のことなんでしょう、空気の動き?加速度の体感?体幹への意識?スピンをそのまま回転と捉えていいのかわからないんですが面白い句。
──────────城崎ララ

ペンギンが白黒なのは戦前てこと

妙な説得力。これどう取るかなあ、と悩むのですが、ペンギン、今見てもほぼ白黒だから、今も戦前、ということなのか、本当のペンギンは白黒だけでできていないから、やはり戦前は70年ちかく前の戦前なのか。
この悩みを悩みのまま保留にさせて、しかも読めば読むほど、いまも戦前、の方の影を濃くさせてくる句です。チャーミングに見えて「戦前」で一気にきな臭さを拡散、そのまま悩みの沼へ引きずり込む。本当はずっと戦中なんだ、と気がついている人にはこの句もかわいいものかも知れませんが、ほとんどの人にはショックを与えられるのではないでしょうか。そしてこの句なら、「てこと」の口語表現は違和感ありません。ペンギンから引き受けたポップさを句全体に広げて、戦前の重みと対等に火花を散らせるように整えています。今回こわい句多いなあ。しかたないのかなあ、こんな時勢だから。。。
──────────西脇祥貴
ペンギンが白黒なのは当たり前で、つまりいつでも戦前てこと(この舌ったらずな感じも良い)。でもよく考えたら、ペンギンって本当に白黒と言えるのか。言い切られると、逆に、ペンギンや白黒まで疑いたくなるのが面白かったです。
──────────佐々木ふく
戦後のペンギンのカラーを想像してみたり、戦前のままのペンギン、タイムトラベルしてるのか、そこだけ時空がずれてるのか。ペンギンとその他の時空のずれ。じゃあ我々が見てるペンギンってなんなのか?一気に色々疑いたくなる句。
──────────城崎ララ


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