掌編小説148(お題:鬼さんこちら、鈴鳴るほうへ)
前方に鬼塚の姿を認め、僕は右手の鈴を握りしめながら叫んだ。
「鬼塚!」
「やめろ越智、来るな! 来るなって!」
ふりむいた鬼塚は走る足を止めない。フットサルのサークルに入っているだけあって、くそっ、鬼塚の足はさすがに速かった。涼香と成美の姿はない。どこかに上手く隠れているのだろう。
声が聞こえる。どこからともなく。〈鬼〉の声だ。
「頼む、勘弁してくれ」
「ごめん!」
鬼塚が加速する。ただでさえ午後八時、街灯もない神社は視界が悪く僕はまんまと友人を見失った。遠くはなったが〈鬼〉の声はまだ聞こえる。ひとまず、境内の裏手にある茂みに僕は隠れた。右手を開く。鈴が、チリン、と小さく鳴った。
――〈鈴鳴り鬼〉って知ってる?
三日前、学食で合流した涼香が開口一番そんなふうに切りだしたのがはじまりだった。僕と鬼塚、そして成美の三人は顔を見合わせる。代表して僕が「知らない」と答えると、
――ウチのサークルで代々つづく、儀式、っていうのかな。鈴鳴り鬼。簡単に言うと鈴を持って行う鬼ごっこみたいなものなんだけどね。先輩がやれって言うのよ。土曜日の夜、暇だったらみんなつきあってくれない?
普段なんでもそつなくこなせる涼香の困り顔に、僕たちは「もちろん」とうなづきあった。そして土曜日の夜。伝統にのっとって、待ち合わせ場所は涼香の暮らすアパートがある町の神社だった。
境内の前で、涼香は〈鈴鳴り鬼〉なるもののルールを説明してくれた。制限時間は十五分。最初に鈴を持つ人間を決めて、手順どおりに〈鬼〉を呼んだあと、人間には十秒の猶予が与えられる。〈鬼〉が放たれたあとは鈴を押しつけあいながら〈鬼〉から逃げ延びなければならない。なんでも、〈鬼〉はこの鈴の音を頼りに僕たちを追ってくるらしいのだ。変わった鬼ごっこだな、と、そのときは思った。
近くの茂みが揺れる音がした。〈鬼〉が来ている! 僕はあわてて茂みを抜けだして走りだした。
最初、鈴は成美が持っていたはずだ。それが僕の知らないうちに鬼塚へわたり、そして、今は鬼塚に捕まった僕が押しつけられている。このまま僕は捕まってしまうのだろうか。〈鬼〉に。あんな、いかにも人を狂わせてしまいそうなおそろしい――。
「越智!」
涼香の声がした。ふりかえる。〈鬼〉が、そこにいた。涼香が設定したスマホのアラームが近くで鳴っている。右手には鈴。ああ、時間切れだ。
「俺、猫なんて飼ったことないんだけど」
膝から崩れ落ちると、〈鬼〉……を今回務めることになった野良猫が近づいてきて、膝に、ぐりぐりと頭をすりつけてくる。上着のポケットに突っこんだままだったにぼしを一つやった。のどを鳴らしている。
「とか言って、なんかうれしそうじゃん」
「観念するんだな。いや、『感謝』か?」
ふりかえると、成美と鬼塚がニヤニヤしながらふんぞりかえっていた。そのさらにうしろから、スマートフォンを持った涼香があらわれる。
「安心して。飼ってからのことは私たちがちゃんとサポートするから!」
「涼香は、ずっとどこにいたの?」
「え、猫ちゃんのうしろこっそり尾行してた」
「逆に?」
「逆に」
「野良猫保護サークルさすがすぎる」
そういうわけで、僕はまんまと猫を一匹飼うことになってしまった。猫に生涯を捧げている涼香には、僕がもともとペット可のマンションに住んでいることなんてお見通しだ。そして、無関心を装って僕が結構動物好きであることも。
「名前決めなきゃね」
猫をなでながら成美が言ったが、僕の答えは決まっている。
「『鈴』にするよ」
新しい飼い主の顔を認めて、鈴は、一声ミャッと短く鳴いた。
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