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おかげを受ける気で

十人十色というて、さいさい参っても、自分の思うことを頼み、帰ることを急ぐ人は、身信心(勝手な信心)で、此方の話すことは何もわからん。お前はゆっくりとして、おかげを受ける気でおられるから結構である。

 金光教教典
 400頁
 山本定次郎の伝え
 67

おはようございます。

おかげを頂く気持ちになって、聞けるだけの話は聞こう、できる限りの御用はさせてもらおうと思っている人は、おかげを頂きます。

しかし、この「おかげを頂く気」になることが、なかなかに難しいのも事実です。「障子ひとえがままならぬ人の身」とおっしゃいますが、「帰ることを急ぐ人」と「おかげを受ける気」になる人との間には、その「障子ひとえ」があります。

紙一枚ですが、この紙一枚に超えがたいものがあります。



昨夜は、恵庭教会教会長・西村直清先生の終祭が執り行われました。本日は引き続き告別式が執り行われます。

西村直清先生は、東京高等師範学校(後の東京教育大学、今日の筑波大学)を卒業されて、高校で数学の先生をされ、その後、金光教教師となられました。
教師になられて後は、恵庭教会長を勤められつつ、教団の要職を歴任されました。      

西村直清先生にも「おかげを受ける気になった時」があられたに違いないのに、それを聞かせてもらうのを忘れたなあと思いながら、昨日は終祭にお参りさせていただいておりました。

今日は告別式にお参りさせていただきます。

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