門をひらいて、あなたをまってる

前回、自己肯定感は「感」を求めるんじゃなくて変化の結果だって話を書いて
その後ふと気付いたことがあるんです。

私は、思春期から抱えてきた生きづらさや、いじめにあった時の苦しさから
絶対に今の自分から「変わりたい!」(どうやったら変わるかわからんけど)と強く強く思って、
試行錯誤して考えて泣きまくった結果
「自己肯定感って自分の変化の結果じゃん!」
「てことは誰だって自分でつくれるんじゃん!」て気付いて
その気付きの中でのアイディアをシェアしようってしてきました。

そして、他の #note の中でも何度か書いたけど、
物理的な条件以外で「他人を無理やり変えることはできない」んです。
あなたを愛するかも尊敬するかも友達と思うかも素敵だなと思うかも面白いと思うかも
全て相手のタスク。
私は自分の最善をつくすことはできるけど、相手がどう感じるかまではコントロールできない

この2つを改めて組み合わせて考えた時に、1つ、私の思い上がりに気付きました。

「みんな、変化を楽しめばいいのに」(なんで変わらないんだろう)
「私は変わりたい人と一緒にいたい」(そうじゃない人とはいたくない)

自分がミリ単位以下の小さな小さな変化を積み重ねて、変わってきていることを知った時
本当に世界が優しくなって、自分が世界に優しくいれて、
世界が良き方向にひっくり返りつつあるのを感じました。

その結果、持ち前の負けず嫌いや気の強さとあいまって、
「変化は痛みをともなうけど絶対いいことしかない」
「だから自分の力で変化したい人の力になりたいし頼ったり認めてもらうことで何とかしたい人とはいたくない」
ってちょっと思ってた。

嘘。けっこう、思ってた。

のですが、自分で知っていたはずの「他人はコントロールできない」に立ち戻って考えると、
私に唯一できることは
変わっていくことは本当に尊くてすばらしく素敵なことだと信じてる私が
ただ門をあけて、あなたが来るのを待っていることなんですよね。

自分で変わりたい人のお手伝いができます!したいです!
って手を挙げて、旗を立てて、目印を出しておくことはできるけど
やっぱり、門をひらいて扉をひらいて、ここにいることだけが、私のできること。

「誰か」が変わりたい、と思うか思わないかも
その時に私と何かチャレンジしてみたいと思うか思わないかも
私のタスクでは全くなかったのに、
どこかで定義不明の「みんな」がそうだったらいいのにと、思っていました。

願うことや希望を持つことはNG項目ではなくてむしろ大正解項目
それと「誰か」が全てを自分で選んでいることは併存している

その事実を改めて考えながら
門をあけ続けていよう!と決め直した、最近でした。

#コラム #note #自己肯定感 #コミュニティ

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