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「『何かやる』筋をいぢめる」日記|小野寺

5月「最寄りのクリエイトが一番食パン安くてアツい」
6月「生活が雑になっている。Xで知らないコスプレイヤーが揉めているやり取りをずっと眺めていた」
7月「XXの原稿が終わった、前年より〇〇を意識して、まともなものが出せたと思うがどうか。ジャンケットバンクおもろすぎ」

毎日日記をつけている。上記はそれぞれ7日付近の日記に書きつけてあった内容で、大したことは書いていないが月初に必ず1日毎に振り返るようにしている。



作家の石田衣良先生は以前ラジオで「やったことがなくても、やったことがあるかのように書くのが作家です」と断言されていた。眠れぬ真珠に出てくるビーチのワンシーンは「僕は行ったことないけど、ガイドブックとか見て書いたよ」。シャランと仰っていたのが印象深い。私は先生とは比べものにならないくらい人間の器も浅ければ想像力の幅も狭いので、「やったことがなくても書くのが作家」の言葉に助けられながらも、基本的にはやらなくちゃ、と思う。今が一番体力もあるので、もうでも正直徹夜とかはできないというかしたくないんだけど、金と体力をきちんと使って「何かをやる」筋肉をつけておかなくては、と思う。

昨年申し込んだ中国語留学(といってもほぼ旅行のような日数だ)が来月に迫っている。去年「何かをやる!」の気持ちのままに申し込んだもので、あまりにも不安で「なんでこんなことしたんだよ」「ふざけんな」「お前後先考えなさすぎだろ」と何度も過去の私に暴言を吐いては泣く泣く勉強している(書いてみたらなんとも贅沢な話である。人間が小さいね)。でもやってみたら入国のための手続き、Wi-Fiの手配、渡航チケットの手配もそこまでのことではなかった。いつもよりもちょっと胃がギリギリして貯金残高が目減りしただけだ。



ただいつも強く思うのは「経験豊富なこと」と「人間ができていること」と「なりたい自分になって人生が充実していること」には何も関連性がないことだ。留学していなくても人間ができている人なんていっぱいいるし、バックパックで世界を回って生活した経験があっても「もっと目の前の人を大切にできませんか?」と言いたくなる人は山ほどいる。
やらなきゃできないという言葉にせき立てられ、やらなくったって想像できるという言葉に癒されながら、私以外のみんなも毎日何かをやっている。その中でできるようになったこと、プラスの変化を成長と呼ぶ。
9/7の私は、一体どんなことを考えているのだろう。

ちなみに5月に通い始めたクリエイトは今や常連、6月のようなネットサーフィンからはいったん卒業、7月の原稿は去年よりも赤が少なく納品完了&コミック「ジャンケットバンク」には大ハマりした。これらを成長と呼ぶのはちょっと情けないので呼ばないけれど、生きているだけで変化はあるから、毎日に意味はある、ということにしていく。


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