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アネモネ、君が好きだ


私の作風が「花咲く書道」と呼ばれるようになり

書いてみたい、という人が増え

本格的にスクールを始めてから、俄然変わったことがある



”花の名前や種類を調べるようになったこと”

これは大きかった





今だから言おう、そういうことがなんだか昔から大嫌いだった

私の感覚でいうと


花の名前は、あくまでただ”誰かがつけたもの”


その名前を、その花が喜んでいるかわからないのに

と思ってしまう。

どうしてだか、小さい頃からずっとなのである。


というわけで
理科の成績は毎回最低だったことを覚えている。

当然、だって私と考えが違うじゃない?

のレベルで、家で放り投げていた。

なんとも書いていて腹の立つ小学生。

いや、これ、私のことである。

娘はなんといい子なのだ、過去の自分と比べては、いつも思う。


ちなみに、その放り投げた通知表を優しく拾う祖母にいうと

「それじゃあ仕方ない、そういえばそうだねぇ」と

悩ましい顔をしてくれたことが、懐かしく

私は、全肯定されて育ってしまったわけである。


そのかわり花の気持ちに立つ詩などを読み深める国語は、なんとも大好きな時間であった。

想像の世界で生きることは、私の全て。


今でいうと、こうやって自分の考えを言葉にすることは

筆を持つことより大好きである。



作文は一番好きな宿題であったが

娘はそうではないようだ

それがわかった私は快感に包まれた。


私自身が、親や血から離れ
個であることを認識し

娘も、個。
血ではない、全ては環境である。
自分は自分で変われるのだ、私の持論。


いつもの通り、話が大幅にずれている。


そう、

花を名前で呼ぶことが好きじゃないのだ


(ただそれはあくまで秘めた想いであった)

レッスンで一度

「私がこの花だったらこの名前は嫌だと思うんです」と言ったら

爆笑になってしまい、しばし驚いた。

驚いたが、一緒に笑ってごまかした。

こういうことが多々ある。

私はおかしいのか?

驚いたままいるとそれがわかってしまうので

なるべく一緒に笑うことにしている。




そして私は、そもそもなぜか名前を覚えられない

何度聞いても忘れる

そしてパッと覚えられる花の名前がたまに出てくるのだが

それ以外は見事に忘れてしまう、小学生の時からずっとだ




私は勝手に花の立場で想像する


ちなみに世にもどうでもいい話になるが

私が花だったとして、つけられて嬉しかっただろうなぁという花は

Anemone である。


「アネモネ、君が好きだ」

と、何かの樹に、言われてみたい

アネモネを飾るたびにずっと思っている。


ちなみに、嫌だったろうなぁと思うのは(賛否両論覚悟でnoteはいきたいので書いてみよう)


”薔薇” である。バラ。ばら。

私の中で、ばら=バラバラ、はらはら、もっというと、豚バラ肉、となる。

私はそのまま、Roseと呼ばれたかった。

なぜこの複雑な感じでバラという感じになったのか理解できない。

ちなみに私は、薔薇の花が大好きである。





違和感が一番の人気コンテンツになった


「●●の花が描きたい」

今スクールが拡大し、よくそんなことを言われるようになった

最初は違和感しかなかった

そういうことじゃないのだという想いがあった

あくまで自分の感情を書に重ねるのが私の作風だった

それを一緒にというのがスクールだと思っていた

でも、目の前で笑顔で言われると

「考えてみますね(笑顔)」

と答えている私がいるのである、すぐ人の気持ちに応えたくなり、簡単に流されるのだ。



結局、今では桜を描くレッスンとかそんな風になっている部分もある。

季節の花々を描くのはもっとも人気である。

私の予想にしない展開だった。


いつもどこか

ずれていることを感じては、合わせようと少し思ってしまう


でも結局は、合わせる気もないのかもしれない

私は私、あなたはあなた、基本的に私は変わることは滅多にない



桜にまつわる想い出を描いているのが私であるが

その桜の種類までは当然知らないし、知ったとしてもおそらく忘れる

名前なんてただの名前だという考えが私の中に根強くある。

桜の下で祖母と一緒に過ごした時間、それだけのことである。


しかしながら

これはソメイヨシノだ、河津桜だ、そんな風に仰っている生徒さんの

嬉しそうな笑顔を見ていると、よかったと心から思うのである



ということで

私のレッスンは生徒の方が花に詳しいということが普通である



私が感覚的に描いた花の詳しい説明を生徒がする


そんな不思議なことが普通になっている


私も色々調べるのだが、それを超えた知識を持っている方が多い

それを越えるくらい調べようとも、どうも思えない


そして最初に戻るが、そういうことじゃないのだ


でもその生徒から知る知識が面白い

なるほど〜と頷いて、知識は実に面白いものだと思うようになってきた


でも、作品にするならば酸性の土だと何色の花になるとか

そんな知識はどうでもよく



アネモネ、君が好きだ、と

真っ直ぐな野生らしい樹に想いを告げられたい

アネモネの気持ちを私は描きたいだけなのだ



空想の世界で描くこと

花咲く書道を作った私にとっては

これはもう、結構大事なところなのである


と、2020年に言っておきたくなった

広がることは色々と変化が起きまくる

予想にもしないことばかりが起きてくる


でも、私が大切にしてきたことはいつだって

その人が嬉しければ、私も嬉しい、それに尽きる

花の名前だなんだってのは

わからなければ、私がすぐつけてしまおうと思ってしまうのである






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