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オトナ、染みて広がる本格派。

制限があるところから、知識、知恵、体力、人柄を用いて再現する者をオトナとしよう。「減らして、」「意志を絞って、」それを起点とするなら、始まりは、ほんのちょっとのシミみたいではないか。

染みて広がって、ようやっと「あ~こういう絵だったんだな。」って、気づくシミのようなもの。

どこにだって行けて、なんだってできる気がする今の時代、有り余る選択肢の中から、「これだけは、」なんていうものを手にとって、すっかり身をうずめてもいいんではないか。

始まりは、なんだってシミみたいな、しょぼしょぼなものじゃなかったっけ。

染みて広がるのをただ見てきたオトナと、染みて広がってきたオトナが、大いに二分されつつある。それは、女男とか、晴れとか雨とか、西とか東とか、そんな分断なんかよりもよっぽどキビしくて、頑強な分断であるように思える。

猫背がちにだらしなく着崩したスーツのオトナと、凛とした姿で美味い飯を作るハイセンスな飲食店経営者、世俗に塗れた文句が止まらないオトナと、歌って踊る味噌屋。

オトナってなんなのか。

コドモって一体なんだっけ。

オトナでも、コドモでも、なんだか大差なんじゃなかな。

1個ちゃんとやる、はじまりはちんまいシミでも、染みて広がって絵になったオトナを、私は、本格派であると思うし、私は、本格派であり続けたい。

責任を負った自由があって、背筋も伸びてて、人柄も良くて、時に羽目のはずし方を知っている、本格派のオトナの入り口は、決まってシミみたいなもんだって、私は知っている。

多分、知っている。

シミが乾かないように、汗かいて、涙流しても、いいんじゃないかな。

選び取った選択肢をよりよくするのは、いつだって、シミみたいなボクなのだ。

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