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「自分警察」の権力が強い私へ

ストレングスファインダーの3位が「内省」です。

子供の頃からちょっと自罰的で、正しくあろう、自分を律しなければ、みたいな考えが強くて
今湧いてきている考えや感情は世間的に「正しい」と認められることか、矛盾がないか、みたいなことをずっと気にしてきました。

とくに昔は「正しい/間違い」「善/悪」軸の二項対立でものを見ていたので
ネガティブなベクトルの考えは全てNGを突き付けがちです。
怒鳴る・喧嘩はもってのほかだし、面白おかしく話しても誰かの悪口は心にこたえます。
(そもそも怒ることは仕組上必要のないことですが、たまに堪忍袋の緒が切れることや、自分に危険がおよぶ場合もあるのです…)

例えば「あいつムカつくー!きらいーー!」と感情的になって思うけど、積極的に悪口を言うのは「恥ずべきこと」だから
オブラートに、論理的に、さも正当な意見のように装って、批判を口にしてしまう時。
そこには嘘や虚飾が含まれているから、心の中で
「嘘つきー!だっせーな。偽善者ーー」みたいな罵声が飛び交っているんですね。

例えば挑戦することがこわいだけなのに、向いてないとかそもそもやりたいと思ってないしー
といった考えに自分ですり替えてしまっている時。
心の隅に追いやっていることをどこかで知っているから、
自分にがっかりする気持ちが、更に自信とやる気をすり減らしていきます

人間は自分にものすごく甘くて(本当は現実に戻った時、全然甘くないんだけど)
ナチュラルに嘘をついてくるので
自分への嘘も外に出した嘘も、正当化したり本当だと思い込めたり言い訳をくり返したり、できてしまう人はたくさんいます。
それもまたたったひとつのその人の人生なので、私がどうこう言う話ではありませんが
内省力・自罰力が高かったおかげ(?)で、
私は私の嘘を看破する力を磨き続けてこれました。
(それでもちょくちょく、自分への嘘を見つけてしまうんだけど!笑)

何のために言い訳をしているのか、何を守るために正当化したいのか、本当に自分の考えとしてその答えを出したのかを
自問自答して精査し続けることで、思考を発展させてきました。
反面、自分という自治区内での「罪」を取り締まるために自分警察の権力を強化する、ということは、
心を守ること自体を否定するベクトル・一点の曇りもないことを強要するベクトルも含んでいます。
(守ることがあったっていいんだし、曇りがないなら私は今頃悟りをひらいてる!)

そして、正しいかどうかを問い続けることは、自信のなさゆえ
自分の中の正しさよりも誰かから見た正しさを優先しようとする、
という側面を持っていますよね。

今、たくさんの人が自己肯定感を持てなくて
「正しい」側にまわることに必死でいるように感じます。

他人の「間違い」を見つけて、総叩きにして、間違ってるよね!と他の誰かと共有することで
自分はそっち側じゃない、曇りのない人なんだと思いたくてしかたがないような。
その誰かのことは自分のことじゃないのに、怒って、変えさせようとして、あいつは悪い奴だ!とイライラしているような。

自分警察に大きく権限移譲していた頃の私は
私の心の中でこれと同じ構図のことを一所懸命やっていた、とも言えるわけです。

私は私の内省力をとても大切にしているし、尊いと思ってるし、得意で素敵な力だと思ってるけど、
存在するか不確かな「他人の目線」が内省にまざってきた時は
ちょっと恐怖政治寄りの警察機構になってきているぞ!と
自分で気付けるようにしたいなぁと思うのです。

警察がいてくれるおかげで、私という自治区は安全に発展していくことができます。
その権力のバランスを調節できるのも私だから、
感謝しながら、でも私のために機能してね、とお願いして、上手にお付き合いしていこうと、思っています。(にっこり)

#note #コラム #自己肯定感 #内省

読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!