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無職から起業にいたるまで~在職時 適応障害編①~

自己肯定感、自尊心ゼロだった自分が12年勤めた会社を約2年前に退職し、2024年3月に創業する決意にいたるまでの経緯についてです。

今の生活に大きな不満はないけど漠然とした不安がある、もしくはやりたいことはあるのに一歩踏み出せないという方に、こんな私でも創業を決意するところまではできた、ということをお伝えして少しでも力になれたらうれしいです。

今回は、私が前職を退職するきっかけの一つにもなった適応障害に至った経緯についてです。

私が、適応障害と診断されたのは、今から約3年ほど前でした。当時は、前職の会社で店長兼ブランドリーダーとして働いていました。

今振り返ってみると、自分が限界にきていたサインはたくさんの反応で自分が自分に教えてくれていたのに、忙しさや不健全な責任感から自分の反応に気付くことすらなく、日々の仕事をこなすことに必死になっていました。

後にカウンセリングを受けていく中でわかったことですが、適応障害の原因となったのは、自分に異変が起こる約半年前に昇進したことでした。

当時は、まだコロナ禍で、どうにかお店を存続させるためにみんなが必死にもがいて、混沌とした中で働いていました。
ブランドリーダーという役職になったものの、これまでの店長という役職も兼任で行うことになっていました。その為、これまでの業務にプラスで、所属していたブランドの全店舗に関わる業務を行うことになりました。

イベントの施策や準備、在庫管理、新店舗オープンの為のマニュアル作り、コロナ禍で休業になったり、再開する店舗の出勤体制の管理、など。
とにかくこれまでに経験したことのない業務内容と量が一気に自分に降りかかりました。

本来なら、ここで上司や周りのスタッフに助けを求めるべきだったと思います。ですが、過剰な責任感と『もし、この仕事ができなかったり、ミスしたらダメな奴ということがバレてしまう』という謎の強迫観念から、がむしゃらにかつミスなく目の前の仕事をこなそうと努めていました。

また、これは個人の捉え方や主観によるものなので、一概には言えませんが、職場内の一部分は、私にとっては心理的安全性が高いといえる環境ではありませんでした。

ブランドリーダーになってすぐに、新店がオープンすることになり、上司とともに出張することになりました。

ここで、今振り返ると、これは適応障害の前触れだったなと思うことや、あの行動がメンタルヘルスに悪影響だったなと思うことがいくつもあります。

出張前に新店オープンにむけて、マニュアル作成やSNSの準備、在庫確保など事前準備を行っていました。
これまでの店舗業務も平行して行わなければならず、必然的に業務時間を長くすることになり、帰宅時間はこれまでより遅くなりました。

まず、帰宅時間が遅くなったことで、きちんとした夕食を摂らなくなりました。
自炊を全くしなくなり、コンビニで買ったお惣菜やカップラーメン。
ひどい時には時間短縮の為にエネルギー補給用のゼリーで数日間過ごしたこともありました。
今、生活習慣改善をコーチングをするようになり、食事の大切さを知った私からすると愚か過ぎる行動です(笑)

次に、終わらない仕事と次から次へと起こるトラブルや新しい業務、休日も鳴りやまない仕事の連絡で、思考が休まらず、睡眠時間が短くなっていきました。
これも、睡眠の大切さを知った今となっては愚行としか言いようがありません。ただ当時は、眠りたくても眠れないといった状況だったので、この時に瞑想や筋弛緩法など、リラックスや思考を切り替える術を知っていたら、もう少しうまく切り抜けることができたのではないかと思います。


そんな状況の中で、ついに出張の日を迎えます。

出張した初日は、トラブルで遅くまでオープン準備をしていたにも関わらず、上司からの飲みの誘いを断れずに遅くまで飲みました。
その翌日は、また別の上司に飲みの誘いを受けましたが、この時は断り、コンビニで買った総菜をホテルで食べ、夕食を済ませました。

この後、ホテルのお風呂に入ろうとしたとき、当時は見過ごしてしまった異変が起こっていました。

思考が停止してしまい、お風呂に入るために必要なものをまとめられませんでした。お風呂に向かっては、必要なものがなくて、戻る。もう一度お風呂に向かい、また別の必要なものがなくて戻る。といった感じを4~5回繰り返しました(笑)

この時はまだ、自分がこの後に適応障害と診断されると思ってもいなかったので、『動物園の檻の中を行ったり来たりしている白クマのようだ。さすがに疲れすぎてるのかな。』と思ったくらいでした。

翌日無事に、新店はオープンし、帰宅しました。

さらに翌日からは、出張中に滞った店長としての業務とリーダーとしての業務を兼任する怒涛の日々が続きました。

そんな中、ようやく自分の異変に気付いたのは、出張から帰って数日後のある朝でした。

出勤する為に朝、目覚めて、『さすがにもう起きて準備をしなければ』と起きた瞬間に、急に涙が溢れてきて止まらなくなりました。

その時の感情は今、振り返ってもわかりません。
ただ、『出勤する為の準備をしなければ』と頭ではわかっているのに、なぜか自分は泣いていました。なんとか落ち着こうとしても、涙はどんどん溢れてきて嗚咽が出るほどに泣いていました。

ここで初めて、自分の中でなにかが起こっていると自覚しました。

咄嗟に、私は学生時代からの友人に電話をして、泣きながら今起きていることを話しました。
友人は、驚きながらも「会社なんて休んじゃいなよ。今から家にくる?」などいろいろな言葉をかけてくれました。

気持ちを聞いてもらえて少し安心したのか、私の涙は数分後におさまりました。涙もおさまったので、友人にお礼を言って電話を切り、その後、その日は普通に出勤しました。

当時は過剰な責任感や他のスタッフに迷惑をかけてはいけないという考えが強くありました。
シフト制の仕事は、どの仕事も同じかもしれませんが、早番、遅番と出勤時間が分かれており、早番の時に休みたい場合は、変わりにすぐ出勤できるスタッフを見つけ、出勤体制を変更しなければなりません。

また万が一どのスタッフも開店時間に間に合わないようなことがあれば、重大なこととして方々に謝罪をしたり、大変な騒ぎになります。
お客様やテナント先に迷惑をかけてはいけないのは当然だと今でも思いますが、当時は必要以上に重大なことと捉え過ぎていたかもしれないとも思います。

次の休みが来たとき、『病院に行こう』と決めていたので、近くの心療内科に電話しました。しかし、どこの病院も予約でいっぱいで受付すらしてもらえないという状況でした。

この時に、また涙が溢れて止まらなくなりました。
その時の感情は覚えています。
『このままどこも病院が見つからなかったら、私はずっとこのままなんだろうか。この状態で働き続けなければならないんだろうか。』と不安や焦りがありました。

その後、検索範囲を広げて、ようやく1件のクリニックを見つけて、受診日が決まりました。

つづく……。


【無職から起業にいたるまで~退職後迷走編~】は、vol.1~vol.7まで公開中です。


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