「渡辺京二」と「妖怪」と「ポスト資本主義」の1か月
2020年の17冊目から34冊目まで。4月に読んだ本を紙と電子の両方でリストにしてみたところ、「渡辺京二」と「妖怪」と「ポスト資本主義」などに関連する本を集中的に読んでいて、これらを道具に日本の社会のことを考えた1ヶ月だったなと。特に妖怪については、子供の興味につきあうことで人生3度目のブームがきた感じ。
そのなかでも収穫だったのは、およそ15年ぶりに再読した『対談集 妖怪大談義』。京極夏彦と大塚英志の対談に以下のような部分があり、15年の間に小説を書くようになった自分にとっては、貴重な再発見だった。この考えって、自分のなかでいい感じに発酵しかけてるなと思った。
大塚 リアリズムではない小説の可能性って、僕は興味あるんですよ。柳田民俗学が結局、自然主義から離れていって、近代文学とは違う形のもう一つの近代文学を作った、それが民俗学だっていうのが僕の理解です。ミステリーへの興味もそこなんですよ。自然主義、リアリズムじゃない別の、ちょっと歪んだリズアリズムのスタイルを追求することは、どんなジャンルの違う作品を作ったとしても、僕の共通項なんだって思います。
京極 (中略)我々のいうリアリズムとは、そこにリアルという記号があって、記号があるからリアルだと受け取ろうという努力があって、そこでようやく成り立っている。そんなの脆弱なものなんですね。
大塚 柳田國男の『遠野物語』が反自然主義小説だってことへの僕の興味もそこですね。その方法と対象の乖離の中に、表現としての面白みがあると思っているんですけどね。
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