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幸せだって言ってんだから、みんな私を祝えバカ

今夜も酩酊してトランスへようこそ、胃からせり上がる悲しいとか寂しいを咀嚼しながら嗚咽、泣きながら歩いていたら電柱にぶつかってひっくり返って鼻血が出た。

こんな夜に家に誰かいて、叱られたり心配されたりされたら嫌だなぁと思いながら家に帰ると、やっぱり誰もいなくてホッとする。

5畳のワンルームにあるベッドまでの道のりの間に、リュックを置き、上着を脱ぎ、靴下を脱ぎ、服を脱ぎ、下着を外して、ベッドになだれ込めば快楽が身体じゅうに充填。

さみしいなぁ、さみしいさみしい。

そう呟きながら毛布をたぐりよせてギュッと握り、私はというと笑っていた。この世で一番幸せを感じる瞬間。酔って孤独を抱きながら眠る夜が愛おしくて仕方ない。結婚をしていない、恋人もいない私は、誰の顔を思い浮かべながら寝ても咎められない。孤独こそ何があっても私に連れ添って離れない、理解ある最強の恋人だ。

とは言え、ときどき誰かの寝息を聞きながら眠りたい夜もあるし、孤独が手に負えない夜もある。だけどそんなの、パートナーと暮らす人だって同じことで、1人で眠りたい夜もあるだろうし、相手が手に負えなくなる夜だってあるだろう。しかし、各々が引き受けるべきものを引き受けることを選びとって、1番大事なものを守っている。その選択には、幸せには、誰も口を差しはさむ余地などない。

「早く幸せになれるといいね」

聞き飽きてヘドが出そうだ。表面を舐める距離感で話す相手はだいたい、結婚することや、恋人がいることを幸せだと思っている。あるいは私の生活には賞味期限があって、いつか“卒業”していくものだと思っている。

寂しさにかまけて、うっかり適当な結婚をしないように気を付けているのに、とんだ的外れだ。もちろんあっさり結婚して、現代における茨だらけの独身ロードからエスケープすることもあるかもしれないが、どうしようと私の自由である。おまけにみんな、心から私の幸せを願ってくれているようだから面倒だ。幸せなんだけどな、と、心の中でヘラヘラ笑う。

「でも私、けっこう幸せなんですよ。毎日楽しいし、結婚は今のところいいかな」と明るい調子で言うと、場の空気が凍り、今度は口々に「幸せの形は人それぞれだけど」とか「あと3年はまだ大丈夫だよ」といったわけのわからないフォローをしてきた。フォローされる要素がない。同じ言語を使っていながら、空を切るようなコミュニケーション。思想の違うカルト集団に囲まれた気分だ。

結婚自体を否定しているわけでもなく、私にはフィットしないと言っているだけなのに、呆れたように目くばせをして、徹底的に私を諭し始める。強引な勧誘だ。

今は楽しくても3年も経てば寂しくなって結婚したくなるに決まっている、婚活市場において27歳を超えると女性は一気に市場価値が暴落するから手遅れになる、未熟な人間にはわからない、守るものがある人生こそ尊い、無理しているんでしょう可哀想、云々。

信仰の自由はおおむね保障されているのに、生き方を選ぶ自由は保障されていないらしい。

極めつけは、「あなたのことを想って言っているのに」だ。

私のことを想って言っているのだろうし、それはどうもご丁寧にありがとうございます受け止めましたと頂戴した後、開封せずに棚に仕舞ったとしてもゴミ箱に捨てたとしても咎められる理由もなく、あなたが勝手におっしゃりたくておっしゃって、ハイそこで終了、思い通りにならなかったからと言って攻撃するのは、ただのエゴだ。

私のことを想っているなら、そのままの私を祝福してくれと思うのだが、祝福されるのは“正当な”ライフコースだけだと相場が決まっているらしい。

もちろんこうした人が全てではないし、私の友人たちは絶対にこういうことを言ってこない。しかし、一歩外にフィールドを移すと、至近距離で刺される。刺している実感もないのだろうが、年齢や経験、立場を盾に未来を人質にとられると、口も返せず不安だけが募ることに想像力が働かないのだろうか。

結婚したらしたで、「結婚しているのに悩みを持つなんて贅沢だ」と言ってくる独身の人もいるのかもしれないし、「次は出産ね」とか言われるのだろうし、言われている人を見てきた。

どこまでいっても、この世は地獄。
個人を個人として認識せずに“その人”のステータスだけを抽出して捉え、徒党を組みたがる解像度の低い人間が多すぎる。

***

「だったら言わせてもらうが」と少々ケンカ腰になって、そもそもの話をするが、人でなしと言われるのを承知のうえで、私は結婚のめでたさが本質的なところでわかっていない。

結婚式には出席したいし、友人の結婚はめでたい。でも、それは近しい友人がうれしそうにしているのがうれしいから祝うだけで、何がめでたいのかは実感としてわからない。

でも、それは、多くの人も同じなのではないか。

結婚式に参列して祝福している人の一体何人が、「結婚=めでたい」理由を答えられるのだろうか。

祝福の理由なんて、それこそ、当人たちが幸せそうにしていることにしかないように思う。だとしたら、どうして結婚する人だけが祝福されるのだろう。

どうして私たちは、独身というだけで祝福されないのだろう。

***

ある日友人が夜中に泣いて電話をかけてきた。

彼女は長いこと好きな人がいて深い仲だが、表面的には“恋人”がいない。可愛い人なので恋人がいないことを不思議に思われて、根堀り葉掘り聞かれて「そんな男はやめろ」と言われたり、「他に良い人がいるから紹介する」と適当な男をあてがわれそうになったりして面倒に巻き込まれることも多く、その夜も例によってそんな夜だった。

彼女は開口一番、

「私もお祝いされたい!」

と言って、泣き崩れた。

「私は彼と結婚したいわけでもないし、今の関係のままでもいいし、この縁がどこかで途切れても後悔なんてない。ただ、周りに哀れまれるのが耐えられない。私は可哀想じゃないし、幸せだし、幸せだって認められたい! 私だって祝われたい!」

好きでもない人からプロポーズされていて、周りの圧に耐えかねるから結婚しようかな、とまで言い出す。それでもいいならいいけどやめなよ、と私は言った。

彼女はしばらく泣いていた。

何で祝ってもらえないのかね、と私は呟いた。
それから10分ほど黙って、彼女の嗚咽を聞いていた。

***

#プレ花嫁さんと繋がりたい というタグがある。
仕事の関係で一度検索をかけたことがあるが、そこには別世界が広がっていた。

祝福が真空になって、それ以外のネガティブを排除する世界。

羨ましいを通り越して、息が止まった。

考えてみれば、成人を迎えてからの祝い事など、昇進か結婚か出産くらいだ。フリーランスでずっと独身を貫き、子どもを産むこともなければ、私は一生祝われることがない。

祝われることがないうえに、やれ「結婚しろ」だの、「結婚しないのは未熟だからだ」だの、心ないヤジを飛ばされながら歩いて、疲れたときにちょっと弱音を零せば「ほら言わんこっちゃない」と言われるのだ。

そう思うと、何だか心がズンと沈み、視界がぼうっと絶望する。
もう一歩も歩けないような、そんな心地がした。

***

――ねぇ、どうして結婚ばかりが祝われるの?

信頼のおける少し年上の友人にそう訊ねたことがある。

彼は「必ずしもめでたいことじゃないから祝うんだよ」と言った。

「結婚も出産も昇進も、共同体にとってはプラスだけど、個人にとっては必ずしも喜ばしいことじゃないかもしれないし、覚悟もいるし、継続にエネルギーもいる。だから、迷わず前に進めるよう送り出してあげるんだよ。祝福はあくまでその手段」

歩くスピードを変えずに、彼は淡々と言った。
「共同体にとってはプラスにならないかもしれないけど」私が切り出す。

「私も毎日、自分の選択に迷いながらも頑張って生きてるんだけどなぁ。何で祝われるどころか幸せだという主張すら“違う”と言われなきゃいけないんだろうなぁ」

上を向きながら唇を噛み、しばらく無言で歩いた。
彼は恐らくはまっすぐ前を見据えて「ちょっと寄り道しよう」と言って、道沿いに現れた回転寿司屋を見つけ、ちょっと待ってて、と言い、店の中に消えていった。

しばらくして出てきた彼は、手に包みを提げていて、

「安いけど、本日の独身祝い」

と言って、寿司を渡してくれた。

家に帰って包みを開けると、10貫の寿司が入っていた。
私は小さく拍手をして「独身おめでとう」と呟いて、泣きながら食べた。

翌日はいつもより胸を張って歩けた。
他人からの祝福は、明日を生きる活力になる。

***

「自分の幸せを生きているんだから、それでいいじゃん」と言ってくれる人もいる。

ありがたいし、そうかもしれない。そうかもしれないけど、私も揺らぐ。日々揺らぐうえに、幸せだって言ってるのに「それは勘違いだ」とか「無理してるんだね」とか「人の幸せは人それぞれ」とか言いながら気まずそうにされたら揺らぐ。「3年後に手遅れになっても知らない」と誰もわからない未来を人質に取るのは卑怯で最悪。

私は幸せだ。酔い潰れて1人で家に帰って来て、誰の目も気にせず、裸で布団に潜り込んで孤独抱いて眠る夜は絶頂だし、恋人を持たず道端に落ちている小さな恋にあちこち目くばせして、大した発展もさせないまま、その全部に想い馳せるのが至高。夜中のコンビニのイートインで食べるカップ麺は悪い味がして至福のときだし、1人でいるもいないも自分で調整できるのは健康。休日に出歩いて親子連れやカップルを見て、あるいは友人の結婚や同棲の話を聞いて喜ばしくも少しセンチメンタルになった気分になるのさえ乙で最高で、私はおおむね幸せだ。幸せだって言っているのに「強がり」とか「可哀想」とかレッテルを張ってくる人間たちいい加減にしろ、お前の幸せを強要するな、他人を呪って安心するな、こちらを羨み疎むくらいならお前もやれ、己の選択を祝え、“私”の選択を恥じるな、幸せだって言ってんだから、みんな私を祝えバカ。

***

24時間365日幸せだと誓える人間なんていないと思う。

自分の幸せを迷いなく他人に着せられるくらい自信のある人は、他人へのお仕着せだけやめていただいて、どうぞそのまま突き進んでほしい。おめでとう。

でも、多くの人は自分の胸に手を当て、自分の幸せを平均台の上を歩くように確かめ、揺らぎながら生きているのではないだろうか。

迷いながら、しかし、それでも幸せだと思う方向に歩みを進めようとする人間に必要なのは、祝福だ。

結婚おめでとう、出産おめでとう、昇進おめでとう、今日も独身おめでとう、“恋人”ではない好きな人のそばにいる人生おめでとう、やっぱり疲れちゃって結婚することにしたんだねおめでとう、離婚して晴れて独身ですかおめでとう、今夜は祝祭、毎日が小さな祝祭、おめでとう、おめでとう、おめでとう。

究極、幸せにすらなる必要だってないと思っている。
不幸である自由だって認められるはずだ。

それでも、幸せになりたくて、自分にフィットする幸せのカタチを探して、日々迷いながらも「幸せです!」と叫んだ人間は祝福されるべきだ。

万が一周囲が祝ってくれなくても、折れちゃいけない、前に進んでいかなきゃいけない。

そんなときは「幸せだ」と叫んで、己で祝え、てめぇで祝え、肯定をしろ。
胸を張って生きろ、あなたの毎日は小さな選択と、祝祭の積み重ねでできあがる。

幸せだって言ってんだから、みんな“私”を祝え、バカ。

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文筆家。メインテーマは「家族と性愛」コラムや小説のお仕事お待ちしてますmail:sasaki.nonoka@gmail.comTwitter:@sasakinonoka

コメント21件

そんなふうに強く、強く、自分を信じて、生きていたいです。
強くて弱くてかっこいい
とても面白かったです
私は結婚はしていますが、子供は作らない予定でいます
そういう話をするともったいないだとか、子供は可愛いとか色々言われて揺らぎそうになります
そんな気持ちを表現していて共感させて頂きました
はじめまして!72歳の老人です。おっしゃっていること いちいち頷いて読みました。結婚をめでたくゴールインとか言いながら幸せになってください!と言ったりするでしょ?ゴールインなら既に幸せなんじゃ?とか思ったりする。人は深い意味もなく決まった事を言葉の無駄使いのように垂れ流しているだけなんだと思います。私もいちいち腹を立てたりしていたし、この歳になった今だって辟易することがある。でも、ホントに人は色々で、私は今こうなの。というのと同じくらい、色々言ってくる人も、その人(色々の中の一人)もただそんな人というだけなんですよ。ホントに雑音でしかないと思います。耳に風穴を開けるしかないですね!
共感します❣️
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