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掌編小説104(お題:水滴のついたコップ)

『駅前、水色のスカート履いて立ってる!』

オフ会の待ちあわせみたいなメッセージが送られてきたので駅前で探してみると、はたして、言葉どおり水色のスカートをそよそよと風になびかせて雫は駅前で立っていた。八月。これが恋人なら汗をかきかき迎えにきてやった甲斐もあるというものだが、

「あ、お兄ちゃーん!」

このとおり俺を見つけるなり恥ずかしげもなく手をぶんぶん振って駆けよってくる雫は、つまるところ、二つ年下の妹である。

「髪切った?」

「タモリかよ」

「『髪切った?』」

「寄せにいくな」

「切ったよね?」

「切ったよ」

踵を返して歩きだすと、雫はやはり恥ずかしげもなくとなりにならんでくる。一歩、二歩、少しずつ横に離れてみたが、最初の信号待ちのときには結局元の距離感に戻った。大学進学を機に上京して今年で二年目になる。時が経つのは早いなと思った。久しぶりに会った妹との距離感が、今ではもう、すっかりわからない。

去年の夏も、雫は一人ではるばる東京までやってきた。実家の両親には年に何度か電話をしているが、それでもやはり直接顔を見て安心したいのだろう、今年もちょうど夏休みで暇を持てあましている雫をよこしてこうして様子を見に行かせることにしたらしい。雫も大都会東京を観光できて一石二鳥。俺のあずかり知らぬところで恒例行事にする計画なのかもしれない。

「今日はどこにするか決めてる?」

「うん」

東京へ来ると雫は必ずチェーンのコーヒーショップに行きたがった。東京ではあたりまえのほとんどのコーヒーショップが俺たちの地元にはない。スタンプラリーのようにして、有名どころはとりあえずひととおり制覇したいそうだ。今回もまだ行ったことがない店の一つに行くらしい。信号が青に変わり、ついてきて、と雫は勇ましく歩きだした。

目当てのコーヒーショップにいざ入店し、二階に席をとっておくよう指示を仰せつかる。運よく窓際のテーブル席が空いていた。待っていると、ほどなくしてトレイを両手で慎重に持った雫がそろそろ階段をあがってくる。初めて来た店で一丁前に期間限定の新作アイスラテを頼んだらしい。こういう店は注文が面倒くさいから、俺はどこでも一番安くて普通のやつを頼むことにしている。今日は暑いからアイスコーヒーにした。

ストローを、たがいにくるくる意味もなくまわしながらそれぞれここしばらくの近況報告をしあった。一限の時間になかなか起きれなくて単位を落としそうだという話に雫は驚愕し、一方で、母が足を滑らせて階段から落ちたという話には俺が目を丸くする。幸いにも軽い捻挫で済んだらしい。たった一年。一つひとつはとても些細なエピソードかもしれないが、たった一年で、俺も母も、きっと雫や父だって、間違いなく確実に歳をとっている。そんな話をわざわざ雫にはしないけれど。

カランカランと氷のぶつかりあう音がする。セミの声。冷房のきいた店内から浴びる日差しは心地よく、うっかりしているとねむってしまいそうだ……。

刹那、すぐ近くのテーブルでどっと大きな笑い声があがり、俺たちは兄妹そろって猫みたいにビクリと身体を縮こませた。両親よりもっと上の、年寄りの男女のグループだった。待ちあわせでもしていたらしく、最後の一人が合流して、なにやらわいわいはじまったらしい。

「う」るさいな、と口から出かかったとき、さえぎったのは耳障りな笑い声ではなく雫の素朴な一言だった。

「楽しそうだね」

「ああ」あわてて取り繕う。

「同窓会みたいなやつかな? あんなにはしゃいで、久しぶりに会ったっぽい感じだよね。いいなぁ」

ちぅ、と、雫はまたじつに美味そうに一口アイスラテを啜った。

「おばあちゃんになってもああやって会って話してげらげら笑いあえるような友達、私にはいるかなぁ」

友達。雫の言葉は、中学か、あるいは高校あたりの記憶を白昼夢のように思いださせる。なにをするにも一緒という友達が俺にも三人くらいはいた。地元に残ったやつも上京したやつもいて、今でも連絡をとりあっているやつは、……そういえば、一人もいない。

「そろそろ行く?」

ズズ、と雫がアイスラテを飲みほす音で我にかえった。このあとは、そうだ、雫の買いものにつきあうことになっている。半分ほども残したアイスコーヒーのグラスが大量の汗をかいていた。雫が立ちあがったので、俺もつづく。

グラスを二つ、手早くトレイに載せて、持ちあげた。「いてっ」鞄をとろうと屈んだ雫の腰が派手にテーブルにぶつかる。やると思ったのだ。「あ、さすが」ふりむいた雫は俺の意図に気づいたようでからからと笑った。

「お兄ちゃんさ、そういうとこ変わんないよね」

「なにが」

「あたしがドジしそうになったとき、先まわりして、さりげなくフォローしておいてくれるとこ」

「そうか?」

「そうだよ」

相変わらず大きな声で笑いあっている年寄りたちのテーブルを横切って、階段を降りていく。「ごちそうさまでした」店員に雫は頭をさげた。店員は皆接客業務に追われいるが、反応が返ってこようがこないが、雫はおかまいなしだ。

挨拶はきちんと、と俺たち兄妹にしつこく教えてきたのは母だった。変わんないよね。雫の言葉は心の中で挑戦的に響いて、半分残ったアイスコーヒーを、一気に飲みほす。

「ごちそうさまでした」

「ありがとうございました」

たまたま、客足が途切れて手が空いたのだと思う。返却口のむこうから店員の声が聞こえた。

期間限定のアイスラテ。高校時代の友達。近いうちに俺もたまには実家に帰って――。いろんなことを、ほんのつかのま考えていた。けれどふたたび炎天下の街に放りだされると、妹と二人「暑い暑い」と馬鹿の一つ覚えみたいに言いあって、それ以外のことはもうすっかり考えられなくなってしまった。

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