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想像するということ

毎日の生活の中で、よくすること、毎日すること、無意識に行うことの中で特別気にしなければ気にならないけれども、僕には気になってしまったことが最近できた。

はじまりはコロナだった。
街の住宅工務店は頭が良くって、コロナ対策で市が補助金を出すから家のトイレをセンサーでフタが開くものにしないかと誘ってきた。

まんまと、市や民間の思惑通りとでも言おうか、大きな損失のない我が家は、皆が嬉々として、迎え入れるかの様にして、トイレを最新式のセンサーでフタが開くものに交換した。

キレイなトイレがいい。

そんなのは当然のことで、僕はわざわざ11段ある階段を降りて最新トイレで用を足す。

旧式トイレは肘掛みたいな場所にウォシュレットのボタン群があったが、最新式は便器を離れて壁に張り付いてる独立型ボタン群タイプに仕様替えされている。
さらには、3段階の「流す」や、フタや便座の開閉をはじめとして、ウォシュレットには「おしりソフト」の搭載も成されている超多機能トイレ。
それ故に、「たくさん盛らねば気が済まないこの貧乏ったらしさをイギリス人に笑われてしまいそう」だとか思ったりするのは、きっと僕だけなのだろう。

時は少し戻る。
去年の冬場に痔になった。
治ったからいいけれど今でも、いつでも、少し怖くて、20数年の人生の中で、ほとんど使ってこなかったウォシュレットを最近は使うようにしている。

そういう社会や個人の問題の流れの中で、 ウォシュレットの水圧のMAXの5を使う人っていうのは、どういう‘おしり’をしているのか。と、僕は思うのだ。

僕は気になったら変に妄想する癖がある。

トイレメーカーの会議は異様に違いない。

“「フタはセンサーで開き、手元で流すなどの操作が出来るボタンを壁に取り付けます。このトイレの極め付けは、ウォシュレットの水圧が最大で5まで上げられます…!」
これまで渋い顔でプレゼンを聴いていた重役たちに
うおお…
という、活路や期待の混じる唸り声が漏れた。

1や2で事足りるウォシュレットの水圧を5まで上げることこそが、生を受けた自分の使命だと、便器メイカーに就職して4年と8ヶ月が経つ東堂は、確かに自覚していた。
だからこのプレゼンには並々ならぬ覚悟をもって挑んでいた。
そして資料を読む重役たちの「これだ、これを待っていたんだ。」という明るさに満ち満ちた表情から、手応えも感じていた。
生きていると時折、何かの確信に触れることがある。
執拗に何かを行うということ。
東堂は、ある1人の男との出会いの中で、ウォシュレットの水圧を5にする。そして実用することに人生を賭すことに決めた。
・・・
東堂がまだ18歳だった、ある冬の日のことである。”

などとトイレに座り考え込んでみる。
僕はいつも怖くて1を使う。普段と違うこと、未だかつて触れたことのない刺激に触れることは、いつだって少し以上の勇気がいる。
「1で足りるんだから。」と、自分の弱さにもフタをして。
「最新式のトイレのウォシュレットの水圧の1は、もう3だな。」などと思いながら…。
5を想像して身が引き締まる。




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