愛された思い出_R

残すべきは愛し愛された思い出

まだ薄ら暗い明け方、背中を見送って布団に潜り込む。シングルの半分、彼が寝ていた余白は信じられないくらいに狭い。「すごく近くにいたんだなぁ」と思っているうちに、2人分にまで拡張したシングルベッドは、元の1人分サイズにまで縮小していって、耐えきれなくなった私は、シーツの裾をぎゅっと握った。

「さっきまで会っていた」という実感すら怪しくなって、布団の匂いを嗅ぐ。鼻腔から脳に広がるリアルな全部がパラパラマンガみたいに駆け巡って光になってショート、一瞬にして空気に溶けてなくなる。

彼のことは死ぬほど好きで、一時は仕事をしている時間以外の生活が回らなくなるほどだった。彼にも大事に思ってもらっている感覚はあるけど、何か約束をしたわけでも付き合っても結婚してもいないから、世間ではそれは“ないこと”になる。彼氏にデートをドタキャンされたと泣きながら怒っている友達を見て、約束できる関係はいいなぁと思った。

私も彼が欲しいなと思ったし、彼が手に入らないなら人生をスポイルしたいと本気で思っていた。彼と将来を約束する以外に、生きる理由が見当たらなかった。

結婚して子どもを産むという“わかりやすい幸せ”にハマれたら迷わなくて済むし、もう少し生きやすくなるのに、と思う。「結婚すれば変われるよ」というオトナたちの優しい言葉を気まぐれに信じてみては暴走して爆発した。

愛人契約の話を振られたこともある。

「一生一人で生きて行くの?寂しくない?どうやって食べていくの?」と言われ、「お金がなくても悠々自適に暮らせる」なんて嘘だと思った。お金がなければ自由さえ手に入れられない。契約を断ると、吐き捨てるようにして「せいぜいのたれ死ね」と言われた。草を食ってでも生きてやると思ったが、そうまでして生きて、やりたいことも特にないなと思った。

ただ、お金がないばかりに自由を奪われるのはごめんだと思って、お金を貯めた。ただ、それも、それ以上でも以下でもなかった。

そして、自分で自分に問いかける。

「一生一人で生きて行くの?寂しくない?どうやって食べていくの?」

そんな話もあったので、ひとまず貯蓄型の生命保険に入ってみた。これで老後の不安も薄まるし、生きることが面倒になっても両親にお金を残して死ねるから安心だと、狂った人間なりに真剣に考えた。

月数万円だったが、この「精神安定剤」は高く感じなかった。いつでも死ねるし、もしかして長生きしたくなったときの余地も残せる。しかし、最近になって知人に「生命保険に加入して3年以内の自殺は保険の対象外だよ」と教えてもらって絶望をする。するしない別にして数万円払って買えたと思っていた「死の自由」がなくなり、その事実は目の前の視界を一気に塞いだ。

――私の幸せって何、何がしたくて生きてるの、どこに向かうの

そう考えたときに浮かぶのは、いつだって同じ人の顔だ。結局のところ、私は彼が欲しいし、結婚したいし、子どもも産ませてほしいし、ずっと一緒にもいたい。だって、彼は私の唯一の生きる意味なのだ。

知人にそんな話をすると、私のことを大事に思う人たちからはきまって「それは愛じゃない」とか「やめたほうがいいとか「執着だ」とか「もっと良い人がいる」とか「30歳を見据えて動かないと生き遅れるよ」と言われる。

わかるよわかる、ありがとう、私のことを想って言ってくれるのが伝わります、そうだよね嬉しいありがとう、本当にありがとうございます、だけどね、わかっているけどどうしようもないんです、私には彼しかいない、私の世界に存在する希望は彼だけなんです、お願いです私の“好き”に触らないで、私の好きに触らないでください、お願いだから私の好きに触るな。

二進も三進もいかないが、生きて行くしかないなと思い、新しい生活に希望を託して引っ越しを決める。90リットルも入るビニール袋10個にいらない服も書類も投げ入れている最中、1枚の封筒が引き出しから顔を出した。

外身を見ただけで誰からの手紙なのかわかる。かわいらしい丸文字。何度も読んだ、読み返した内容。私の頭の中は、2年前にトリップする。

私がまだ会社員で、気持ちを病んで休職していたころ、私には好きな人がいた。

遠くに住んでいる男の人。年は20歳以上離れている。知人との繋がりでゆるく繋がっていたが、とあるイベントで初めて会った。やわらかい、自分の世界を持っている人だった。

会った瞬間、時が止まったのを覚えている。紛れもなく恋だと思ったが、良い夢を見たことにして、その日は帰った。しかし翌日、彼から届いたメッセージには「生まれて初めて一目ぼれをしました」ということが穏やかなニュアンスで書いてあった。

天井のシミを数えてコンビニと家を往復するだけの生活に、唯一の他人が現れた瞬間だった。

「私の何が好きなのですか」と聞くと、彼は「あなたの言葉が好きだ」と言う。当時、私が書いていたtumblrを見てくれていた。彼に付けてもらう“Like”をいち早く見たくてスマホを握りしめて眠った。

正直なところ、彼以外の“Like”はどうだってよかった。彼のために書いていた。あの頃の私にとって、彼が世界の全てだった。彼だけが私の世界の万能だった。

そして、だからこそ、現実的な話を避けた。

呼吸するようにメッセージを交わしていたある日、彼から「会いに行ってもいいですか」と連絡があった。飛行機に乗っても半日がかりのスケジュール。そうして数日後、私たちは初めて2人きりで会うことになった。

丸の内にあるビルの高層階のレストランで待ち合わせた。現れた彼を見て、柔らかい人だな、と改めて思った。

コース料理で出される見たことのない色をした冷製スープや、野菜のゼリーに2人して目を丸くして、いちいちはしゃぎ、今までどういう人生を歩んできたのかとかそんな話をして盛り上がった。それから、私の今後の話になった。

当時の私は、仕事を辞めて実家に帰ろうとしていた。さっきまではしゃいでいたのに、今後のことを聞かれると途端に声が小さくなる。

「お小遣い程度にライター仕事をしながら実家で暮らします」と言うと、彼は今までで一番優しい顔をして「あなたの文章は本当に素敵だよね」と言う。

自信の一切をなくしていた私はびっくりして、彼の眼の奥をじっと見つめた。しかし、彼の表情は微動だにしない。そして、もう一度言う。

「あなたの文章は本当に素敵だ。僕も本が好きで読むし、自分も何度か出版をしたけど、すごいよ君の言葉選びは。きっと大成するよ。君の2倍生きている僕が言うんだから間違いない」

そう言って、彼は表情をさらに緩めてクシャクシャにした。嬉しく思いつつも、“2倍生きている”という言葉に私は何だか無性に寂しさを感じた。彼とはもうこれっきり会えない気がした。

デザートまでを食べ終えると、いよいよこの世が終わるみたいな気分になった。去り際は笑顔で別れた。「ごちそうさまでした」のメッセージは送らなかった。

翌朝、彼からメッセージが来た。「昨日はありがとう」といったやさしい内容が無機質に見えて、胸をぎゅっとさせる。もう終わりだ。

私も努めてやさしい言葉を送るようにし、会話を終えようとした。そのとき、彼からメッセージが届いた。

「唐突なのだけど、ののかちゃんは今までプロポーズをされたことがありますか?」

「いえ、ないです」とだけ送る。すると、彼はこう言った。

「僕と結婚してください」

ひどい、と思った。年も距離も離れていて結婚は難しいとお互いにわかっているはずなのに、私に答えを委ねるなんてひどいと思った。震える親指が液晶の上を行ったり来たりする。

すると彼は「あのね」と切り出した。

「あのね、ののかちゃんの気持ちはわかっているよ。だから答えも求めない。お互いのことを考えれば結婚できないこともわかってる」

言葉にしないでよ、と思う。彼は続ける。

「でもね、だからこそ、僕はののかちゃんの記憶に残りたいと思った。これからののかちゃんが生きて行く中で何度もプロポーズされると思うけど、そのたびに初めてプロポーズした僕のことを想い出してほしいなと思って伝えたよ」

約束された永遠はあるんだな、と思った。私はこの人のことをずっと好きでいられるし、この人も私のことをずっと好きでいてくれるだろうなと思った。私は「ありがとう」とか「忘れません」などと送り、彼は「これからも良い文章を書いてね」と言ってくれた。

それっきり、彼には会っていない。

その後、恋愛がうまくいかなくなるたびに、仕事で滅入って書くことをやめたくなるたびに、私は彼の言葉を思い出した。

生まれて初めての「結婚してください」と「君は文章で大成するよ」が私を支えてきたのだった。そのときもらった言葉が、記憶があるだけで救われた場面がたくさんあった。

だけど、“来た球”を打ち返そうとすることに必死になっていた最近は、そんなことも忘れてしまっていた。

引き出しから顔を出したあの人からの手紙が、私に“永遠”を思い出させた。

冒頭の彼の話に戻る。

家に遊びに来てくれた何度目かの夜、私たちは波乱万丈な近況報告をしてケラケラ笑い、お互いの作品を読みあったりして、私は何度目かの告白をしてみた。彼は私の作品を読んで「お前はヤバい書き手だな」と褒め、告白には「まだ若いんだから他を探せ、責任が持てない」と律儀に答えた。

沈黙が2人の空間を占拠する。口下手な私は彼の小指を握ろうとしたとき、彼は私の腕を引いて抱き寄せ、抱きしめた。

骨が軋んで、呼吸が苦しい。脈が全身を打つ。脳天が、指が痺れる。抱きしめ返そうと思うのに、力が足りない。かなわない。この人にはかなわない。身体が圧し潰されて、目からは涙が流れ出た。やっぱり私の世界にはこの人しかいないと思う。あなたしかいないのに、と思う。

私を抱きしめている間、彼は私の頭を撫でながら、こう言った。

「お前は良い表現者になるぞ。お前の文章は人を救える。なかなかできることじゃない。お前の言葉で自分とたくさんの人を救ってやれるし、だからお前は生きなきゃいけない」

書くしかないんだな、と思った。

私の唯一の“生きる意味”が「書いて生きろ」と言っている。

それは、明るい絶望だった。

彼を見送るとき、玄関先で私は「お願いがあります」と言った。彼は少し困ったような顔をしている。

「長生きしてください」

彼の表情が柔らかくなる。

「地球のどこで誰と一緒に何していても構わないから、長生きしてください」

後ろ手にピースサインを出しながら階段を下りていく彼に、2年前のやさしい人の後ろ姿が重なった。

彼の背中がどんどん小さくなる。見えなくなっていく。

もう二度と会えないかもしれないなと思った。

だけど、それでもいいなと思った。

もしかしたら、これから私は誰かと結婚するかもしれない。

死ぬまで一人かもしれない。

そんなのはわからない、し、どちらでもいい。

だって、愛し愛された記憶は永遠なのだ。

一緒に連れ添う人がいなくても、その思い出があれば生きていけそうな気がする。

目を閉じて、瞼の裏で感じる万能感。

もらった言葉も体温も生きる力も、脳内で繰り返し再生される永遠だ。

ファイナンシャルプランナーなる人から営業電話がかかってくる。

「失礼ですが、お客さまは独身ですか?老後の備えをされていますか?」と聞かれ、「独身ですし、結婚の予定もないですが、万全ですのでけっこうです」と答えて、切った。

老後に向けて貯めておくべきはお金だけじゃないと思う。

残すべきは愛し愛された思い出。

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ありがとうございます…
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文筆家。メインテーマは「家族と性愛」お仕事お待ちしてますmail:sasaki.nonoka@gmail.com Twitter:@sasakinonoka

コメント7件

ODKさん いつもありがとうございます!私も自分の頭の中にある映像を書いている感覚があるので、映画と言ってもらえるのは嬉しいですね。こちらこそ今後ともよろしくお願いします!
YUKIJIRUSHIさん ありがとうございます!徳島の記事、懐かしい…あのときは母が本当に付いてきてしまって大変でした笑 何か具体的なご質問をいただけたら、私で答えられることでしたら回答しますので、おっしゃってくださいね^^
のでこさん、こんにちは!コメントをありがとうございます!!!そうか、初めましてでしたね!私は以前のでこさんの文章(お化粧品の記事です)を拝見して以降、勝手にファンだったので、初めましてという気がせず、またきめ細やかなコメントをいただけてとっても嬉しいです……!!!正論ばかりの社会がわたしも辛くって、だけど辛いと思っている人はわたしだけではないんだろうなと思っていたので、のでこさんの言葉にわたしのほうも救われる思いです。改めまして、コメントをありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
明るい絶望

書いて生きるしかないと思った

私も、そう思いました。


強く、眩しく、励まされました。
ありがとうございます。
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