おふろ

暇な大学生が語る「暇つぶし論」

 吾輩は笹かにかまである。僕は最近文章書くのがめんどくさいお年頃なのである。どれくらいめんどくさいかというと、毎週決まった時間に燃えるごみをゴミステーションにもっていかなければならないくらいめんどくさい。もう「記事を書くためにnoteを開くためにPCを起動するためにリュックサックを開けなければいけない」という時点で死ぬほどめんどくさいではないか。だから最近僕はnoteをサボっていたわけである。致し方あるまい。

 さて、「そんな笹かにかまがなぜ今記事を書いているのか」ということに、訓練された勘のいい読者の皆様は既に疑問に思ったのではなかろうか。素晴らしいセンスである。その答えを一言で表すならば「暇つぶし」である。訓練された勘のいい読者の皆様なら「あぁ、こいつまた書くことなくて困ってんだな」とお思いになるだろう。しかし今回は(今回に限っては)珍しく書くべきことが決まっている回となることを予告しておく。

 僕は今日大学の1、2限の授業を颯爽とこなし、帰路についた。自室に戻り、Twitterの通知とnanaの通知を確認。通知は0。なんだかさみしい気持ちになってくる。この気持ちを紛らわせてやろうと、Youtubeでも開いて、漫然とホラーゲーム実況動画でもみてやろうかと思ったが、それは流石に後でもっとさみしい気持ちになるやつだと気づき、思いとどまった。

 もう少し意識高そうなことをしてやろうかと思い、机の上に積んだまま読まれていない図書館で借りた学術書をパラりとめくってみる。1分で飽きた。まだ1日は長い。もちろんこの時間を利用して授業の予復習をしようなどという高尚な考えは半年前に部屋の整理のついでに捨ててしまった。お部屋は今日もきれいである。

 危ない。話が脱線しそうになってしまった。そう、何を隠そう、私は暇だったのだ。だから、なにか暇つぶし(できれば、ちょっぴり生産性があって後で得意な気分になれるもの)をしてやろうという気持ちが芽生えるのは当然の成り行きである。

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 さて、あまりに唐突かもしれないが、人生もまた、暇つぶしに過ぎないのではないだろうか・・・と、たかだか20歳の大学生風情が語ってみる。人々は、学校に行ったり、仕事に行ったりするついでに、その時々で自分の「生きがい」的なものを見つけて、それを自分の生きる意味だと思い込んで毎日を生きている(気がする)。もしくは、こうした「生きがい」というものを見つけられず、謎の焦りを感じ始めている人も、いるのかもしれない(ちなみに僕は後者である)。

 しかし、そもそも「生きる意味」って本当にこの世に存在するものなのだろうか・・・と弱冠大学生は思うわけである、まだ青二十才なもので。

 残念ながら僕は前世の記憶や、生前の世界についての記憶があまり残っていないタイプの人間なのだが、少なくとも「私が地球に爆誕した暁には、以下にあげたようなマニュフェストの実現を目指して、日々邁進することを誓います」的な名乗りをあげてからこの世に生まれてきた覚えはない。(もしそのような覚えのある方がいらっしゃったら、是非コメント欄で当時の状況を事細かに教えてほしい。)

 よく覚えていないままにこの地球に生まれ、なんやかんやあって成人してしまった地球星人。それが私であり、皆さんなのかもしれない。(あっ、僕は火星出身だった。すみません・・・)

 だから、僕たち人類にとって、生きる目的などというものは、初めから用意されていないのではないかと思うのだーーーと、何やら壮大なことを言ってみる。言い換えれば、人生全部が暇つぶしというわけである。いや、これではあまりに語弊があるかもしれないので、「僕のような練り物にとっては」という言葉を付け足しておこう。

 僕は最近気づいたのだが、1日は24時間(秒数に至っては、86400秒!)もあって、1年は365日(しかも4年に1回366日になる)もある。この自由時間をいかにして埋めていくかに、その人らしさが現れてくるというものだろう。僕にとっては、一人でYoutubeの動画を1時間見ようが、SNSのタイムラインを1時間見ようが、noteの記事を1時間かけて書き上げようが大した違いはない(1時間の余暇を過ごしたことに変わりはない)。
 だがしかし、僕が妄想して文章にしたしょーーーもないことを誰かが読んで、「ハハハしょーーーもねーー(笑)」と笑ってくれて、それでその人の暇な時間がちょっとくらい楽しくなってくれれば、なんだか良い暇のつぶし方をしたなあという気分になる。こういう魔法をかけてくれるのが、創作活動の面白いところだ。

 別にこれはHow-to本でもビジネス本でも自己啓発本でもないので、「同じ1時間を過ごすなら、誰かと喜びを分かち合えるものを作りましょう!」などと読者の皆様に畏れ多くも提案するつもりは毛頭ない。どうぞ各自お好きな方法で余暇をお過ごしくださいといった感じである。

 しかし「物書きをする以上、何か役に立つことを書かなければならない」という思いと、「自分が楽しければなんでもOK」という思いの間を高速で反復横跳びしていた過去の自分が読んだら、まぁそこそこに含蓄のありそうな文章には仕上がった気がする。うん、そうに違いない(ポジティブ思考)。

 最後に、これは蛇足かもしれないが、僕は高校の体力テストで反復横跳び10点満点の評価を取ったことがある。

 

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