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御教え

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金光大神(こんこうだいじん、金光教の教祖)の御教えを,毎日頂きます。
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2021年8月の記事一覧

おじいさんおばあさん、話が聞きたい

おじいさんおばあさん、話が聞きたい

人は一代、名は末代というて、人間は一代の内に、死んだ後へ名の残るようなことを伝えるとか、または何か品物でも買い求めておくがよい。

人間は、死去した後に葬式とか弔いとかいうて入費を使うばかりであるから、生きておる間に名の残ることをしておかねばならんと思うて働けば、「若い者が礼を言わん。喜んでくれん」と、年寄り老人が集まりた時、不足話をせずにすむ。

若い者から、「おじいさんおばあさん、話が聞きたい

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自分の難儀のない時に

自分の難儀のない時に

例えにも、子を育てて親の恩を知るというて、人間は善悪のことは知らねば人間でない。

また、人間、幸せのよろしい時ばかりはない。自分のさしつかえのない時から親に親切な人がよろしいと言うが、親に不孝の人を世の中の人がいかに言うか。もし万一、不孝の子供が災難にかかりた時には、いずれは親の罰(ばち)ではないかと人が言うようなもので、自分の難儀のない時に天地の親神のことを知りて信心するのが人間ではないか。

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恩を受けて恩知らず

恩を受けて恩知らず

多くの人の中には、私は天地の親神様と言うて拝まんが、それでもさしつかえはないと言う人もある。これは恩を受けて恩知らずという者である。

たとえば、五人の子供のうち、自分の気侭ばかり言うておる子供があり、なみ合いの心持ちでおる子供がある。親のところでは、五人はみな子である。

 金光教教典
 396頁
 山本定次郎の伝え
 61

おはようございます。

世の人で天地の親神様のおかげを受けないでい

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料理屋のごちそうを食うたことのなき人は味が知れん

料理屋のごちそうを食うたことのなき人は味が知れん

金神参りというて、遠方から参って広大のおかげを受けて喜び、しだいしだいにおかげをいただいた人もあり、この大谷の土地でも参らぬ人もある。わしの顔を知らん人もある。

たとえば、なにほどのよろしい料理屋が隣にあっても、その料理屋のごちそうを食うたことのなき人は味が知れん。これと同様である。

これはただ、例えである。料理屋のごちそうは食わんでもよいが、此方が話しておる天地の神様のおかげは、受けずにとい

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油断すれば草が生える

油断すれば草が生える

百姓が作物をたくさん取るも同じことで、人の迷惑にはならんから、先を楽しんで信心をしなさい。よろしい田畑でも、油断すれば草が生えるなあ。

 金光教教典
 395頁
 山本定次郎の伝え
 60

おはようございます。

昨日、辛抱強い信心によって広大なおかげを受けることができるという御教えを頂きました。今日は、その続きです。

辛抱の強い人でも、辛抱の糸がプツンと切れてしまうことがあります。そうする

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広大なおかげを受けた人が得じゃ

広大なおかげを受けた人が得じゃ

辛抱強い信心の人と通常の信心の人とによって、違うか知らん。金光大神はだれの願いも同じことに申しあげて頼むのであるが、おかげは一様に受けられるとはいかん。神様のおかげ受けん人が困る。広大なおかげを受けた人が得じゃ。

 金光教教典
 395頁
 山本定次郎の伝え
 60

おはようございます。

「辛抱強い信心の人」と「通常の信心の人」とでは、神様に同じようにお願いして、同じようにおかげを受けるわけ

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信心する人は神様のおかげを受ける

信心する人は神様のおかげを受ける

病気災難にかかり、「天地金乃神様、金光大神様、願う」と申しあげ信心する人は、たとえて言えば、新開開墾、山林、荒れ地開墾に、辛抱する人ほどが作物を早く作るようなもので、神様のおかげを受ける。

 金光教教典
 395頁
 山本定次郎の伝え
 60

おはようございます。

病気、人間関係のもつれ、経済的な生活困難など、人は生きている限り病気災難に出会います。

コロナの今がまさにその時ではないでし

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腹が立つ時には、心の鏡を磨いてもらうように

腹が立つ時には、心の鏡を磨いてもらうように

人は善悪の友によるというてなあ、此方へ参りて何かありがたい話と思うて聞いておる時には心が円い。わがうちでいろいろのことが思われるような時には腹が立つ。心に角がつく。

腹を立てると、顔、くちびるまで、色が変わる。これは血の巡りがとまるのである。体の弱い人は、すぐにさし障り、頭痛がしだす者もあり、癪の病ある人は腹が苦るようになりたりして困るが、これはいかなるわけであるかというに、体へ血の巡り働くのを

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よくよく心得て

よくよく心得て

とかく、善きことは一尺のことが一寸ばかりに知れる。悪いことは一寸のことが一尺余にも広がる。

氏子はよくよく心得て信心しておるがよろしいな。

 金光教教典
 394頁
 山本定次郎の伝え
 58

おはようございます。

今の時代、電話、メール、ラインがあります。ツイッターやフェイスブックというSNSもあります。わたしも、そういったものを使っ

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正直、実意丁寧の真心

正直、実意丁寧の真心

上には上に、なにほどでもある。日本だけではなく、諸外国で、だれが偉い、何がよいというても、世の中に正直、実意丁寧の真心持ちておれば、天下に敵なし。信心家にも不都合ができぬ。

 金光教教典
 394頁
 山本定次郎の伝え
 58

おはようございます。

世間にはいろんな人がいます。考え方、感じ方も様々です。その上に今はコロナです。先の見通しを

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慢心すれば途中に大けがができる

慢心すれば途中に大けがができる

何事にも、慢心すれば途中に大けがができる。用心は前からたおれぬ内の杖。

 金光教教典
 394頁
 山本定次郎の伝え
 58

おはようございます。

「慢心は大けがのもと」「慢心は大けがのもと」と、これまで何度耳にし、目にしてきたかわかりません。

しかし、それが身に染みないと、知っていることになりません。

*

52歳の時、脳梗塞を

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うろたえ信心をせぬがよろしい

うろたえ信心をせぬがよろしい

人に頼み、示談をしてもらう約束して、一応任しておき、あの人では成就すまいと思い、また、ほかの人を頼み、示談をしかけると、だんだん物に間違いができて困ることがある。
うろたえ信心をせぬがよろしい。

また、早くおかげを受けたいと思うてうろたえるのは、近道をしようと思うて知らぬみちをうろたえるのと同じことである。

此方には大道を行けというようなものである。一心になりて信心しなさい。

 金光教教典

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願うばかりである

願うばかりである

信心にもいろいろあって、拝む所により、ほかほかには祟り障りを言う所もあるが、此方には天地の親神様へ災難事はいっさい取り払うてくださるよう願うばかりである。

たとえて言えば、子供が集まり遊んでおり、中に悪いことをして弱い子供を痛めておる所へ、その親が行き見つけると、悪いことをしていた子供は、すぐに赤い顔して逃げる。

 金光教教典
 393頁

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いつも真心が大切

いつも真心が大切

打つ墨縄の一筋に神様に信心する時のように、いつも真心が大切である。婦人が木綿を織るには、よい糸と自分の真心とをもって、人のほめるような木綿もできる。

 金光教教典
 393頁
 山本定次郎の伝え
 56

おはようございます。

綿を栽培し、その種子から繊維を取り出して、それを綿糸とし、そこから木綿を織るということを、現代の私たちはしません。

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