死ぬ気でやらない、生きる気でやる。
「死ぬ気でやればできる」
という言葉をたまに見かけては意味がよく分からないなと思う。
多分、もう死ぬってくらいに自分を追い込んで頑張るっていう意味合いなのかな。
私は自分が死ぬ気でできることなんて死ぬこと以外ないんじゃないかな、と思う。死ぬ気なのにそれ以上何かを頑張るなんてできそうにない。私には死ぬしかできない。
私が何かを頑張れるのは、生きる気がある時だけだ。
それに人の生活のほとんどは明日を生きる気でないとできないことばかりあふれている。
お買い物に行くのは明日を生きるのに必要なものが不足しているから。
お風呂苦手だけど頑張って入るのは、明日出会うひとに不快な思いをさせないため。
お洗濯するのは明日着るものが無くなってしまわないように。
友達に最低でも五年に一度は連絡を取っているのは将来に繋がる縁を途切れさせてしまわないように。
お母さんの身体の変化を心配するのは、なるべく一緒に生きていてほしいから。
毎日ご飯食べるのも、ちゃんと寝るのも、明日をなるべく元気に生きるためだ。
生活はいつも明日生きることに繋がっているから、死ぬ気になったら、全部どうでもよくなって、できなくなっていく。
そうなってしまわないように、生活を投げうらずに、全部抱きしめたまま歩いていけるように、
私は死ぬ気でやらないで生きる気でやる。
今、ミスiDを受けてるのだって、自分のままでこの世界をどうにか生きていくため。なるべく生きよって思って、私は今、ここに居る。
死ぬ気になったらすぐ死んじゃう私は、明日も生きることを考えてなんとか毎日を頑張っている。嫌になっちゃう時もあるけど、ごまかしながら続けていく。その内絶対死ねるから、そこまで生きる気を保っていられるように。
よし、それではお母さんが作ってくれたハヤシライスを食べます。やったね。
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