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海外で国語(英語)を学ぶ。

今日は英語を国語として勉強したことについてお話しします。

私は小学校まで日本で日本語を、中学高校は英語を「国語」として勉強しました。

国語って、普段の読み書きや物事を理解する能力を身に着ける上でとても大事な教科だと思うのですが、日本と海外の学校での「国語」の教え方って、相当違います。

まずは、日本語の話から。

国語のテストを思い出してみてください。まず読解問題があって、「作者の考えを抜き出しなさい」みたいな質問があります。慣用句や漢字、選択問題などが続きます。このフォーマットはセンター試験などでも、やり方は違えどありますよね。

私の留学先のオーストラリアでは、こんな国語の試験全くありませんでした。

じゃあ逆にどんな試験だったかというと、基本的にはエッセイ(作文)でした。

日々の授業のための教科書はフィクション・ノンフィクションの本(一年に2冊ほど)なので、1学期が始まるまでに読み切っておかないといけません。クラスでは、本の中からあるテーマを選んで(例えば登場人物の関係性や歴史的背景など)、表を作ったり、グループで話し合ったりします。
時々、本の代わりに映画を観て、ショットの撮り方や構図を物語と関連づけて分析したり、TEDトークみたいに説得するテクニックを使ったプレゼンの課題などもありました。

学期末の試験の時は重要な引用文を暗記して、1時間で1本、罫線の入ったA43枚くらい書き上げます。
高校三年の最後の試験では、3時間で、エッセイ2本と新聞記事の言語分析をしなくちゃいけませんでした。
エッセイの題は試験が始まるまでわからないので、試験対策中はどんなお題が来ても大丈夫なように、エッセイを何本も違うテーマで書いていました。本当に、みんな死に物狂いでした(汗

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比較してみて、試験の内容の違いは決して表面的なものではなくて、国語へのアプローチと関係している気がします。

日本では、相手の意見を「汲み取る」ことが重要視されているのに対して、海外では、自分の意見をいかに理解してもらうかということが大切になってきます。物事をいろんな角度から見つめて、自分の立ち位置を探すことで、メディアから流れてくる見解をもうちょっと客観的に考えられたり、物事に流されにくくなるのではないでしょうか。


だからこそ、国語をどう学ぶかということを考えるって大切だなって思います。


最後まで読んでくださってありがとうございます!明日は俳句のことでも書こうかなって思ってます。スキいただけたら嬉しいです。

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