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「ファニー減、インタレスティング増の人生はどうだ」日記|小野寺

最近出会った19歳の女の子が「就職したくない。周りの子もみんなそう思っている。だってサークルとかの、心から楽しい時間がなくなってしまうんですよね?」と言っていた。29歳の私からすると、年々人生は「大丈夫」になっていくし、ありがたいことに周りもそういう人ばかりなので、楽しい時間が減るかどうかの問いには否と答えた。

そりゃ、無為に食いつぶせるだけの時間は減っていく。特になんの気も張らず楽しいだけの時間が欲しいなら、それは絶対的に減る。だって生活は切実に私たちに迫りくるし、金はかかるし、なけなしのプライドもある。どうにもならない災難が気まぐれに降りかかって、心も身体もびしょ濡れにしていってしまうことだってある。それでも、授業と両立していた時代のアルバイト代よりも大きい額を稼ぐことができて、ある程度選択することができて、自分が囚われ続けている呪いや鎖から解放されたいと思えばいくらでも挑戦できる。
「ファニーな時間が減ったとしても、インタレスティングな時間は増えていくから大丈夫だよ」と私は彼女に答えた。彼女は心底ほっとしたように「それは、聞けてよかったです」と言った。素直で聡明な子だった。だからこそ、人生の見えない荒波に真剣に立ち向かおうともがいていて、これは言わなかったけれど、そういうひたむきさがこれからあなたを助け続けるよ、と思った。

私が今楽しく生きていることは、1/3は私の努力で、1/3は環境と周りの人々のおかげで、残りの1/3は運だ。だから明日同じ時間に生きている保証はない。それでも「性急に成し遂げるべき人生」と「淡々と続く生活」はコインの裏表の関係で、ギラギラしたりたらたらしたりしながら生きていくしかない、ように思う。今のところ。

時間を無駄にしたり、スケジュール組みをミスったり、足りない至らない自分に辟易して拗ねる。そのうちに努力が実ったり、ハッピーやラッキーがもたらされては小さく飛び跳ねる。「神様、『人生のアメムチ』を提供するのがうますぎる……」としばしば思う。19歳の彼女に、そしてこれを読んでくれたあなたに、それでもって私にも、踏ん張った分のアメがちゃんと届くといい。


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