永田紗戀

書くこと、色々しています、ながたされんです。私の作品は、花咲く書道と呼ばれています。

永田紗戀

書くこと、色々しています、ながたされんです。私の作品は、花咲く書道と呼ばれています。

最近の記事

北風になかったものは想像力

2003,8.8にこの仕事をスタートさせました。18年。 今、一番思うことを素直に書いてみます。 北風と太陽というお話を知っていますか? 私は今の時代、本当にそれを感じています。 疑問があると、子供でさえスマホで気軽に検索する時代なので 気になることを、すぐに検索する癖が、ほとんどの人についています。 その延長で 要点だけを知りたい、という風潮にあると思います。 どの業界でも、人に指導する立場の人たちと話すと共通して話題になることがあります。 「要点だけ知れば、

    • アネモネ、君が好きだ

      私の作風が「花咲く書道」と呼ばれるようになり 書いてみたい、という人が増え 本格的にスクールを始めてから、俄然変わったことがある ”花の名前や種類を調べるようになったこと” これは大きかった 今だから言おう、そういうことがなんだか昔から大嫌いだった 私の感覚でいうと 花の名前は、あくまでただ”誰かがつけたもの” その名前を、その花が喜んでいるかわからないのに と思ってしまう。 どうしてだか、小さい頃からずっとなのである。 というわけで 理科の成績は毎

      • 言わぬが、花

        人のことは、その人じゃないとわからない いつもそう思っている こちら側から勝手にその人を解釈し、こう考えているのだろうと想像し 勝手に傷ついたり、腹を立てたりする人がなんと多いことか そう、私もたまにその一人である 嗚呼、情けない 私はパソコンが流行しだした辺りで、書の勉強を本格化させた 絶対手書きの温もりが大切になると、想像したのだ 同時に、パソコンも独学でいじり始めた 両方楽しくて興味がどんどん膨らみ、一気にいろいろな知識を蓄えた あの時もまた 「な

        • 美+ダッシュ

          スターを取ると、軽快な曲が流れる、調子に乗ってBダッシュしていたら なんてことない穴に落ちた 無敵の意味なし またもや小学生の頃、友達の家で触らせてもらったスーパーマリオを思い出す。 Bダッシュ、ご存知だろうか Bを押すとスピードが上がるゲームの用語です(注:古め) この記事を投稿するのは、もちろん後にしますが 正直この数ヶ月の色々で、本音をいえば、何度も堕ちた。 いつも5年先を計画して生きてきた私にとって その計画を一気に考え直さなくてはいけなくなったわけ

        北風になかったものは想像力

          マスクの下も口紅は、欠かさずに

          今、私は大きく揺らいでいる 5年日記というものをつけている このオンライン化が進む時代に、分厚い日記である 時代に反してしまっている気がするが 書くのは打つより面倒な分 一言が重くなるから 心地よくて 消しゴムで消す感覚も 書きながら文字が流れていく感覚も 人生を記録している感じがして、好き 40歳になるまで、ポロンポロンと 手書きで書こうと思って用意した真っ赤な分厚い日記帳 ちょうどその時に娘は12歳 小学校卒業予定 人生の転機、35歳の終わり、

          マスクの下も口紅は、欠かさずに

          しなやかな意地の美学

          私のアトリエは3ヶ月の休業となってしまっている。 昔の私だったら書かないだろうことを、あえてnoteに書いてみようと思う。 自分が生まれ育った浦安という街にアトリエを構えた。 (親は浦安の人間ではなく、ただ浦安に越して私を産んだだけ) 世界的なテーマパークが有名な街だと誰しもが認識していると思う。 ただ浦安でも、私がいるエリアは、漁師町の面影を残す下町である。 実家の1部屋がアトリエだった。 当時、とある民放テレビに取材され、仕事が激増した。 そのまま、駅前に

          しなやかな意地の美学

          糸しい糸しいと言う心

          去年の今日は「平成」最後の一日、一年後のことを誰が想像しただろう? 「令和」しっとりと美しい新元号に日本人の大多数が心踊った春から一年。 昭和生まれの私は「和」が2回来るのね、と笑っていた。 いや笑っている場合ではない、私。 まさかこんな風に、春を楽しむことを慎むことになるとは。 師範免許取得後にフリーの商業書道家として独立したのは23のとき。 あれから書道家と言われたり、花咲く書道家と言われたり 頼まれればイラストも描くし、コラムも書く、ライブもする。 色々

          糸しい糸しいと言う心