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ピンク映画と日活ロマンポルノ7

*常連組 片岡修二監督(2)

「逆さ吊し縛り縄」のメインイベント、緊縛シーン。ピンク映画では予算も時間もないため、緊縛師を頼めない。そこでいつも近くにいるスチールカメラマン田中欣一氏に白羽の矢が立った。

ピンク映画のSMもの。縛りは見よう見まねで、助監督や監督が縛っていることが多い。しかし1980年代ともなればSM雑誌は多数出版され、いい加減な縛りでは、その道の方は見向きもしない。「亀甲縛り」一本やりではダメなのだ。

スチールカメラマンはその名の通り、ポスターを撮ったり、映画のスチールを撮り配給会社に渡したり、また、ほとんどギャラが出ないので、そのスチールをエロ映画雑誌に売ったりする(映画雑誌のことはのちに書こう)。なので、撮影の進行状況や監督の求めている絵がどんなものなのか、肌で感じやすい。さらに「絵」になるポーズも熟知している。田中カメラマンが声を掛けられたのは1970年代後半だったそうだ。「欣ちゃん(田中カメラマンの愛称)ちょっと縛ってよ」

田中欣一「声を掛ける方は、縛ってよって言うだけだけど、実際やるのは僕だからね。それまで緊縛なんてしたことないし。女優さんの体に傷つけちゃいけないし、どうやったら早く、綺麗にしばれるか、ずいぶん勉強しましたよ。椅子や枕を使ってね」

努力に努力を重ねた研究の結果、本格的な緊縛映画はほとんど田中カメラマンが縛っている。主演女優さんからも「欣ちゃんの縛りじゃなかったらやらないからね」と言われていた。のちに田中カメラマンはSM雑誌のグラビアの撮影も手がけるようになり、今も現役である。

さて撮影の話に戻そう。劇団の持つ、ある倉庫がロケ地となる。ここには荷物運搬用のクレーンがつけられていた。天井までの高さは約5メートル。「よし、ここで吊ろう!」吊られながら絡みシーンも撮れるような縛りが要求され、私は吊られていく。後ろ手に縛られ、腕から吊られているような体勢。実は逆さ吊りよりもこういった不安定な体勢の方が辛い。逆さは単純に体重が上下逆になるだけだから、バランスがいい。しかしブランコのような吊りの体重負荷は、腕やアンダーバスト、ウエストなど普段筋力をあまり使わない所なので、痛みや疲労を感じやすい。しかし自ら「緊縛は任せてください!」と言っているので、NOとは絶対言えない。

映画はショットが変わると照明も変えなければ映らない。なので編集で10分位のシーンでもゆうに1時間程は撮影に要する。いくら緊縛が上手い田中氏の縛りでも、吊りが大変なことはスタッフ全員が知っている。吊りのシーンとなればスタッフは一丸となり、一気呵成に撮影は進行していく。

クライマックスを撮り終わった後、この映画のポスター撮影となったが、私の皮膚には、先ほど吊られていた縄跡がくっきり刻まれていた。よくメイクで縄跡を作るが、これは本物だ。スタッフは皆「すげーな、、」言葉もなかった。本当の縄跡がついたポスターなど、なかったのではないだろうか。

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撮影、編集が終わるとアフレコだ。「銀座サウンド」中村技師である。この時監督から「太い声でやってみよう」と指示が出た。私の地声は低い。そこでほぼ地声に近いアフレコとなり、初めて「声を使い分ける」と言う意識が生まれた。

アフレコの後、SE音入れも済むと初号となる。いわいる試写会だ。私ら役者も初めて作品を見る。この音楽に驚いた。テーマ曲はウエスタン調。そして決めシーン2箇所にはトップアイドル歌手のLPから2曲がフルコーラスでつけられてい、ミュージックビデオのようであった。その選曲はまさにベスト!思わず泣いてしまう。その1曲は、私が戦闘服に着替えるシーンから、歌舞伎町を闊歩するシーンだ。(映画を観た方はもうお分かりですよね。著作権問題が勃発するといけないので伏せておきます)

作品公開後、多くの映画評論家から絶賛を受けた。監督の作風と役者のノリ、気合が一致したのだろう。私も本当にこの作品と、監督と出会えて真から嬉しかった。この作品は1985年度、ピンク映画のベスト10を決める「第7回ズームアップ映画祭」のベストワンに選ばれた。

逆さ吊し縛り縄
 制作 国映株式会社  配給 新東宝
 監督/脚本 片岡修二 
 撮影/志村敏雄 照明/斉藤正明 編集/酒井正次 録音/銀座サウンド
 出演/下元史郎 早乙女宏美 涼音えりか 杉下なおみ 水上乱 ジミー土田 池島ゆたか

続く


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