国際協力NGO職員の今

今回はサルタックブログに似つかわしくなくエッセイを書くことにした。これまでネパール、ミャンマー、ケニアで国際協力NGOの現場で仕事をしてきた中で分かった、国際協力NGOの現場の仕事で求められるスキルと私たちを取り巻くNGOの実情をお伝えしたい。

国際協力NGOといっても多様なアクターが存在しているが今回は保健や教育などのサービス実施型の日系国際協力NGOを対象にして書きたいと思う。


どんな人が求められているのか

まずは心身の健康。これは昔から変わらぬことだが、現場で働く人に必要なのは一にも二にも三にも体力だ。例えば未舗装のガタガタ道を車で片道3時間かけて行った学校でのモニタリングを終え、くたくたになりながらもその後事務所作業が待っていたりする。体がタフでないとやっていけない。さらに生活する場所は途上国。NGOは政府のサービスが届かない地域で活動することが多く、住まいやインフラが整備されておらずモノや娯楽も少ない田舎であることが多い。そのような環境でもストレスをためずやっていくメンタルヘルスが必要である。

次に求められるのは事業管理、会計、モニタリング評価など組織を回す事業運営能力。限られた期間、お金の中でいかに大きなインパクトを残すアプローチを考えられるかが必要だ。またNGOが扱う課題や目標も高度化(例:教育の質の改善、事業のスケールアップ、サステナビリティ)しており、保健や教育、農業といった「分野の専門性」も高まっている。NGO職員の学歴は高く、実に有休職員の34%が修士・博士卒という状況である。緊急支援を除き、多くのNGOの支援はモノやカネを渡すトップダウンのアプローチから、現地の人々が自分たちで持続して活動を実施していくための意識改革(エンパワメント)や人材の育成のようなボトムアップのアプローチにシフトしている。特にアフリカでは長い植民地支配、援助の歴史により外国人や外国のNGOを見ると何かをくれるんだという援助依存体質を持った人が多い。そういった人たちのマインドセットを変え、住民自らが生計向上や学校運営をしていくための側面支援をしていく必要がある。これには事業運営のプロとしての計画段階での適切な事業のデザインや受益者への継続的な働きかけが大事になってくる。

専門性を持った人材は必要であるが、その専門性をあまり全面に出しすぎないことがいいときがある。アルジャーノンに花束をという小説の中で「教養は人と人とのあいだに楔を打ちこむ(障壁を築く)可能性がある」という言葉が出てくるが途上国の現場ではまさにその通りだと感じた。国際協力NGOが事業を実施する地域の人たちは非識字者であったり、貧困層出身の人たちが多い。英国での教育開発学の修士号なんて肩書は伝えたところでどこか別の惑星の人だと思われてしまう。またよそ者で外国人でもある私が、地道に人間関係を築いていかないといけないが、これには時間がかかる。効率的に事業を実施する計画や準備は必要だが、非効率にもじっと耐えないといけない。長老が大きな発言権を持っている地域では延々と続く同じ話をじっと聞いたり(ポイントは理解できたから話を止めてとは文化的に言えない)、油でぎっとぎとのローカル料理を現地の人たちと素手で食べたり、深夜までローカルな地酒を飲み続ける。そうやって地域の人に認められ、やっと事業の意義を説明できたりする。もっと効率的にぱぱっとやりたい、せっかちな私はなおさらそう思ってしまうこともある。同世代の友人の中には成長のスピードを早めたいからと外資コンサルに就職した人もいっぱいいる。彼らの成長を横目に見ると、この無駄な時間を有効に使えばもっと仕事もできるし、スキルアップのための自己研鑽に励むことができると思うこともいっぱいある。しかしそうやって時間ばかり気にしては相手に受け入れられない。この土俵は日本でもアメリカでもない、途上国の田舎なのだ。相手は日本のように1分1秒が大切な環境で育ってないのだ。専門性は持ちつつも頭でっかちではだめで、相手と同じ目線に立って泥臭くも「寄り添う」ことができる人が好まれる。

NGO職員の実情

NGO職員に求められるものをまとめると、「心身の健康」、「事業運営のスキル」、「分野の専門性」、「寄り添い」(+英語でのコミュニケーション能力)となる。援助のプロとしてそれなりの活動をするための人材の要件はかなり高く感じるのではないだろうか。一方、事業の実施が高度化し求められる人材のスキルは上がっているのに、待遇や労働環境はあまり変わっていない。給与はもちろん支払われる(収入規模の大きい国際協力NGOの有給職員の平均給与額は341万円)がそれは成果というより年齢や経験で決まることが多い。帰国休暇や健康管理休暇が制度化されている政府系組織や国際機関がある一方で、NGOはその制度がない、またはあったとしても一年に一回の帰国だけだったりする。この問題の背景には多くの日系NGOの資金不足がある。寄付がなかなか集まらず公的資金頼みになっていおり、寄付が集まっても「寄付したものは皆、支援を受ける方々のために使ってほしい。スタッフさんたちへの給与などには使わないでほしい(安田菜津紀さんの記事より)」という声があることも関係している。この声の背景にはNGO職員はボランティアであるべきだ、寄付で生活をするのはいかがなものか、という社会の言説があるのだと思う。こういった厳しい状況も関係し、NGO職員は離職・転職が多い。有給職員が一団体に所属する期間はおよそ3~4年だそうだ。事業が忙しく自分を労わる時間が削られ精神的に病んでしまって立ち直るのに時間がかかってしまう人もいる。さらに、正確な統計はなく私の肌感覚になってしまうが若者のNGO離れが深刻な気がする。いくつかのNGOでは世代交代が上手くいっておらず若者の確保に必死だと聞く。国際協力のアクターが多様化し、社会企業や民間のコンサル会社などNGOでなくても国際協力の実践に関与できる機会が増え、人材の売り手市場の中、仕事量も多く、気の合う友人や恋人とも離れ離れ、しかも待遇も悪いことが分かっていて、NGOをわざわざ選ぶ人が少ない理由も頷ける。

NGOの今後

社会のせいばかりにしないでNGO自身が変わっていかないといけない面があるのは確かだ。NGOの資金調達の方法や人事制度はどんどん変えていくべきだ。現場で働くものとしては、事業運営のプロとして成果をしっかり出し、それを広く伝えていかないといけない。

とはいえ、社会全体として一般の人たちの援助に対する理解(援助リテラシー)を変えていく必要がある。帰国時に友人に途上国での活動の話をすると、へーすごいね、よくやってるよねで話が終わってしまう。日本の人たちの生活とあまりにかけ離れていて、なじみがないからどう反応していいのか分からないのだと思う。メディアの皆さんにもNGOの活動の背景にある途上国の社会問題の紹介やその課題の多層性・複雑性などもう少し踏み込んだ報道をしていただきたい。NGOの活動の批判的検証をしてもらっても構わない。例えば古着の寄付が途上国国内の古着産業に打撃を与えているのであれば、議論を巻き起こしてほしい。一般の人には子どもの笑顔や特異な異文化体験、清い心を持ったNGO職員の姿などの美談が受け、上記の内容では視聴率が取れなかったり、記事が書きづらいのかもしれない。しかし踏み込んだ記事が徐々に市民の援助リテラシーを高めNGOへの寄付や応援につながるのだと思う。英国のガーディアン紙は開発や国際協力分野の記事や寄稿があり、良記事も多い。

最後に、NGOをめぐる環境が厳しい状況下にあってもいかに人々の共感を得て支援を集めるかを考え、前向きに行動している新進気鋭のNGOのホープたちもいる。彼らがやっていることに関心を持ち、厳しいご意見を与えてくださること自体は良いことだが、それが批判のための批判に終わらないように社会全体でNGOを応援してもらえればと思う。

支える人たちも一緒に支える」とてもいい言葉ですね。


*ちなみにサルタックジャパンは理事全員ボランティアとして活動しています。

*本記事は理事山田の考えであり、サルタックのものではありません。

――――――――――――――――――――――――――――――――――サルタック(・シクシャ)とは、ネパール語で「有意義な(教育)」という意味です。 私たちは、世界中の全ての子どもたちが、人種や信条、性別、出身家庭等にかかわらず等しく「サルタック・シクシャ」を受けられる社会の構築を目指しています。一人でも多くの子供達に有意義な教育を届けるためにサポート頂けると幸いです。また銀行に振り込みによる寄付も受け付けています。寄付をする

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