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自分でつくれる自己肯定感

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自己肯定感が低くてもなくても、自分でつくっていけるアイディアをこつこつと
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2019年1月の記事一覧

自由と自己中の境界を分けているもの

みんな全部自分の自由に生きたらいいじゃーん という話になると必ず、みんな好き勝手にしたら問題が起きるじゃないか…!の件が出てくる。 これ、根深い話なんじゃないかなーと思うのね。 私も人生の長い時間、「人に迷惑をかけるから」「誰かの不利になるから」「嫌な思いをさせるから」 みたいな感じで「自由な自分≒悪いこと」のように思ってやってきたから 真面目ゆえに自由じゃなくて生きづらい人の気持ちがちょっとわかる。 だけど実は、「自由」と「自己中」は、全然、別モノで。 その間の一線に深

本当の「人にやさしく」には道筋があった

今日ふと、 自分の気持ちの動きに気付かないのに、相手を慮ることなんてできないんじゃないかな… っていう考えが浮かんできて、 これが大きなソリューションだったので、これは #note に書かねば!ってなってます。 通勤電車でぼーっと怒りや不機嫌について考えていたら 不機嫌的感情ををすぐ外に出してしまう人は、実はその感情自体に気付いていないんじゃないかな? という想像にたどり着きました。 私たちは社会的にも「空気を読む」ことを求められ 教育の過程でも「お友達の気持ちになって考

自己肯定感の手前に必須の給水ポイントがある

世の中でジココーテーカンがもてはやされ(?)るようになってだいぶ久しく 私も、どうやったら自分で自分の自己肯定感を作れるかを考えてこの #note にヒントを書いています。 なのですが! ど頭から「自己肯定感」を何とかしてうまくいこうとしても、うまくいかないんです。 というお話が、今日のテーマです。 自己肯定感を自分で製造できるようになる手前で立ちはだかる どうしても避けて通れないポイント。 それが、「自己受容」。 この自己受容と自己肯定感ってナニ?ちがうの?を 2ペアず

「いい子」をやめたら生きやすさがやってきた

ちょっと前に、幼馴染のママと食事をしていて、スカートに少し食べ物をこぼした。 ふきんでシミにならないようぬぐってる私を見ながら幼馴染のママが 「珍しい!さらは小さい時からこぼしたりしない子だったのに」って驚き半分・面白さ半分みたいな感じで笑っていた。 子供のころからわりと「いい子」だったと思う。 しっかりしてる。ワガママ言わない。お勉強もそこそこできるし食事もきちんと食べるし規則正しく寝起きする。 両親同様に、うにうにの頃から私を見守ってくれていた1人である幼馴染のママから

生きやすい自分になるための、質問力

思春期くらいから、生きづらさというか、周りの世界との折り合いのつかなさみたいなものが 頭の片隅でチラチラとしていました。 別に不幸でもない。困っているというほどのこともない。 でもなんか、居心地が悪い。 そういう生きづらさみたいなものに大人になってから向き合い始めて 時間はかかったけど、気付いたこと、理解したこと、納得したことがたくさんあって 生きづらさを変えていくチャンスや方法が誰にでもある!って思えるようになったから #note でそこを解消していくアイディアや私自身の

「否定」の逆がうまくいかない理由

「否定」の逆って、ナンダロウ?肯定??ほんとに? 確かに意味としては「否定⇔肯定」は正しい。 辞書にもそう載ってるはず。 そして実際の話になったとき、否定の逆をいこうとすることは実はやっぱり否定だっていうのが 今日のテーマなのです。 誰かに否定された、自分で否定している、失敗した、できなかった、うまくいかなかった etc... こういう時、 じゃあその逆をやればいいんじゃん!! つらいから反対方向に逃げたい…! みたいな気持ちが出てくることは多いと思う。 悔しい、悲しい

「やりたいこと」が見つかる習慣づくり

先日、はあちゅうさんの「 #自分への取材手帳 」のワークショップに参加して 管理ツールだと思っていた「手帳」の新しい活用法を知ってしまったのです。 そこで、回し者じゃないんだけど、手帳を使って自分を幸せにするアイディアの、お話。 少し前のnoteの中で「ワクワク」という言葉を使ったのだけど 自分のワクワクに敏感に気付けるかがこの先の人生をけっこう大きく分けるんじゃないかと、思っているんです。 なぜなら、「ワクワク」は「やりたい」につながるから。 やりたい!は自分で行動する

自分を知ると世界が平和になる理由

前回のnoteを書きながら考えていたこと。 私が私のことを知れば知っただけ、世界が平和になっていく。 この半年、自分が悩んで苦しんで生きづらさを掘り返しながら #note に書いてきたことは全部、 結局世界についての話はイコール私自身の話だったんだなぁってことだったように思う。 私が自分の見ている世界をどう定義づけてどう解釈してるか、 自分のことをどう「決めて」いるかに、幸せ感や自己肯定感なんかが左右される。 私が私のことを受容して、認めて、アップデートしていくと、世界は

そのポジティブはカンフル剤?それとも呪い?

普段自分が自分にどんな言葉をかけているかに未来の自分が左右されているっていう話は コーチング的な手法やメンタルコントロールみたいなものでよく聞く話だったりするよね。 この間ちらっと本屋さんでパラパラめくった本にもそのようなことが書いてあった。 つまり 「おれはこれをできる!成し遂げられる!」って普段から自分で言っている人は実際に成し遂げがちだし 「自分ではこんなことはできないかもしれない…どうせダメだ」って言っている人はうまくいかない日々を送りがち、みたいな、話。 運が左

「真似」と「らしさ」を混同しがちだから

「憧れのあの人みたいになりたい」 ↑きっと、たくさんの人が一度ならず思ったことがあるよね。 私も、何度も何度も、そりゃあ数えきれなくらい、あります。 自分のコンプレックスと真逆の容姿のモデルさんや すいすい人生をわたっていく役を演じる役者さん、 ひょっとしたらもっと身近なお友達や、自分よりちょっと先を行く先輩かもしれない。 兎にも角にも、その人に近づきたくて「同じ」ことをしたり「同じ」物を持ったり、 してきたし、したくなるし、することがあると思う。 しばらく前に何となく