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死生観と街並み/家屋
ひとの死生観に街並みや家の構造、デザインなど周辺環境がどう影響しているかが気になっている。例えば南房総で古い日本家屋に訪問診療でいくと、客間には先祖代々の肖像画や肖像写真が飾ってある。寝起きするのは別の部屋のことが多いが、こういうご先祖様に囲まれた家で年をとったり、家族を介護したり、看取ったりする
同様に、集落によっては集落を見下ろす山の斜面だったり、海に開けた斜面だったりに代々のお墓がある。ど
「地域社会の人々は週4-5回、1日30-45分、公正な社会についての合意形成を行うこと」:新しいPublic Healthの推奨
はじめに
前回は公衆衛生に関わる倫理と政治哲学の大枠を抑える議論だったけれど、今回はもう少し各論的なものを2つ。これも講義の参考資料でした。
1つ目は、感染症の時代から慢性疾患の時代に移るにしたがって、公衆衛生の原則は「パターナリズム」や「平等原則」よりも「自律性」に置くべきだという議論。
2つ目は、ナッジへの批判。パターナリズム的性質への批判かと思ったら、そうではなく、そもそも「枠組みや構造が
「健康/well beingの視点からみたまちづくり」:タウンミーティング原稿
先日、館山市にあるカフェMANDIで開かれたタウンミーティングでお話をする役割で呼んでいただきました。
今回は、そのときに話をするために作った原稿をそのまま記事にします。
話し言葉であったり、文として構造がときどき崩れるところもありますが、スピーチ原稿だと思ってください。当日はおおむねこれと同様の内容を話していますが、実際には多少その場で追加したり端折ったりしています。
―昭笑村塾 館山の明日を
「健康の社会的決定要因」への違和感
修士論文のテーマとして、「健康の社会的決定要因」を選んだし、実際に「健康の社会的決定要因」という概念は非常に重要だと思う。
しかし、ずっとぬぐえない違和感があった。
健康主義:「満たされた死」の決定要因は射程範囲か?一つ目に、そして最も大事な違和感は、
「健康」ということがアウトカムとして設定されていることである。
結果的に、元気で、介護が必要なく、認知症ではない、ということがいつのまにか目的と