日記
今日バイト先のお友達とご飯に行きました。その子はコミュケーションをとることがとても上手で、愛嬌もあり、私から見るととても幸せそうで、家族にも愛されていて、好きなことをとことん追求できる子で、あくまでも私の主観ですがとても自己肯定感が高いように感じます。
初めて会ったときから、私にはないものを持っている子だなとは思っていました。しかしそれは曖昧なもので、具体的に何かと言われても答えられない、言葉にできないものでした。
今日わかりました。言葉にできないその子が持っているもので私にはないもの。「自分を認めてあげる力」「自分軸で生きるということ」です。
私は自分のことを肯定できません。客観的にみることはできます。でも他人のことは許せても、自分は許せません。気が済むまで何度でも自分のことを責め続けます。
私は自分のことをいじめています。
世の中にSNSが普及するようになってから、他人が他人の悪口を匿名でかきこんだり、芸能人への批判をコメントしたり、増えました。なかには、同じ人として言ってはいけないようなことを言う人もいます。人の心の中は自由です。それをわざわざ言葉にして伝える必要があるのでしょうか。
こんな偉そうなこと言える立場ではないです。なんせ、私は自分に責めて傷つくようなことを毎日言っているからです。
私は周りの人から
謙虚、優しい、気遣いができる、強い、面白い、美人、姿勢がいい、頭いい、かわいい、勉強熱心、話しやすい、素直、笑顔がいい、身長高い、足長い、歌うまい、真面目、しゃべり方が優しい、大人っぽい、冷静、スポーツ万能
と言われてきました。(いつもではない)
語り口調になってしまうnoteだと。
ここから日記に戻ります。
これらの言葉言われたときはめっちゃ嬉しいように感じるんだけど、思い返すと大したことないのにって思う。しかもめっちゃほめてくれてるけど、認められない。
自分のことを肯定できない人間が何よりも不幸だと思う。どんなに人に批判されようが自分が自分のことを愛せているだけで幸せを感じることができるだろうし、。三浦春馬さん、あんなに充実してそうなのにどうしてとか、若すぎるとか、かっこいいのにどうしてとか、世間の声色々あったけど、私は自分のことを愛せてあげられなかったのかなって思ってしまった。
結局周りが満足してても、どんなに称賛してても、救われても、自分を認めるという過程を前提にしない限り、本人は一ミリたりとも満たされないと思う。
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