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「戦争」は愚かな行為です。戦死した方々に本当に敬意を払う姿勢は「幸せで在る」ということ。

戦争は愚かな行為です。

勘違いされないように念押しして書いておきますが、

「戦争」が愚かだと言っているだけで、

そこに関わった人が愚かだとは言っていません。


しかし、戦時中に国が国民に言った言葉、

政策は全て国民を支配する為のもの。

もちろん、勝って国を守るために必要な政策や言葉であったことはわかっています。

戦時中と戦後には。


戦争だって仕方なかった。と思いますが、

愚かな行為です。

戦争から生まれた思考で今も生きていることが

最も愚かです。

今、戦時中じゃないので。


支配されておけば、国がなんとかしてくれる。

言うこと聞いたら、国がなんとかしてくれる。

何かあったら国のせい、人のせい。


戦争で命を落とした人、家族を亡くした人が

たくさんいます。

その上、負けたんだから、

そりゃあ国は国民を納得させる言葉をたくさん使います。

同時はそれにより慰められた人や救われた人は

たくさんいるかもしれない。

けれど、今は戦時中じゃないので、

当時の言葉や政策は疑わなければならない。


あまりにも「戦争」「戦死」を美化しすぎなんです、日本人は。

軍事費を調達する為に、

貯金は必要で、自分を守るもの、

今、ひもじい生活をし、節約してでも貯金をするべき!

と言われ、ゆうちょに貯金をする人が殺到したのは有名な話。

今も、今、節約して貯金する人がいるのが不思議。

余ったお金が貯まっていくのが一番いいじゃん。

「戦死した方々がいるから今の日本がある」

という言葉があまりに無責任で嫌いです。

戦死した方々は、日本の平和、日本の為に、

家族や大切な人を守るために戦争に行ったんじゃないんですか?


そう、教え込まれていたでしょ?

今の日本は、後進国に成り下り、

貧困率は年々上がり、

少子高齢化問題を抱え、

一部の高額納税者に頼りっぱなし。

 

いまだに国にも他人にも依存している。


幸せな女が圧倒的に少ない。


こんな日本になる為に、命をかけて戦争に行ったとでも思ってるんですか?

本当に戦死した方々に敬意を払い、

尊敬の念を抱いているならば、


私たち、ひとりひとりが幸せで在ることが

最大の供養だとわかります。


くだらない勝ち負けや優劣で小さな戦争をやってる場合じゃないです。

争いって、「こっちは悪くない、そっちが悪い」から始まるんです。


折り合いがつけられないコミュニケーションから始まる。

誰が悪いとか、まさに依存マインド。

依存、支配のマインドでいて、

日本が負けた。


この事実を戦争から学ぶべきです。


これが全てでしょ。


私が「戦時中思考」と呼ぶ思考は、

依存に支配にコントロール、

自分で考えず、疑わないこと。


戦時中、戦後、戦争を美化した書物の言葉は、

私は全て疑ってきました。

本質が丸わかりです。


「欲しがりません、勝つまでは」


このマインドでいる人が多いこと!

「〜したら〜してもらえる」

「〜しなければ〜してもらえない」

「苦労は報われる」

「頑張ればいいことがある」

「我慢は今だけ」

「仕事は大変で当たり前」

戦時中思考です。

「贅沢は敵だ」

「任務は重く 命は軽く」

「金は政府へ 身は大君へ」

「国のためなら 愛児も金も」

「日の丸持つ手に 金持つな」

「りつぱな戦死とゑがほの老母」

「空へ この子も捧げよう」

「子も馬も 捧げて次は 鉄と銅」

「酒呑みは 瑞穂の国の寄生虫」

「節米は 毎日出来る 御奉公」

「人並みと 思ふ心が 奢りの心」

「権利は捨てても 義務は捨てるな」


勝つ為に、どれだけ国民を洗脳してきたか、

今、なお洗脳を自ら解けない人がいるか

よくわかるでしょ?


戦時中を生きていない人が、まだこの洗脳を解けていない。

戦時中を経験した世代からの子育てと、

世間一般、多数派の意見、常識を

疑わず、自分の違和感を尊重できないからこうなる。


しかし、違和感って本気で疑わないと単なる言い訳に使います。

いまだに「贅沢は敵」の人がたくさんいるし、

「人並みと〜」は、

自分より劣る人を見て安心するマインド。

優劣、勝ち負けはまさにこれ。

人は対等です。


対等だからって、礼儀を捨てるのは全く違うし、

それは対等ではないです。

「権利は捨てても〜」

余裕で捨ててる人が多いじゃん。

義務も捨ててるし。

「基本的人権の尊重」

って、「あんたのせい!」系の

無責任を尊重することじゃないです。

責任を引き受ける自由の尊重です。

責任とは自由、自由とは責任。


自由に、命の責任を持つことができるんです。

自由に人生を選択することができるんです。

ま、これはみんなやってます。

それを尊重することを憲法は約束しているんです。


戦時中は出来なかったですからね。

人生を選択することも、命に責任を持つことも。

これだけの標語を並べておいて、

負けたんだから、

国は代償を払っています。

憲法だってそう、

この標語とは真逆のことを言い、

戦死した方々の家族の為に戦死を正当化した。

「名誉の死」とか、意味不明です、私は。

しかし、どっぷり洗脳されていた国民は、

それに慰めされた。

戦後、戦死した方々の家族は。です。


今、令和。

国が償い続けるのは仕方ないことです。

が、なぜ、戦時中思考で生きてる人が多いのか?


いつまで被害者ヅラしてんだよ。と思います。

関係ないくせに。

私は、

戦死した方々は、

令和の今も、多数の国民が戦時中思考でいることは、絶対に望んでいないと確信しています。


自分の人生を自分が生きられる権利を侵害されないんだもん。


自分の人生を他人に押し付ける依存と支配、

私は、本当に嫌いです。

絶対的に嫌いです。


が、それをお好みの人が多くいるのが事実であり、

お好みなんだからいいと思います。

依存や支配の代償は、それを選んでいる人が

よーくわかっているんだから。

それでも選んでいるんだもん。

自分の現実が、依存と支配で創造した現実です。

自分で選択し、決断できる自由と責任を

放棄したいんだから、いいと思います。


愚かな行為から生まれたものは、愚かです。

上に書いた標語がまさに。

いつまで継承するんですか?


自分の力を使わない人生をいつまでやるんですか?


依存や支配って、他者に向けるエネルギーが大きいから自分に向けるエネルギーは枯渇します。

結果、自分を知らないまんま。

ちなみに、自分の全てを知ることなんて三次元の思考では不可能です。

自分の思考を直視して、変わりいくことに終わりはありません。

私は、他人にエネルギーを注いで自分が枯渇するのは嫌だから、

まずは、私です。

私が私を満たしてないと、人のことなんて考えられないし、与えられないし、受け取れない。

散々ミステイクしてきたので、よーくわかっています。

私は私が味わいたい感覚を味わっていたい。

感覚は思考ではないです。


「思考は現実化する」って、

その思考のエネルギー、思考している時に感じた感覚、感情が現実化するだけです。

自分を愛したいなら、戦時中思考を全て捨てることです。


戦時中思考に、無条件の愛なんて存在しません。


この宇宙は、無条件の愛が存在しています。


私、支配やコントロールを向けられたら

間違いなくこの顔になります。

は?です。

は?と怒っていても美しいわね♥️

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